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雪の記憶  作者: 今井りか
3/10

2  リサ?

「ここは何処かしら?」


 料理番のベッドを占領していた女が目覚めた。


「おや? やっと起きたのかい?」


 顔を覗かせた女には見覚えがある。


 昨夜、目覚めた時に暖かな飲み物をくれた人だ。


「ここは何処でしょうか?」


 そう聞いた途端、女は自分が何者かもわからないのだとパニックをおこす。


「ちょっと落ち着いておくれ! ここはノースウルヘン城だよ、あんたは昨夜アルフレッド様に雪の中に倒れていたのを助けられたのさ。治療師は村に病人が出て往診へ行ってるが、そろそろ帰って来るよ。そうしたら、何とかしてくれるよ」


 ふくよかな顔を心配にして見つめる女の声は親切そうで、女は少し安心した。


「ノースウルヘン城……」


 女は聞き覚えのある名前だと首を傾げた。


 ふと自分の着ている服を触って、ごわごわとしている毛織物の風合いに違和感を感じる。


「この服は……」


 記憶は失っているが、どう考えても自分の服だとは思えない大きさだ。


「ああ、あんたの服は濡れていたから、私のを貸したんだよ。それにしても、あの服は冬には向かないと思うがねぇ」


 服のお礼を言って、どんな服を着ていたのか見せて貰う。


「ほら、これだよ……色は鮮やかだけど、冬にこんな軽装で出歩くのはお勧めしないね」


 ベッドの上に置かれた服は、爽やかな水色のロングワンピースだった。


 女はそのワンピースが自分の物だと感じたが、雪の降る季節に着る服では無いと混乱する。


「何故、夏物のワンピースを着ていたのかしら?」


 暖かいとはいえエアコンで管理されてないのかしらと、女は身震いする。


「ともかく目が覚めたなら、朝ご飯を食べなきゃね。あんたは鶏ガラみたいに痩せているよ」


 ベッドから降りると、女は恥ずかしそうにトイレは何処か? と質問した。


 だぶだぶの服に履いていたサンダルをつっかけて、料理番の後に付いて行き、水洗トイレでは無いのだと驚く。


「ここは何処なのかしら……トイレットペーパーは何かの紙みたいだけど……」


 用をたして、水盤から柄杓で水を汲んで手を洗うが、タオルなど見当たらない。


 仕方ないので、荒い毛織物の服で手を拭いて、女は城の窓からの景色に呆然とする。


 雪が積もり白一色なのが問題なのでは無い。


「ここは何処なの? 建物が……低い建物しか許可されない美観地区なの?」


 混乱して外の風景を眺めていたが、城の窓にはガラスも嵌まって無いので、寒さに負けて台所に駆け込む。


 台所の窓には薄い紙みたいな物が張ってあり風は吹き込まないし、かまどの火で暖かい。


 女は改めて見回して電気が無いと驚いた。


 大きなかまどで料理番は美味しそうなシチューを混ぜているが、どう見ても木を燃料にしているようだ。


「私は何処にいるのかしら?」


 名前も出身地も忘れていたが、言葉や生活習慣は記憶に残っていた。


「ここはノースウルヘン城だと教えてやったのに、もう忘れたのかい? ほら、さっさと食べな」


 木の器に木のスプーンで食べるシチューは美味しかったし、身体も温まった。


 パンも軽くあぶって出してくれ、お腹いっぱいになった女は、遅ればせながら料理番の名前を尋ねた。


「マーサさん、親切にして下さってありがとうございます」


 マーサは照れるねぇと笑ったが、名前が無いのは不便だと眉をしかめた。


「名前……私は誰なのかしら? どうして此処にいるのかしら?」


 しまった! とマーサが慌てていると、丁度タイミングよく治療師のヘミングが帰って来た。


「おお! 寒い寒い! マーサ、何か暖かい物を食べさせておくれ」


 雪のついたマントを台所の外で一振りすると、暖かな壁の釘に掛ける。


「丁度良かったよ! ヘミングさん、この娘を見てやっておくれよ」


 治療師の顔になったヘミングは、女から事情を聞く。


「名前と出身地も、何故ノースウルヘン城の近くで倒れていたのかもわからないのか……では、わかるのは何かあるのかな?」


 女は服は自分のだと感じたと言葉少なく答えた。


 ヘミングは服を調べて、縫い取りの文字を読んだ。


「これがお前の服ならば、リサ・ローレンというのが名前ではないのか?」


