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雪の記憶  作者: 今井りか
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1  アルフレッド

「アルフレッド様、女が目覚めました」


 冷たくなっていた女が助かったと聞いて、アルフレッドはホッと溜め息をついた。


 領地の見回りから遅くなって帰ったアルフレッドは、亡き妻の命日だったと思い出して夜更けに墓参りしたのだ。


 女を抱き上げた時の髪の毛がさらりと零れた微かな音が蘇り、アルフレッドは禁欲の日々が長かったせいだと首を振る。


「それで、何処の……」


 城の管理を任せているマーカス城代に質問をしかけたが、アルフレッドは女が休んでいる部屋に向かった。


 こんな辺境の城の側に行き倒れるだなんて、怪し過ぎると思ったのだ。


 アルフレッドは王都ヘッドスペークからの密偵では無いかと疑いを持っていた。


 なのに雪に埋もれ掛けた女を見捨てられなかった自分の甘さに苦笑する。



 黒一色の服装に、唯一剣帯についたシルバーの金具だけがアルフレッドが歩くと微かに光を反射する。


 石造りのノースウルヘン城の廊下は冷え切っていたが、女の寝かされている台所の横の部屋は暖かかった。


 女は料理番のベッドに寝かされて、かまどで暖められた石を足元に置いて貰っていた。


「目を覚ましたと聞いたのだが……」


 料理番のマーサは、一旦は目を覚ましたのですがと言葉を濁した。


「どうも様子がおかしいので、暖かいワインを飲ませたら眠ってしまいました」


 連れて帰った時は真っ青だった顔色はうっすらとピンク色になり、黒い睫毛の影とのコントラストにアルフレッドは美人だと見とれる。


 幼い頃から暖かい台所に遊びに来ていたアルフレッドは、マーサに様子がおかしいとは? と質問する。


「それが……名前も、何処から来たのかも解らないみたいなのです。あまりにも苦しそうなので、暖かいワインを飲ませてやったら、パタンきゅーなんですよ」


 寒いノースウルヘン城では、これくらい子供でも平気で飲むのにとマーサは呆れる。


「名前も、出身地も知らないとは……」


 アルフレッドは記憶喪失という言葉は知っていたが、本当に目にしたことはなかった。

 

「治療師はまだ帰って来ないのか?」


 料理番はこんな雪の降る夜に出歩くのはアルフレッド様だけですよと、肩を竦める。


 アルフレッドは亡き妻の命日に墓まで歩いていたのだと見破られて、素っ気なく料理番に後を任せて出て行く。


「帰り次第に女を診察させろ」


 まだ王都からの密偵ではないとは確信を持てなかったが、肉を捌く腕力を持ったマーサを襲える力が有りそうには思えなかった。


「あんな綺麗な若い女は此処にはいないからな……」


 抱き上げた時の軽さと、さらりと落ちた黒髪の手触りを思い出して、アルフレッドは亡くなった妻の喪が長すぎたのだと、見知らぬ女に欲望を覚えたのに困惑する。


『キャサリン……酷い人だ! 私を置いて死ぬだなんて』


 書斎に飾ってある亡き妻の肖像画に、アルフレッドは愚痴をこぼした。




 キャサリンは幼い時からの許嫁で、アルフレッドが成人した8年前に結婚したのだ。


 キャサリンはこの地方の出身なので、ノースウルヘン城にもすぐに馴染み、二人は平凡な城主夫妻として一生暮らすのだと考えていた。


 しかし、王都ヘッドスペークへ呼び出しを受けた時から、二人の行く先に暗雲が立ち込めたのだ。


 田舎育ちのアルフレッドとキャサリンは、王都には慣れなかったし、早くノースウルヘン城へ帰りたいと願っていたが、王妃イザベラは許さなかった。


 何故なら、アルフレッドは王の庶子だからだ。


 イザベラと結婚する前に、田舎のノースウルヘン城から行儀見習いに王都に出てきたルシンダとフレデリック王は激しい恋に落ちた。


 周りは田舎の城主の娘など王妃に相応しくないと反対したが、ルシンダは身ごもり故郷に帰ってひっそりとアルフレッドを産んで亡くなった。


 フレデリック王はルシンダの死を悼んだが、周囲はホッと胸をなで下ろし、名門貴族の娘イザベラと結婚させた。


 イザベラ王妃はアルフレッドは庶子に過ぎないが、夫のフレデリック王の心にはルシンダの面影が今も残っているのが許せない。


 自分の産んだリアノン王子への忠誠を示せと、アルフレッドとキャサリンを王宮に留めて、どれほど田舎者かフレデリック王に見せつけた。


 リアノン王子は素直な青年で、辺境に住むアルフレッドに親切にしてくれたが、イザベラ王妃は冷たい心の持ち主だった。


 フレデリック王が病気になると、イザベラ王妃の仕打ちでキャサリンは青ざめた顔をすることが多くなった。


 アルフレッドは領地に帰りたいと、何度もフレデリック王に懇願したが、イザベラ王妃は反乱の準備でもするつもりかと激怒するのだ。


 そんな中、キャサリンは身ごもった。


 本来なら幸せの絶頂になる筈の妊娠を、アルフレッドとキャサリンは必死で隠さなくてはいけなかった。


 若くして結婚したリアノン王子だが、まだ世継ぎを得てなかったからだ。


 しかし、隠し通せるものでもなくイザベラ王妃の耳に入ってしまった。


「リアノン王子の子供が産まれるまでは、アルフレッドの子供など産ませてはいけない!」


 アルフレッドはこのままでは、キャサリンもお腹の子どもも殺されると感じて、故郷へと逃げ帰ったが……


 妊娠中の長旅が災いしたのか、キャサリンは流産して亡くなってしまった。


 それ以後、王都ヘッドスペークからの呼び出しをアルフレッドは無視している。


 病気だった父王フレデリックも亡くなり、リアノン王が戴冠する時もノースウルヘン城から一歩も出なかった。


 イザベラ大后は本当ならアルフレッドを殺してしまいたかったが、リアノン王には跡取りができない。


 妊娠しないアン王妃を見捨てて、側室を何名も秘密で与えたが、リアノン王の跡取りは産まれてなかった。


 重臣達はこのままリアノン王に跡取りが産まれなかったらと、ひそひそと囁きだしているのだ。


 アルフレッドが雪の中で倒れていた女を疑うのも無理はない事情があった。


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