4 縁談?
冬至祭でリサの存在が公になった。
いや、今までも隠していた訳ではないが、冬なのでノースウルヘン城から出ることも無かったし、通いの召使い達から噂は聞いていた領民達はここらでは見かけない綺麗な黒髪の女を見て驚いた。
「領主様の後添えかい?」
「いや、後添えならアルフレッド様の隣に座るだろう……愛人なのかな?」
リサは気づいてなかったが、城代夫人のマリアンやマーサは耳聡くて、困ったことが起きそうだと心配していた。
召使い達に聞けば、リサがアルフレッド様の寝室に呼ばれてないのは確かめられるし、まだ前の奥方の喪に服している態度から、再婚する予定も無いのも明らかだ。
貧しい農民はそんな野望は持たないだろうが、少し裕福な生活をしている者や、噂を聞いた近隣の郷士はリサの噂を聞きつけて色気を出した。
何処の誰か解らないのはマイナスだが、聞けば文字も読み書きできるし、計算も裁縫もできるのは便利だ。
下働きの女に掃除や料理をさせれば、ワンランク上の暮らしができるし、上品な人達とも付き合えると算段したのだ。
そんなことを知らないのは、アルフレッドとリサだけだった。
二人はお互いに意識しながらも、アルフレッドはそのうち記憶が戻れば去っていく女だと諦め、リサは記憶にはないが夫や恋人がいたのでは? と臆病になっていたし、どうしても此処に住んでいたとは思えなかった。
『もっと便利な生活をしていたと思うの。
蛇口を捻れば水が出たし、電気もあった筈だけど……』
一月過ぎる内に、リサは自分が覚えていると思っている生活は何かの夢では無かったのかと、疑うようになっていた。
田舎のノースウルヘン城だから不便なのかと、王都ヘッドスペークで勉強したという治療師ヘミングに尋ねたが、水道? 電気? と名前すら聞いたことが無さそうなのだ。
『私は……これからどうしたら良いのかしら?』
マーサはアルフレッド様は亡くなった奥方の墓に参ってて、お前さんを見つけたんだと話していたので、マントを借りて自分が倒れていたらしい場所に行ってみる。
その日は珍しく雪が降っていなかったのと、ちょうど一月前だとマーサが話したからだ。
何か自分が行き倒れていた理由が見つからないかと、城の外をリサは見ながら歩いたが、雪に覆われた白い大地だけだ。
領主の墓地は石造りの納棺場とその周りの鉄柵が、雪に半分埋もれていた。
『ここから帰る途中で、アルフレッド様は私を見つけたのね……』
何も雪に埋もれて見えないが、くるりと振り返って城まで歩いてみようとしたリサは、アルフレッド様が花を持って此方に向かっているのに気づいた。
『馬鹿ね! 奥方の命日なんだわ!』
自分を見つけたのは夜だったと聞いていたが、普通は昼に墓参りするのが常識だろうとリサは狼狽える。
アルフレッド様が亡くなった奥方を愛していた、いえ、まだ愛しているのを知っていたので、邪魔をしたような居心地の悪さを感じて、俯いて通り過ぎる。
アルフレッドは冬なので、花は少ないがひなたで咲いていた寒椿を一枝切り取って、キャサリンに捧げに来たのだが、墓地からリサが歩いて来るのを見つけてドキリとした。
雪のやんだ日差しの下で、リサの黒髪は艶々と輝いていたし、不格好なマントを着ても、スタイルの良さは隠せなかった。
アルフレッドは妻の墓参りを邪魔された困惑と、リサを抱きしめたい欲望に支配されそうになり、足早に通り過ぎるのを拳を握り締めて堪えた。
少し深呼吸して、キャサリンの墓の前に薄桃色の寒椿を供えて文句を言う。
「キャサリン……私を苦しめたいのか?