 女はリサ・ローレンと口に出してみたが、解らないと首を横に振る。


 ワンピースを手に取って、タグを読んでみるが、自分の名前と感じない。


 その間、ヘミングはリサが農民でも召使いでも無いと、手を観察して気がついた。


 滑らかで節もない指は、労働とは無縁の生活を送っていた証拠だし、文字も読めるとしたら教育も受けていたのだ。


 ヘミングも王都ヘッドスペークからの密偵では無いかと疑った。


 何処かの農民の女が行き倒れていたのなら、酷い領主か亭主から逃げて来たのだろうと納得できるが、貴族階級と思われる女がこんな辺境へ来る理由が無い。


「何か隠しているのでは無いか?」


 厳しい視線に、女は困惑する。


「私は何故ここに居るのか解らないのです。私はここの人間では無いと感じます。もっと違う所に住んでいた筈なのに、思い出せないの!」


 ヘミングは治療師として、この女を追い詰めるような事を言ったのを反省する。


「貴女は記憶喪失なのだ。何かのショックで記憶の一部を喪失しているが、言葉や文字は覚えているのだから、そのうちには名前も思い出すでしょう」


 手を握って、混乱した女を宥める。


「思い出すかしら? そうしたら、この違和感も無くなるのかしら?」


 違和感? ヘミングが質問しようとした時に、城代のマーカスが入って来た。


「目覚めたのなら、アルフレッド様が質問があると呼ばれている。治療師のヘミングも一緒に説明しなさい」


 ヘミングはマーサに後で食べるからと言って、女と共にアルフレッドの書斎へ向かった。


 女は城の全てが物珍しく感じたが、助けてくれたという城主に会うのに少し緊張もしていた。


『どんな厳めしい人かしら……』


 石造りの城の城主のイメージは、中年のがっしりとした厳めしい男だった。


 城主の書斎には大きな暖炉に火がおこされていたし、窓にはガラスがはめてあった。


 大きな机に向かって書類を読んでいたアルフレッドは、城代が女と治療師を連れて来たので顔をあげた。


『まだ若いのね……悲しそうな瞳だわ』


 自分の方が困った状態なのに、女は暗い茶色の瞳に心臓が鷲掴みにされた。


 アルフレッドもだぼだぼの服を着ていても、ほっそりとした身体や、綺麗な黒髪、そして自分を見つめる煌めく茶色の瞳に見とれてしまった。


 ウォホン! とマーカス城代が見つめ合っている二人に呆れて咳払いする。


「身体は大丈夫なのか? そちらに座りなさい」


 ハッと我にかえったアルフレッドは簡単な応接セットを示した。

 

 城代などと打ち合わせをする時に使っているのだ。


 治療師のヘミングは、アルフレッド様は女に一目惚れしたのかと苦笑して、丁重に椅子に座らせた。


「アルフレッド様……私を助けて頂いたと、マーサさんから聞きました。ありがとうございます」


 記憶喪失の割にしっかりと感謝の言葉を述べる女に、アルフレッドは恋心を押し殺して疑惑を持つ。 


「何故、あんな所にいたのですか?」


 女は解らないと苦しそうに頭を抱える。


「記憶喪失みたいです。言葉や文字は読めるのですが、名前も住んでいた場所も覚えていません。何かショックを受けたのか、頭を強く打ったのかもしれません」


 どうすれば良いのでしょうと、女に不安そうに見つめられて、保護するしか無いだろうと溜め息をつく。


 この冬の最中に追い出したら命は無いだろうし、たとえ夏でも綺麗な女が保護する男無しで無事に生活できるとは考えられなかった。


 それに、この女を保護したいと心の奥底から暖かい物がこみ上げて来た。


「記憶が戻るまで城に滞在を許す。名前は、リサと呼ぶことにしよう」


 リサと名付けられて女は頷いたが、やはり違和感を感じる。


「滞在の許可を頂いたのはありがたいのですが……記憶がいつ戻るかもわかりません。何か私にできる仕事は無いでしょうか?」


 リサの言葉にアルフレッドは困惑した。


 どう見ても召使いには思えなかったし、妻が生きていれば付き添いの侍女も必要だが、男所帯なので身分のある女は城代の妻しか思い当たらなかった。


「それは……」


 自分のベッドを温めさせたくなる誘惑をアルフレッドは退けて、当分はマーカス夫人の手伝いをするようにと下がらせた。  

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