3 ノースウルヘン城の冬至祭
「毎日、雪が降るのね……」
リサは冬がこんなに寒いとは知らなかったと言って、城代のマーカス夫人を呆れさせた。
「ノースウルヘンは北部にありますからね。リサはきっと髪の色からしても、南部の血が混じってますよ」
ノースウルヘン城の住人は色の濃さはまちまちだが、金髪か茶髪の明るい色だったし、目の色も薄い色が多かった。
「でも、アルフレッド様は……」
城主のアルフレッドは褐色の髪の毛と、濃い茶色の瞳をしているわと、リサはうっとりと思い出す。
城代夫人のマリアンは記憶喪失のリサをある程度は信用していたが、アルフレッドがフレデリック王の血を引いていることを教えるのは戸惑った。
リサが南部の血が流れているなら、王都ヘッドスペークから来たのかもしれないのだ。
話題を変えて、縫っていた服をたたみだす。
「さぁ、これで冬至祭の服は用意できたわね」
城代夫人として、城主アルフレッド様を筆頭に、城代、治療師、警備隊、召使い達に新しい冬の服を用意しなくてはいけなかったのだ。
リサは縫い物はできたので、この半月はマリアンの指示で、召使い達のお仕着せを縫っていた。
男達はノースウルヘン城の旗と同じ緑色のチュニックを支給されるし、女達には茶色の服が渡された。
城代夫人は城主アルフレッド様の晴れ着をと考えていたが、相変わらず喪服の黒で良いと言われて溜め息をついたのだ。
「奥方様が亡くなられて、もう4年も経つのにねぇ……」
女主人の居ないノースウルヘン城には、男ばかりだとマリアンは不満を持っている。
料理番のマーサと下働きの女の召使いが数人しか居ないので、騎士階級出身のマリアンには話し相手も居なかったのだ。
記憶喪失のリサだが、本も読めるし、計算も凄く早い。
城代夫人としての台所とかの家計を預かっていたが、マリアンは計算は苦手なので、毎月夫にチェックをされては叱られていた。
リサは帳簿を見て、間違えをすぐに指摘して直してくれるのだ。
この点でリサはとても役に立つのだが、やはり名前も出身地もわからないというのは、どうしても信用ができないと思ってしまう。
『アルフレッド様がただのノースウルヘン城主なら、これほど警戒しなくて良いのでしょうけど……』
美人で賢いリサなら、アルフレッド様の寂しさを癒やしてくれるのだけどと、マリアン夫人は溜め息をつく。
『リサもアルフレッド様を憎からず思っているみたいだけど……まだ密偵の可能性も残ってるし。もう少し不細工なら、密偵では無いと安心できるのに……こんな田舎では見かけない美人だから、イザベラ大后の密偵かもと思ってしまうのよ』
マリアン夫人はリサの整った顔立ちが恨めしくなる。
この地方には珍しい黒髪はさらさらと腰まで伸びていたし、顔は細い卵型で形の良いすんなりとした鼻と、煌めく茶色の瞳、それにピンク色の唇はふんわりとキスされるのを待っているみたいだ。
『それに、記憶喪失で悩むリサは心細そうで、男なら抱き締めたくなるわよね。でも、リサは逞しい面もあるわ……私なら見知らぬ土地にこんなに早く馴染めたかしら?』
マリアン夫人は自分の用事が片づいたので、少し自由にしときなさいと休憩を与えた。
ノースウルヘン城の不自由な生活に少しずつ慣れていったが、リサも名前すら思い出せない自分が歯がゆくて仕方がなかった。
それと、たまに見るアルフレッドにどんどん惹かれる自分を持て余していた。
「年もわからないんだねぇ」
城代夫人の用事がない時は、優しいマーサがいる暖かい台所がリサのお気に入りだ。
「冬至祭で1つ年をとるのに、リサは幾つ豆を食べたら良いのかねぇ」
冬至祭には自分の年に1つ足した豆菓子を食べるのが、ノースウルヘンの地方の習慣だ。
城では豆を煎って貴重品の砂糖をまぶした豆菓子をマーサが用意するが、普通の家では煎って豆に塩をまぶすのだ。
男の中には塩豆の方がビールと合うと食べない者もいるが、実は家族に持って帰る口実にしているのだと、この地方で育ったマーサは知っていた。
だから、リサが100歳だと言わない限り、多めに作っている豆菓子が足りなくなる心配はないのだ。
「そうよねぇ、私はいくつに見えるかしら? 子どもでは無いけど、年寄りでも無いわ……」
リサは記憶に無いけど結婚していたのかしら? 子どもはいるのかしら? と考えると焦ってしまう。
『アルフレッド様に恋している場合では無いわ! 夫がいるのかも? 子供も産んでるかも? でも、全く覚えてないわ』
マーサは熱々のハーブティをリサに出して、自分とヘミングには温めたワインを分厚いカップにたっぷりとついだ。
「誰か私を探していないのかしら……私の親は何処にいるのかしら……」
ハーブティをすすりながら呟くリサを、マーサは優しく宥める。
「そのうちに思い出すよ」
マーサはリサを密偵だとは思ってない。
