7 雪の記憶
婚約中のアルフレッドとリサは新任のケインズ牧師が若いのに驚いたが、田舎の城に来てくれたのを感謝した。
「まだ牧師になりたてで、至らないところも多いでしょうが、宜しくお願いします」
マーカス城代は城主アルフレッド様と妻の遠縁のリサが婚約しているのだと告げた。
「それはおめでとうございます。
私はまだ結婚式を執り行ったことがありませんが、頑張って務めさせて頂きます」
嬉しそうに結婚式の日取りを決めるケインズ牧師に、アルフレッドは何か違和感を感じていた。
「ケインズ牧師の出身は王都ヘッドスペークなのか?」
よくおわかりですねぇと、ケインズ牧師は頭をかいた。
「王都からこんな辺境の教会に派遣されたのですか?」
ケインズ牧師は私は平民の出ですからと、恥ずかしそうに告げる。
「王都や大きな街の教会には、やはり立派な家系の出身者が派遣されやすいのです。
しかし、何処に派遣されようと、牧師の仕事に変わりはないと私は思ってます」
アルフレッドは王都の出身だからと、ケインズ牧師を疑ったのを意識し過ぎだと自嘲した。
『フレデリック王が亡くなったのだから、イザベル大后が私に嫉妬する理由も無くなっただろう』
結婚式の日取りを決めて、ケインズ牧師は教会の横のジョンソン牧師の部屋に引っ越した。
荷物も本当に少なくて、マーカス城代は貧しいのだろうと同情した。
牧師が赴任して、結婚式の日取りも決まると、前から縫っていたウェディングドレスの仕上げや、新しい寝室の内装をやり変えたりと、マリアン夫人とリサは忙しい日々を送った。
アルフレッドも近在の郷士達を招待したり、マーサは披露宴のご馳走に頭を悩ませた。
そんなある日、ケインズ牧師はリサに結婚前の心得を話したいと告げた。
リサは若い牧師様に結婚前の心得を説教されるのかと、気恥ずかしかったが、マリアン夫人にこれも花嫁修行の一つですよと諭された。
教会で話すのかと思ったが、城の城壁へと案内された。
「私は牧師ですが、若い男性と二人っきりで、教会で話すのは気詰まりでしょう。
幸い、今日は雪も降ってませんから、外で話しましょう」
リサもジョンソン牧師様なら、薄暗い教会で夫婦生活のお説教を聞いても平気だが、まだなりたてのケインズ牧師様からはちょっとと思っていた。
開放的な屋上には、昔の攻城戦の櫓や回廊が残っていた。
「ノースウルヘン城は昔風のお城ですね。
王都ヘッドスペークやウィンターヒルのお城は、こんなに戦争目的ではありませんよ」
少しリサはケインズ牧師の口調に驚いたが、都会から来た人だからかと考える。
「貴女はマーカス城代夫人の遠縁だとお聞きしましたが、どのような関係なのだ?」
何時もは丁寧でへりくだった話し方なのに、厳しい口調で詰問されてリサはうろたえた。
「マリアン夫人の姉上が嫁いだ先の姪ですわ」
本当なのか? と側に寄ったケインズ牧師からリサは後ずさる。
「貴女は雪の中で行き倒れていたと噂を聞いたが……」
グイッと近づかれて、リサは城壁まで後ずさる。
「それは、此方に向かう時に道に迷って……失礼しますわ!」
リサは本能的にヘインズ牧師は変だと感じ逃げ出そうとしたが、ボスッと鳩尾を殴られた。
「お前にアルフレッドの子供を産んで欲しくない御方がいらっしゃるのだよ」
ヘインズは牧師の仮面を脱ぎ捨てて、気絶したリサを軽々と抱き上げると、冷酷に城壁から投げ落とした。
