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転生したけど、嬢は嬢でもキャバ嬢だった

作者: 久我山

 ◆◇ ◆◇




 昨日は飲みすぎたらしく、どうやって帰って来たのかまるで記憶がない。

 今は便器を抱えて唸っている。

 胃が痙攣を起こすが、酸っぱい透明な液体以外は何も出てこない。



「気゛持゛ち゛わ゛る゛ぅ゛~」



 どうして二日酔いになったのかまるで思い出せない。

 それどころか、自分が誰かもわからない。



「誰だよこんなに飲んだやつ……」



 :

 :

 :


 今朝はひどい頭痛で目が覚めた。

 のそのそとベッドから這い出すと突然の目眩と吐き気。

 ふらつく足でトイレに雪崩れ込んだんだ。


 どんなに思い出そうとしても、それより前のことが何も思い出せない。



「はぁ……意味わかんない」



 飲みすぎで頭が混乱してるだけだろうと思った。


 ここが自分の借りてるワンルームだというのはわかっていた。

 この狭いユニットバスのトイレだって見慣れたものだ。

 ドリンクしか入ってない冷蔵庫の中身のことだってわかってる。


 なのに自分のことがまるで思い出せないのだ。



「マジで意味わかんないんですけど…」



 呟いたその声にすら違和感を覚える。

 こんなエロい声だったっけ?


 違和感を吹き飛ばすようにまた吐き気。

 便器を抱えて今に至る。


 思い出せるだけ思い出してこれ。


 はい、超短い回想終わり。



「はぁ…マジ気持ちわる」



 熱々のシャワーでスッキリしない頭を覚まそう。


 狭いユニットバスだけどこういうときは便利だ。

 シャツを脱ぎ捨て洗濯機に放り込む。


 鏡に映る不機嫌そうな顔。

 目の下のクマがひどい。



「誰これ、めっちゃ美人」



 自分だった。

 知らない顔が自分が喋るのに合わせて口を動かしてる。



「うわっ!? 気持ちわるっ」



 眉を歪めると鏡に映る美人の表情も変わる。


 この美人は誰?


 なんの夢だ。


 まさかね。


 ありえない。




 だって俺は……男だったはずだ。






「熱っつ!」



 足にかかった火傷しそうなほど熱いシャワー。

 その時、強烈なフラッシュバックに襲われた。




 平凡な家庭に生まれ平凡に育った。

 神奈川の真ん中辺りの田舎とも都会とも言いづらい住宅街。

 家のローンを払うのに精一杯のご家庭だ。


 両親には愛されて育ったと思う。

 小中のころはバスケやサッカーやるようなスポーツ少年だった。

 だけど高校に入ってからはゲーム三昧。


 勉強はそこそこ。

 進路なんて決めてなくて適当に専門学校に入った。

 人生計画なんて真っ白なままだった。


 美少女だったらもっと楽しく生きられたのに……

 そんな幻想を抱きながらぼんやりと日々を過ごしていた。


 バイクで事故って死ぬまでは……


 :

 :

 :


 そう、俺は事故って死んだはずなんだ。




 今のは前世の記憶?

 リアルなテレビドラマ?


