意識
先日ちらついた妄想を書いてみただけの駄文です。落ちもないので、つまらないです。
二月十四日。
まあ、バレンタインデーだよね。
チョコ一つ貰えるかどうかで男の価値が決まる。小学生の頃、同じクラスだった――言ってしまえば割と不細工な奴でもチョコ一つ貰っただけで俺には眩しく見えた。
正直バレンタインには苦い思い出しかない。たかがチョコレート一つですら俺は貰ったことがないからだ。
努力はした。
二月十四日は早めに学校へ行った。朝なら人気が少ないしチョコを渡す勇気も半分でいいだろうという配慮だ。
放課後は遅くまで教室に残った。放課後なら人気が少ないしチョコを渡す勇気も半分でいいだろうという配慮だ。
これを二月十四日以降一週間継続する。もし恥ずかしくて俺にチョコを渡し損ねていたら大変だからだ。
そんな努力が報われなかったからバレンタインには苦い思い出しかない。
何故こんな幼少の頃の思い出が蘇ったかと言うとだ。
まさに今日、この世に生を受けて三十二回目のバレンタインを迎えた俺の行動があの時と重なったからに他ならない。
いつもなら仕事場へは朝礼の十分前に着くように朝の支度をするが、今日はどうだ。特に何もないはずなのに、いつもより三十分も早く家を出ていた。
意識してるのか? バレンタインを……。
「まさかっ」
微苦笑しながら視界に入ったコンビニに立ち寄る。
俺だって、もういい歳だぜ? 今更バレンタインなんか意識するわけないだろ?
実際俺がバレンタインに胸躍らせていたのは高校生くらいまでで、すっかりおっさんになった今では朝のニュースでやってたバレンタイン特集を見て初めて今日がバレンタインデーなのだと気づくくらいだ。
おっさんの俺がバレンタインを意識してる……わけがねぇ。馬鹿馬鹿しいよな。
なんて考え事をしてる間に俺の手は何か箱のようなものを掴んでいた。
「はっ!?」
俺は手に掴んだこれを知っていた。
チョコレートだ。
赤い長方形。十二個入りのチョコレート。よく見ると箱の角にはリボンが印刷されている。これがバレンタイン仕様のチョコレートだと気づいた瞬間慌てて視線を箱から外し周囲を見た。
「なんだよ、これ……」
天井に吊された赤いリボンが謎の結界を作っていた。中心には俺がいた。
バレンタイン用の装飾だってことは分かってる。でも俺には天井から垂れるリボンが俺に無理矢理チョコを掴ませたと思えてならなかった。
甘い物は好きだ。でもチョコはない。俺は普段からチョコを買わない。糖分は主にアイスから摂取している。だからこそ今、無意識にチョコを手に持っているという状況は俺を十分に動揺させた。
意識しちゃってんのか? 俺が? バレンタインを?
若干の混乱を抱えたまま掴んでいた箱を陳列棚に戻す。
チョコを欲していた幼少期の俺でも、自分からチョコを買いに行くことはしなかった。ましてや無意識のうちにチョコを手に取っているなんて事態に陥ったこともない。
早鐘を打つ心臓を宥めながらペットボトルのお茶を手に取る。緑色のパッケージのやつだ。何となく俺を鎮めてくれそうだったからで特にお茶を買いたいわけでもないが。
そもそも俺は何故コンビニに寄ったんだ? 何を買おうとした?
バレンタインとかチョコとかをできる限り頭の隅に追いやりながら買いたくもないお茶をレジまで運ぶ。数人が縦に列を作っていた。最後尾に並ぶ。
こんな日もあるさ。
たまたま朝早く起きて、たまたまコンビニに入って、たまたまチョコを手に取っちゃっただけだろ。あるある。そんな日だってある。運悪くそんな日がバレンタインに当たってしまっただけであって、俺がバレンタインを意識してるとかそういうのではないはずだ。絶対。
前の数人がスムーズに会計を済ませると、レジを担当している店員と対面した。
茶髪でキレイめのお姉さんだ。お姉さんと言っても恐らく二十代前半で俺より年下だろう。そんな感じだ。
「いらっしゃいませ」
まだ若干寝ぼけた頭に優しい声で接客してくれる女店員。反射的に会釈をした。
「ご一緒にこちらはいかがですか?」
にっこり笑顔で勧めてきたのが何かはわかっていた。
「何これ?」
でも一応訊く。
「お嫌いですかチョコレート?」
チョコだった。レジ前に置いてある一個二十円くらいのチロル的なアレだ。
いやいやいやいや! ちょっと待って!
何で一個数十円の商品を勧めるんだ? 普通もうちょっと値の張るものとかじゃないのか、勧めるなら。栄養ドリンクとかさ!
何故今日に限ってチョコなんか勧めてくんだよ。
「テープでいいですか?」
「え? あぁ、はい」
チョコを勧めるのは諦めたのか会計が進む。俺は硬貨三枚、買いたくもないお茶の値段きっかりを女店員に渡してコンビニを出た。
おかしい。
さっきも言ったが、俺はもうおっさんだ。今更バレンタインデーなんか意識したりはしない。
そこで閃いた。
「意識してるのは俺の方じゃなくてバレンタインの方……」
知らぬまに考えが口から零れ出てしまった。
「あ! 気づいた! そうそう、そうだよ!」
ん?
後ろから上がる溌剌とした声に振り向く。
「わたし、わたし!」
コンビニ入り口付近のゴミ箱の横で少女が手を振っていた。まさか俺に対してだとは思わないから少し止まる。
「え……。反応悪い。わたしのこと忘れちゃった?」
赤いワンピースを着た少女がフランクな感じで俺に歩み寄ってくる。この時期この時間帯にワンピースだけで、すごく寒そうな格好だ。
「バレンタインだよ、わたし。思い出した?」
仁王立ちする俺の前に立ち俺に向かって少女は確かにそう言った。
さっき考えたアホらしい閃きが現実のものとなった。
俺はバレンタインを意識してなかった。意識して歩み寄ってきていたのはバレンタインの方。
「お前はバレンタインの精霊か何かか?」
「そうそう、そうだよ!」
ああ。
不思議なことってあるもんだな。
とりあえずカチカチっと小気味のいい音を鳴らしてペットボトルのキャップを外す。そして中身を一気に流し込んだ。
少し落ち着いたかもしれない。
「ねぇねぇ、感想は感想? わたしに会えて嬉しい? 興奮する?」
俺の前方で飛び跳ねる少女に若干の鬱陶しさを感じながら呟く。
「お茶買っといてよかった」