城壁の下の谷間の木々に吸い込まれるリサを見て、ケインズは脱兎のごとくノースウルヘン城を逃げ出した。
「大丈夫ですか? 名前は言えますか?」
ストレッチャーで運ばれるリサに看護士が質問する。
「ここは何処ですか?」
看護士は頭を打ったので、記憶が混乱しているのだろうと説明してくれる。
「貴女はノースウルヘン城跡から落下事故に遭ったのですよ。
あんな辺鄙な場所にたまたま通り掛かった人が、救急車を呼んでくれたのです。
名前は言えますか? 連絡先は?」
ストレッチャーから眺める天井には電気が煌々と輝き、蝋燭の明かりに慣れた目には冷たくて眩し過ぎる。
「私は……誰なのかしら? ここは何処なの?」
看護士は眉をしかめて、医者を呼びに行った。
『帰らなくてはいけない!』
混乱した頭で、自分が凄く大切な物を失ったのだと焦った。
ストレッチャーから降りると、くらくらと眩暈がしたが、何処かへ行かなくては! と突き動かされて走り出す。
「お待ちなさい! 何処へ行くのですか?」
白衣の医者に制されて、何処へ? と真っ白な頭で考えたのが最後だった。
鎮静剤を与えられ眠っている間に、レンタカーの会社の記録からケイトリンの両親へと連絡された。
「ケイトリン・ハモンドは私の娘ですわ! 何てこと、事故に遭うだなんて!
ウィンターヒル総合病院ですね、すぐに飛行機で向かいますわ」
母親は卒業旅行を一人で行かせたのを責めたが、父親はケイトリンも大人なのだと宥めて北部への飛行機に乗った。
「ケイトリン……なんでこんなことに……」
可哀想にと母親は額に掛かった黒髪を撫でつける。
「城跡から落ちて頭を打ったのだよ。
お医者さんも、少ししたら記憶の混乱は治ると言ってたじゃないか。
幸い、CTやMIRで脳に異常は見つかってない。
落ち着いたら、家に連れて帰ろう。
あの子も家なら記憶の混乱も治まるだろう」
鎮静剤から目覚めても、ケイトリンは自分はこの時代にいるべきでは無いと興奮したので、また鎮静剤を与えられた。
「アルフレッド様の元に帰らなくては!」
騒ぐケイトリンに医者は珍しいケースだと興味を持った。
医者は駆けつけた両親に、酷い錯乱状態なので長期の入院治療が必要だと告げた。
「娘さんは過去のノースウルヘン城で3ヶ月も過ごしたと言ってますが、落ちて数時間で運ばれたのです」
両親は記憶の混乱は根気よく治療した方が良いと退院許可を渋る医師を振り切って、ケイトリンを家に連れて帰った。
「まるで私の娘を医学論文の材料みたいに扱う医者には任せられないわ!
薬漬けにするだなんて」
愛情深い母親に抱き締められてケイトリンは涙を流す。
「ママ……私は確かに救急車で病院に運ばれた時は、記憶は混乱していたけど、今は正気よ! 信じて欲しいの」
愛しい娘の言葉を信じたいが、過去の城主と結婚すると言われても、困惑するばかりだ。
ケイトリンはどうしたらアルフレッドの元に帰れるのか? 毎日考えて過ごした。
「ノースウルヘン城に行かなくては!」
でも、それは自分を愛してくれている両親との永遠の別れを意味する。
それに、ジョンソン牧師の例もある。
毎回、同じ時代に落ちるとは限らないのだ。
悩んで痩せていく娘を両親は困惑して見守った。
『リサ! 私をおいていかないでくれ』
夢の中のアルフレッドが雪の降るノースウルヘン城の中庭に立って、暗い瞳で此方を見ている!