 いや、こんなドラマ見た覚えはない。

 それに目の前の現実と違いすぎる記憶だ。


 シャツの下にしっかりとした膨らみが見える。

 柔らかそうな女の身体だ。



「んむぅ、気持ちよくないな」



 自分の胸を揉んでみたが何一つ興奮してこない。

 寄せられた谷間に視線が吸い寄せられるし、先端の尖りもエロく見える。

 なのに感触に対する興奮が全く生まれてこない。


 男ならアレを揉んだり擦ったりするだけで興奮してくるもんなのに……



「こっちは、どうなってんのかな……」



 当然の行動だ。

 一度生まれた好奇心は簡単に止められるものじゃない。


 ごくりと喉を鳴らしながら下半身に手を伸ばす。

 ふにふにと柔らかな感触。

 男ならついているはずのモノはない。


「ひぅッ」


 再びのフラッシュバック。

 一番敏感なところに触れた瞬間、頭の中で何かが弾けた。




 男の記憶とは別の……女の記憶だ。

 そう、これはきっとこの身体の記憶だ。


 最初に思い出したのは両親の葬式の記憶。

 悲しみよりなぜ?どうして?と疑問ばかりが浮かんでいた。

 それからは東京にほど近い埼玉の祖母の家で暮らした。


 思春期に生活環境が変わったせいで引っ込み思案に育った気がする。

 大人しくして周囲の期待に応えようと勉強ばかりしていた。

 ファッションにだって興味あったのにイケてる子たちとは話ができなかった。


 そんな私も恋をして高二の夏には思い切って告白までした。

 思いが通じ大学も一緒に行こうって色々計画を立てていた。

 でも祖母が他界し大学へは行けなくなった。


 生活がきつくて夜の仕事を始めた。

 昼夜逆転の生活でひどく鬱屈していった。

 男だったらもっといい仕事ができたはずなのに……


 彼ともすれ違い始め、気持ちを繋ぎ止めるために貢ぐようになった。

 薄々わかっていた彼の裏切りを目の当たりにして絶望した。


 残ったのは借金だけ。

 心までひどく汚された気がした。




 自棄になった。

 強いアルコールに睡眠薬。


 本当にバカとしかいいようがない。

 それで死ねるわけでもないのに。


 :

 :

 :


 ヌルくしすぎたシャワーを浴びながら、自分のバカさ加減にため息をついた。



「何やってんだ私…」



 気持ち悪さと後悔が、水と一緒に流れていく気がした。




 次第に二つの記憶が頭の中で混ざり合っていく。

 どちらも自分の記憶だという感覚になっていく。




 この記憶は自分のものだ。


 この身体も自分のものだ。




 この目も、この唇も、この表情も。



「うん、私って美人。あのバカの見る目がなかっただけだね」



 昨日までは嫌だった一重も、キリっとした目力を感じてかっこよく見える。

 ちょっと高めの身長だって、男の感覚からしたらかわいいものだ。


 鏡に向かってポーズを取って、一人でにやけてる自分がいる。



「間違いなくダイヤの原石だわ私」



 悦に入っていた私に水を差すように携帯が鳴り響く。

 色気の欠片もない買ったときから入ってるクラシック曲の着信音。



「女子力なさすぎるでしょ私」



 雑にタオルを巻きつけてバスルームを出る。

 鳴り続ける携帯を掴むと画面には太客の電話番号が表示されていた。



「うぁ、同伴の約束…」



 時計は無情にも約束の時間が過ぎていることを知らせていた。


 私は夜の仕事をしているキャバクラ嬢だ。

 時給の高さに目が眩んだけど過酷な仕事だ。


 感情に関係なくいつも笑顔でいる精神労働だ。

 ひとりひとりの接客に気を使う頭脳労働でもある。

 アルコールとも戦わなきゃいけない肉体労働だったりもする。


 もうこのまま何もかもブチって逃げてしまおうか……


 身体が勝手に動いた気がした。

 気が付いたら私は電話に出て平謝りしていた。



「もしもし……私です、サユリです。ハイ…あの、今日は本当にごめんなさい」



 昨日までの私は何もかもに絶望していた。

 男なんてものを全く信じられなくなっていた。


 約束からも仕事からも逃げ出したくなっていた。

 そして、今度こそ本当に人生を終わらせようとしたかもしれない。


 男だった自分がそれを止めようとする。


 なんてもったいないことをするんだ。

 急いで支度して今からでも会いに行くんだ。

 ただの客かもしれないがお前を気にしてくれてる一人なんだぜ?


 そんな風に男の私が女の私を引き止めた。



「これからでも……えぇ、はい。ありがとうございます。では後ほど」



 男のときも女のときも遅刻するなんてことなかった。

 きっちりしてないと気持ち悪いと思うほうだった。


 その私が遅刻。


 男に裏切られたくらいで自棄酒してあげく死のうとしてた。

 いや確かにめちゃくちゃ好きだったよ?


 だけど男の感覚が全てを否定する。

 女を傷つけるようなやつはろくな男じゃない。

 見る目がなかっただけだ。

 他の女に行ったのだって相手の見る目がなかっただけだ。


 いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 大遅刻で相手を待たせている真っ最中だ。


 濡れた髪を大急ぎで乾かしメークもそこそこに私は家を飛び出した。



「コマ前のコンビニまで……大急ぎでお願いします」

 


 タクシーに乗り込み、五分で着きますと謝罪のメール。

 私のことを信頼してくれた人の大切な時間を奪ってしまった。


 半ば祈るような気持ちでメールを送信する。


 同伴の相手はお金も時間も相当かけてくれている人だ。

 キャバ嬢相手の下心もあるだろうが気遣いのできる大人の男性だ。

 男の感覚からしても紳士と呼んで尊敬したいレベル。


 私は愛想のいいほうじゃない。

 それでもなぜか好いていてくれるのだ。


 この人みたいに私のことを考えてくれてる人はもっといるかもしれない。

 自棄になったとき私は、私を思ってくれてる人のことを欠片も考えなかった。



「私がいなくなったって別に誰も悲しみやしないわ」



 女の私は冷めきっていた。



「本当にそう?」



 親戚は?