それとも試しているのか?」
金髪を揺らしながらキャサリンが、お馬鹿さんね! と笑う声が聞こえた気がした。
アルフレッドは優しいキャサリンがそんな真似はしないと苦笑して、御免と謝った。
リサに欲望を感じるのは、健全な男の生態だと溜め息をつき、春になったら何とかしなくてはと考えた。
『身分は解らないが、どう見ても農民階級ではない。
ウィンターヒルには貴婦人の付き添い役や、令嬢の家庭教師を求めている屋敷も有るだろう』
知り合いや遠縁のご婦人にリサを預けた方が良いとは感じているのに、記憶が戻るかもしれないとか、冬に旅は出来ないと引き延ばしているのだ。
城代のマーカスには、リサを娶りたいとの申し込みが来ていたが、アルフレッド様の気持ちを考えて保留にしていた。
1月も一緒に過ごせば、リサが本当に記憶喪失だとわかったし、王都ヘッドスペークの密偵ではないだろうと考えてはいたが、何処の誰かも解らない女性を城主の夫人にはできないとマーカスは悩んでいたのだ。
そんなある日、こんな辺境にも巡回の荷馬車隊が訪れた。
ウィンターヒルの冬至祭の市に参加して、少し田舎を巡って商売をしようと考えた商人達が警護を雇って毎年やってくるのだ。
領民達も少し遅れの市を楽しみにしていた。
自家製のチーズや木製の器や揺り椅子を売って、鍋や布を手に入れたりするのは年に数回の楽しみなのだ。
本当は夏至祭や冬至祭に合わせて来て欲しいが、大きな街を優先するのは仕方ない。
リサも余り布で巾着やバックを作って刺繍をしていたので、マーサと一緒に時期はずれの市へと出かけた。
ノースウルヘン城の前の広場に扇型に荷馬車を並べて、わいわいと商売している。
マーサは慣れていて、毎年来る商人の荷馬車に近づくと、塩や砂糖や香辛料を購入する。
その代わりに小麦や芋などを何袋も売ったりと、マーサは交渉に忙しそうなので、リサは一人で自分が作ったバックを売って何か買おうかなと見物に行った。
アルフレッドは家畜商が血統の良い馬を連れて来ていたら手に入れたいと、市の外れで馬を見ていた。
しかし、雑踏の中を歩くリサが領民の恰幅の良い男に捕まって、口説かれているのを目にした。
『一人で彷徨くなんて、不用心だろう!』
城代夫人のマリアンは布を選んでいるし、マーサは塩や砂糖を安く買おうと交渉中だ。
良い子馬を見ていたが、市の端からリサがいる場所まで雑踏を掻き分けて進む。
リサは裕福な中年男に、捕まって困惑していた。
「私には娘が4人もいるので、一緒に教育をしてくれる女手が必要なのです」
これは家庭教師として雇うと言ってるのか? それとも後添えなのか? とリサが戸惑っているうちに、家では羊を何十頭飼っているとか言い出した。
マリアンはリサが中年男に口説かれて困っているのに気が付いたが、市の端からアルフレッド様が救援に駆けつけているので放置した。
『リサの出自が解らないのは困ったものだけど、アルフレッド様が喪服を脱ぐ気持ちになられたのは喜ばしいわ。
リサは私の里の遠縁の娘とでも誤魔化せば良いわ』
城代夫人の思惑は、一人の小僧がゲホゲホと咳き込んだと思うと、集まった領民達にゲロを吐きかけて台無しになった。
アルフレッドは倒れた小僧を治療師に診せた。
「これは……いつから、この小僧は咳をしていたのだ!」
小僧の主人は一昨日ぐらいからですと答えたが、本人も体調が悪そうだ。
「アルフレッド様、これは質の悪い流行病です。
かかり初めの症状は風邪に似てますが、高熱と吐き気で弱った人や子供には危険な病なのです」
領民達は流行病と聞いて蜘蛛の子が散るように去ったが、市の商人達の何人かは既にうつっていた。