密偵なら城代夫人にもっと取り入ったり、城主アルフレッド様に色目を使ったりと忙しくて、こんな台所でぐずぐずしないだろう考えたのだ。
「リサ、両親が居るのかい?」
リサは少し考えて、よく解らないと首を傾げた。
「覚えて無いけど……両親が居なかったとは感じないの。愛されていた記憶があるのに、両親の名前や顔さえも覚えて無いのよ……」
治療師のヘミングはリサの言葉に頷いて、無理をしなくて良いと慰める。
「リサが両親に愛された記憶があるなら、それは本物だ。そのうちに記憶が戻れば、名前も解るさ」
そう言ったものの、記憶喪失の患者を診るのは初めてのヘミングだ。
木から落ちて一瞬記憶が混乱した男や、子供を亡くして記憶をねじ曲げた女は診たことがあったが、こんなに長期間の記憶喪失は知らなかった。
医学書を読んで、まれに記憶喪失のまま人生をやり直す患者もいると書いてあったが、それは家族とか知り合いがいて、今までの事を話してくれるからだとヘミングは溜め息をついた。
冬至祭にはノースウルヘン城の全員と、近くの領地の住民が集まった。
アルフレッドは新しい黒い服で参加していた。
リサは他の女達と同じ茶色の服を着ていたが、少しだけタックをつけたり、襟をつけていた。
ほっそりとした姿が、前のだぶだぶの服とは違って引き立っていたので、リサを知らない領民達は何処のレディだろうかと噂をする。
城代夫人の横に座り、リサは冬至祭を興味深く観察していた。
『冬至祭……一年で一番昼間が短い日だわ。この日を境に昼間が多くなるから、お祝いするのね……言葉の知識はあるけど、冬至祭は初めてだと思うわ……』
記憶喪失だけでなく、リサはどうしても自分がなこんな不便な生活をしていたとは思えなくて、困惑することが多かった。
一番の悩みは冬の寒さで、雪は見たことはあるのだが、ノースウルヘン城が特別に寒いのかしらと考えていたが、マーサに笑われてしまった。
「農家じゃあ、風が吹き込むからもっと寒いと思うよ。リサは本当に寒がりだねぇ、しっかりと食べないからだよ」
それと毎日お風呂に入らないのも、リサは信じられなかった。
リサはマーサにお湯を分けて貰い、布で身体を拭くだけでもしていたが、変わってるねぇと呆れられた。
「夏場は汗をかいたら水浴びをするけど、冬はそんなに風呂にはいりたがるのはリサだけだよ」
城主アルフレッドや、城代や城代夫人は週に1度ぐらいは風呂に入っていたが、部屋までお湯を運ぶのは大変な作業なので、リサは普通の人には贅沢なのだと溜め息をつく。
しかし、女の召使い達は冬至祭の前に、交代で台所の横のマーサの部屋でお湯を使った。
此処ならお湯を運ぶのが楽なので、髪の毛を洗ったりしたのだが、シャンプーが無いのにリサは困った。
「なにで髪を洗うの?」と質問して、全員から呆れられた。
「石鹸を知らないのかい?」
脂と灰を混ぜた塊をナイフで切って身体を洗うのはまだしも、髪の毛もこれで洗うと聞いて、やはりこの生活は体験したことが無いとリサは確信した。
しかし、周りの人から忘れてしまったんだねぇと同情されると、そうなのかしら? とリサは混乱するのだ。
教会めいた集会所で、たまに見かける年取ったジョンソン牧師が冬至祭のお祈りをしていたが、リサはアルフレッド様が亡くなった奥方の喪にまだ服していることばかりが気になっていた。
城代夫人はアルフレッド様の噂などリサに話さなかったが、半月もノースウルヘン城に居れば他の人から噂は耳に入る。
「キャサリン様が亡くなられて、もう4年も経つのにねぇ……そろそろ、再婚されても良い時期なんだがねぇ」
特にマーサはアルフレッド様の幼い時から知っているので、黒い喪服を着ているのに同情していた。
『キャサリン様はこんなに愛されて、幸せねぇ』
リサは胸がチクリと痛んだが、城主の温情で住まわせて貰っている自分の立場をわきまえなくてはと、惹かれる気持ちにブレーキをかける。
しかし、長い牧師の祈りの間、自然とアルフレッド様の長身なのに引き締まった身体や、褐色の少し癖毛の手触りはどんな感じなのだろうと、見ながら想像してしまう。
『私はアルフレッド様と寝たいと思っているのだわ……』
ノースウルヘン城でも召使い達は陰で付き合ったり、夫婦者もいたので、何となく寝たりしているのを感じては、リサは自分が男と寝たことがあるのか? と思い出せなくて困っていた。
何をするのかの知識はあるのだが、それをしたのかは記憶になかった。
しかし、リサの年頃なら結婚していても不思議では無さそうなので、もしかしたら夫がいるのかしら? と何回も思い出そうとしたのだが、どうも両親と違って居たかどうかも思い出せなかった。
綺麗な若い女に色目を使う男もいるが、リサは相手にしなかった。
でも、冬至祭の長いお祈りの間に、自分がアルフレッド様に欲情しているのに気づいてしまった。