ケイトリンは例え両親と会えなくても、アルフレッドの元に行きたいと願ったが、上手くその時代に行けるのかは保証が無いのだ。
単に城跡から落ちて骨を折るだけならまだしも、頭を打って死ぬかもしれない。
毎日ケイトリンは自分の時代のノースウルヘン城跡と、アルフレッドの時代のノースウルヘン城に落ちた条件を調べた。
「パパ、ママ……私はアルフレッド様と結婚しなくちゃいけないの。
二度と会えないかもしれないけど許して下さい」
ケイトリンは両親を説得するところから始めた。
調べた資料で、自分がノースウルヘン城跡から落ちたのは夏至の正午で、あちらの時代では冬至の夜中だったと説明する。
「少し冬至祭はズレているけど、今の暦の方が正確だと思うの。
だから、冬至の夜中に落ちれば、夏至の正午に着く筈よ」
両親は勿論のことだが、大反対したがケイトリンの意志は強かった。
「クリニックに入院させた方が良いかもしれない」
両親は何ヶ月も真剣に話し合った。
「あの子を閉じ込めるの?
一時は安全を確保できるかも知れないけど、一生クリニックから出さないの?」
痩せていく娘を見ているのが辛いと泣く妻を抱き締めて、父親は大きな決断を下す。
「このままアルフレッド様と結婚しないで一生を無為に過ごすのは嫌よ!
そんなに心配なら、下に防護網を張るわ。
お願い! 親不孝な私をゆるして」
二人はジャンプして落ちても大丈夫な防護網を設置するならと、渋々許可をだした。
「そのかわり、一度っきりにしてくれ!
これで気が済んだら、前のケイトリンとして真っ当な人生を踏み出すと……」
ケイトリンはアルフレッドを諦める気は無かったが、両親に生まれて初めての嘘をついて頷いた。
両親はケイトリンが一度トライすれば諦めるだろうと手配を済ませた。
その日からケイトリンはしっかりと食事を取り出したので、両親はホッとする。
『アルフレッド様と結婚するのに、元気でなければいけないわ!』
それと同時にケイトリンはノースウルヘン城が何故廃墟になったのか? を調べたが、はっきりとしたことは解らなかった。
「ああいった古城は時代遅れになっていったのです」
飛行機で訪れたウィンターヒル市の歴史資料館でそう説明されて、何となく嫌なヘインズを思い出した。
しかし、そこでケイトリンは希望の光を見つけ出した。
「ノースウルヘン城について興味があるなら、カリザン大学のノースウルヘン教授を訪ねてみてばいかがですか?
彼はノースウルヘン城の領主の末裔ですから、詳しいと思いますよ」
『アルフレッド様の子孫が存在している!』
ケイトリンは胸を踊らせて、ノースウルヘン教授と会おうとしたが果たせなかった。
学会や出張などは理解できるが、電車が止まったり、嵐になって飛行機が飛ばなかったりと、何かが二人が出会うのを邪魔をしている気持ちになり、パソコンで調べて見る。
『アルフレッド様……私がこの時代のノースウルヘン教授と会うと、恋に落ちてしまうと邪魔をされているの?』
ノースウルヘン教授はアルフレッドを少し年を取らせたようなハンサムな教授だった。
直接は会えなかったが、教授の研究論文は検索できた。
『私はきっとアルフレッド様と結婚できる!』
絶対の自信はケイトリンも持ってなかったが、それを信じてノースウルヘン城跡からジャンプすることを決意する。
「ケイトリン、本当に飛ぶのかい?」
寒い雪が舞い散る冬至の夜に、ノースウルヘン城跡にやってきたケイトリンと両親は最後に抱き合った。
「パパ、ママ、私が結婚したら、何か証拠を残すわ。
カザリン大学のノースウルヘン教授を訪ねてみて!」
両親は上手く防護網にジャンプできるか見守る為に、雪の積もった階段を降りて待機する。
「これでケイトリンも気がすむよ」
車のヘッドライトに照らされたケイトリンは両親に手を振ると、大きく深呼吸してノースウルヘン城跡からジャンプした。
「ケイトリン!」
両親は防護網に落ちなかった娘を懐中電灯で探したが、何処にも見つからなかった。
「まさか、あの子は……」
がくがくと震える母親を父親は抱き締めた。
「私は信じていなかったのだ!
本当に時代を飛んだのか?」
二人は抱き合って、ケイトリンが無事にアルフレッドの元にたどり着くことを祈った。