せかいでいちばん
大きめのカップに入れたコーヒーから、ゆっくりと湯気が昇る。
湯気はやがて、彼のタバコの煙と混ざり、更に上昇していく。
私は、コーヒーをゆっくりと口に運びながら、彼の隣でそれを見ていた。
「…………」
「…………」
私たちは、特に話をしたりしない。お互いにあまり話をしないほうだし、逆にこうやってただ黙っているほうが心地よいのだ。
私たちの関係って、なんなのだろう。周りはよく私たちのことを『恋人』って言うけれど、でも、私たちは恋人のような『お付き合い』をしたことがない。遊園地にも、水族館にも出掛けたこともなければ、キスだってしたこともない。
いつだったか、彼に、
「私たちの関係って何なんだろね」と、ふざけ半分に聞いたことがあった。そのとき、彼は少し考えた後で、
「どうなんだろな」
と、答えた。質問を質問で返されてしまった私は、しばらく何も言えなかったが、その後で彼がまた、
「でも、俺はこうしているのは好きだ」
と言ったので、今度は別の意味で何も言えなくなってしまった。
今日も、私たちは彼の部屋でコーヒーを飲んでいる。私はミルクをたっぷりと入れてカフェオレを楽しんでいるけれど、彼はブラックだ。彼曰く、ブラックとタバコの相性はとても良いらしい。私は、彼以外からその話を聞いたことが無いし、タバコも本当は吸ってほしくないので、彼の言葉が一割も理解できなかった。
外を見ると、雨が降っていた。粒と言うより線に近い雨がサラサラと空間を滑る音が、とても心地よく聞こえて、私の視界は少しずつぼやけていった。
◆
気がつけば、私はソファーの上で横になっていた。いつの間にか、眠ってしまったらしい。体にはタオルケットが掛けられ、隣にいたはずの彼が、向かい側で座ったまま小さく寝息をたてていた。
私は、彼が起きないように注意しながら、静かにソファーから起き上がり、そっと彼の顔を覗きこんだ。
いつものちょっと無愛想な顔じゃなくて、心地よさそうにしている彼の表情は、新鮮でなんだかとても可愛らしかった。そんなこと、本人に言ったら、顔を赤くしながら怒りそうだけど。
彼は、気付いていないんだろうな。自分が思っているほど彼は大人じゃないこと。ときどき、小さな子供みたいに拗ねてること。そして、そんなとこが、堪らなく可愛いこと。
私は、なんとなく彼の肩に頭を預けた。彼が起きていたら絶対にできないことだ。でも、私はやってみたかった。他人と常に一定の距離をおきたがる彼は、いつも私が必要以上に彼に近づくことを許してくれない。だから、今のうちにしておこう。
ゆっくり息を吸うと、コーヒーとタバコのにおいが私の鼻孔をくすぐった。タバコのにおいが喉を刺激し、それをコーヒーの深い香りが柔らかくする。なるほど。確かに結構合うかもしれない。
耳を傾けると、彼の鼓動が小さく響いていた。子供のそれみたいに小さく、でも力強い音は、大人であろうと必死に背伸びする彼にぴったりだった。
そこは彼で埋めつくされていて、彼のにおいがいっぱいで、彼の鼓動が私の中まで響いていく。
そうして、私の鼓動は彼のよりも少しずつ速く打ち始め、身体が温かくなり、胸が少しずつ満たされていく。
――ああ、私はこの人が、世界で一番好きなんだ。