 叔母夫婦は祖母の家を相続して私を追い出した。

 友達は?

 学校を卒業してから誰も連絡なんて取ってない。

 仕事場は?

 急に休んだら店長がちょっと困るくらいで泣いてはくれないわ。



「あっ……」



 一人だけ思い当たった。

 私によくしてくれてる先輩キャストだ。

 誰にでも優しい人だから、私にも優しいってだけかもしれない。

 それでも、泣いてくれそうな人はいた。


 たとえもし本当に孤独だったとしても、それは今たまたまそうだっただけだ。

 未来の可能性が閉じきったわけじゃない。


 そんな簡単なことにも気付けていなかったなんて……


 :

 :

 :



「あの……ありがとうございます。本当にごめんなさい」



 それしか言えなかった。

 マジでごめんなさい。


 同伴相手の紳士な男性は私を心配してくれていた。

 寛容さがそのまま恰幅のよさに現れていると思った。


 恰幅がいいと言っても太っているわけじゃない。

 この人は軍人だったの?いうくらいにガタイがいいのだ。



「女を待つのも男の楽しみのひとつだ。だけどあまり心配させないでくれよ?」



 怒ってなさそうだ。

 女のときの日頃の行いがよかったせいかな?


 今までなら絶対そんな風には思わず萎縮してしまったと思う。

 他人の視線ばかり気にするひどいビビりだった。

 男の感覚がシャキっとしろよって言ってる。


 男に何があったか尋ねられたがどう答えていいかわからない。

 言い訳なんて思いつかなかったし嘘もつきたくなかった。


 ショックなことがあって深酒をしてしまったことを正直に話した。


 どうせ酒の臭いでバレる。

 けれど全部を話すつもりはない。


 今は乗り越えて頭もスッキリしてるって笑顔を作った。




 実際、私は生まれ変わった。


 私と俺が融合して新しい私になったんだ。

 昨日までとは違う。

 不思議と自信みたいなものまである。


 憧れだった美人になったんだ。

 楽しんで生きないと…本気で頑張らないともったいない。




 ……って、安心したらすごい勢いでお腹が鳴った。

 空気読めよ私の腹!



「……店、入ろうか」


「ご、ごめんなさい。お腹の中が空っぽで……」


「クッパくらいなら二日酔いでも入るかな?」



 死ぬほど恥ずかしかった。


 すぐ近くの私の大好きな焼き肉屋さんへ入った。


 酒で荒れたすきっ腹に肉は無理だろうって思うじゃん?

 上ロースとユッケジャンクッパがするする入る。


 天国のママ、丈夫に産んでくれてありがとう。


 男も安心してくれたみたいで微笑みながら私を見てる。



「そんなに見つめられると恥ずかしいですって」


「僕はしっかり食べてくれる子、大好きだよ?」


「そう言ってジムに入会させちゃうんでしょ。わかってるんですからね」



 男の職業はスポーツジムの経営者なのだ。

 話題の個室系ジムのように優秀なトレーナーが揃っている。


 夜の仕事は体調を崩しやすい。

 そこを狙っての商売をしているのだ。


 この人は本当に変わっている。

 口元を見ながらエロ妄想してるって感じでもない。

 本心から食べる女の子が好きだと言ってる感じだ。


 よくわかんないけど好いてくれてるなら、まぁいいかな。




 店に行く前にもうちょっとだけ時間をもらった。


 こんなメークで店の子たちとは会えない。

 じゃあそんなメークでお客様と会うのはどうなんだって話だけど……


 キャストは仲間でありライバルでもある。

 見栄は張れるだけ張らないといけない。


 こんな私も許してくれるこの人はマジで偉い。

 なんなの。

 私の足長パパなの?




 メークを終えて夜の街を少し歩く。

 華やかな街がいつもとは違って見えた。



「それじゃ、すぐ着替えてくるね」



 同伴ギリギリの時間で入ってなんとか遅刻せずに済んだ。

 ロッカーから青のドレスを選んでくる。

 お客様に買って頂いた背中がガッツリ開いているエロめのドレス。

 調子のいいときしか着ない、いわば勝負服みたいなものだ。


 今日は自分史上最低と言っていいほど調子の悪い日だ。

 気持ちから変えていかなきゃって思ってこの青のドレスを選んだ。



「おはようございます、サユリさん。そのドレス、とても可愛いわね」



 はわわアユミ様!

 私の憧れの先輩キャストだ。

 アユミ様も同伴でこの時間になったようだ。



「あ、ありがとうございます。アユミさんはドレスなんてなくても素敵です!」



 何を言っているんだ私は!

 違うんです。

 普段着でもきっと素敵だって言いたくてですね。



「ふふっ、なんだか今日は楽しそうね。これからも頑張ってね」



 アユミ様の笑顔は素敵だ。

 癒しのオーラがでている。

 マイナスイオンだ、パワースポットだ。


 後輩の私にも男性スタッフにも優しく丁寧な物腰で接してくれる天上人だ。

 まさに気遣いの達人だと思う。

 ナンバーになる人は違うね。


 後姿に見惚れていると後ろから舌打ちが聞こえた。

 せっかくいい気分に浸ってたのにコイツは……(イラッ)

 和柄の花が描かれた黒地のロングドレスを着た女がこちらを睨んでいる。



「おはようございますマナさん」



 マナはこの店の古株でナンバーで野心家のキャストだ。

 色恋管理の接客が上手すぎて引くくらいの完璧超人。


 付き従う後輩には優しいが、そうでなければ挨拶のみの冷たさがある。

 他のナンバー相手にはライバル心を剥き出しにする熱さもある。


 私はこの人の取り巻きでもないし好きなタイプでもない。

 マナのほうもそれを感じ取ってるから挨拶だけしてフロアに出て行く。


 私も一呼吸置いてからフロアへと出て行った。



「お待たせしました。今日は本当にありがとうございます」


「いつもより調子よさそうに見えるよ。少し安心した」



 フロアに入るとトシさんが私を気遣ってフルーツを頼んでくれた。

 トシさんって今日同伴したジムの経営者さんね。

 今日はお酒が入りそうにないって見越してくれてる。


 私ってこんなに愛されてたっけ?


 ほんの少しの間だったがゆるやかな時間が過ぎた。

 指名が入って席を離れる。


 名残惜しい。

 弱ったときに優しくされると落ちるってあれ、ホントだね。

 誘われたら落ちてしまいそう。


 なのに男の感覚がそれを邪魔する。

 男の私は仕事が好きみたいだ。


 男の部分も女の部分もあわせて私なんだけど、まだ少し慣れない。



「ふぅ。キツいけど乗り切らなきゃ」



 薬とアルコールの影響が身体の隅々まで残っている気がした。

 身体全体がダルくて指を動かすのも億劫だ。


 それでもお客様といるときは忘れていられる気がした。


 :

 :

 :


 とにかく一心不乱に働いてなんとかその日を乗り切った。

 身体に染み付いた動きで仕事終わりの営業メール。


 男の私が感心するほどの指捌きでメールを打ちまくる。

 送りの車内で打てるだけ打つ。


 基本は定型の組み合わせだけど一人一人に合わせて中身を変えている。

 自分宛だってわかるメールのほうが嬉しいもんね。

 言葉のバリエーションは少ないかもだけど、思いはいっぱい詰めてるつもり。


 家に着いてもしばらくは営業メール。

 今日来てくれたお客様が家に帰る前にメールが届くように。



「これでよしっと。今日も私は頑張ったぞ」



 メークを落してシャワーを浴びる。

 今日一日は色々とありすぎた。


 だけど別れたアイツからは着信もメールもなかった。

 まったくふざけた話だ。

 未練も何もないって言うのかよ。


 沸々と怒りがこみ上げてくる。

 いけない…心が澱みそうだ。



「あんなヤツ忘れてもう寝よ…」



 クズに付き合って暗黒面に落ちてはいられない。

 憎いヤツへの一番の復讐は、そいつより幸せになることだ。

 絶対幸せになって私と別れるのは間違いだったねって言ってやるんだ。


 ざまぁ!って言ってやるんだ。


 憤りをやる気に変えるんだ。

 昨日までの私はもういない。

 ここにいるのは新しい私だ。


 鏡の前で改めてポージングしてみる。

 やっぱり私ってイケてる気がする。


 目指せアユミ様。

 飛び出せフェロモン。

 誰もが羨むような最高の女になってやる。


 :

 :

 :


 やる気を出して数日後。

 私を打ちのめすような出来事が待っていた。


 店長が開店前のミーティングでおかしなこと言い出たのだ。



「無欠していたアユミだが…昨晩、自宅マンションから飛び降りた」



 頭が真っ白になった。


 アユミ様が飛び降り?

 意味がわからない。



「携帯に母親が出て……ダメだったと」



 アユミ様が死んだ?

 そんなわけない。

 ついこの間だって笑って話してたのに。



「詳しいことはわからないが……」



 未遂した私が言うのもなんだけど自殺なんてバカのすることだ。

 それに毎日楽しそうだったアユミ様が自殺するなんて考えられない。


 店長の話もそれ以上は耳に入ってこなかった。

 その日の仕事中もずっと上の空でお客様には悪いことをした。


 ショックはいつまで経っても抜けず、家に帰っても放心したままだった。

 乾いた笑いすらでない。



「どうして、どうして何も言ってくれなかったんですか」



 思い出せる印象的なエピソードがあるわけでもない。

 だけど私の憧れだった。


 あの店を選んだのだってアユミ様の記事を見て選んだくらいだ。

 キャバ系ファッション誌の紹介記事だった。

 片思いばかりしてるんだって切ない恋話が載っていた。


 店に来てからもその憧れが消えることはなかった。

 女の私ですら癒される柔らかな笑顔に、少し天然の入ったゆるいトーク。

 ずっと一緒にいたいって思わせる素敵な女性だった。



「私がもっと仲良くなって、相談に乗ってあげられていれば……」



 その日はアユミ様のことを思って泣きながら眠った。


 翌日、私はいつもより早い時間に店に入って店長を待つことにした。

 どういうことなのかちゃんと知っておきたい。



「どうしたサユリ……ってまあアユミのことだよな。入れ」



 店長のオールバックにした天然パーマが、いつも以上に跳ねていた。

 相当参っているみたいだ。

 私も今朝は目の下の隈がひどかったけど。



「俺も詳しい話はわかってないんだ」



 無欠したアユミ様の携帯に連絡をしたら母親が出たそうだ。

 急に母親のご飯が食べたいと言って帰省して翌朝には……


 店長はこめかみを押さえ深いため息をついていた。



「俺の店でこんなことになるなんて。きちっと目を配ってたはずなのに」



 店長は頑張ってる人にはしっかり目を掛ける人だった。

 睡眠や食事などの体調管理を徹底するようによく言われた。

 昔、クスリをやってダメになった人がいたらしい。


 夜の仕事をしていると誘惑をしてくるものが多い。



「お前もあまり根をつめるんじゃないぞ。」



 更衣室に行くとスタッフによって片付けられたアユミ様のロッカーが見えた。

 昨日まではすごく神聖な場所に見えたのに……



「無欠してそのまま自殺って……ありえないわね」



 冷める一言かけてきたのはマナだった。

 大好きだったアユミ様が笑われた気がして思わず睨んでしまった。



「何? アユミが抜けたら、今度は私のヘルプにでも付きたいの?」


「別に……違いますけど」


「まいいわ。あの子の指名客は、私が全部貰うから」



 私のことなど眼中にないと鼻を鳴らして嘲るマナに対抗心が芽生えてきた。

 男の私が思った。

 こんな女に負けていいのか、と。


 ナンバーになるのはアユミ様のような人が相応しい。

 女の私が思った。

 アユミ様のような理想に追いつきたい、と。


 負けたくない、追いつきたい、負けたくない、追いつきたい。


 頭の中で二つの思いが溶け合って行く。

 私の目標が見えた気がした。


 私は急いで事務所に戻って、店長に宣言した。



「アユミ様のお客様が来たら私に回してください」


「どうしたんだ急に……?」


「私……No.1になります。アユミ様みたいな、アユミ様以上のNo.1になります!」



 誰かに憧れてもらえるような……


 笑顔で元気を与えられるような……


 そして、誰にも負けない、No.1キャバ嬢になりたい!!!


 :

 :

 :


 これは男の心と女の心、二つの心を併せ持ったキャバ嬢の始まりのお話。


 カリスマキャバ嬢になるのか、はたまた恋をして幸せを掴むのか。

 物語の結末はまだ誰も知らない。






お読みいただきありがとうございます

なりふり構わない超展開をやってみたかっただけ

続きはあるようなないような……

(7/6 そこそこ改稿しました)

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― 新着の感想 ―
[良い点] アユミが苦しみ投げ出そうとしていた人生を、男の方の「私」が引き戻し、目標を得られた事。 記憶というか認識の混濁が却ってよく働いたという事なのだろうか。 [気になる点] ・どのシーンも行間が…
[良い点] やや文章が荒削りに感じられるものの、かなり特徴的な設定をうまくまとめあげていました。 あんまりお水界隈の事情はわかりませんが、しっかりと雰囲気を伝えてくれたかと思います。 [気になる点] …
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