ダブルデート
日曜日、あいにくの快晴だった。日射しと合唱するかのように蝉がミンミンうるさい。その声で俺のフラストレーションはグングン上昇し、高度成長期も真っ青な状態だった。さらに追い打ちをかけるかのように、太陽は燦々と輝き、雲という日射し避けは皆無なほどの、ある意味悪意に満ちた快晴だった。
(……ていうか、なんでダブルデートなんだよ)
俺は心の中で、こんな状態に自分を追いやった則之に呪詛の念を唱え始めていた。
ちなみに学校で月乃に映画の話を持ち掛けたところ、
“面倒ね。ホントに面白い映画なの? つまらなかったら帰るから”
と、渋々行くことを了承した。
(………嫌なら来なきゃいいのに)
俺は言葉と行動が伴っていない月乃に呆れつつ、駅に到着した。
待ち合わせ場所は、学校から一番近い、いつもの駅。
朝10時集合ということだったが、電車を使う俺は早めに家を出ていた。時間は守るようにと小さな頃から言われ続けた俺の律儀な心意気を、少しは褒めてほしいものだ。
則之と空音も同じ電車を使うはずなんだが、この電車には俺しか乗っていないようだった。
現在の時刻は9時半。……早すぎた。当然月乃の姿も見当たらない。
……俺は、自分の律儀な心意気を後悔した。なにしろ今からみんなが揃うまでこの炎天下で待ち続けなければならないのだ。死ぬかもしれん。
とりあえず、駅のロータリーのベンチに座り、ジュースでも飲むことにした。適当な缶ジュースを買い、植木の周りを円状に囲ったベンチに座る。
やはり日射しが暑い。むしろ痛い。本当は日陰の位置に座りたかったが、その場所はすでに女の人が座っていた。
白色のワンピースに色白の肌。知らない女の人の隣になんて座れないし、向こうが気を使って移動して日焼けしてしまうのも可哀想と思い、俺は日陰を諦めた。
そんなジェントルマンな考えの元、俺はその女の人の木を挟んだ反対側のベンチに座っていた。
それから10分ほどたっても誰も来ない。やはり早すぎたか。俺の額には汗が迸る。既に帰りたくなっていた。
(こうなったのは誰のせいだ!! ……ああそうさ、早く来すぎた俺のせいだよ!!)
そんな自分でも意味が分からない出来の悪いノリ突込みを脳内で繰り広げていたところ、木の反対側からつぶやく声が聞こえた。
「……早く来すぎちゃったな」
女の人は、寂しそうな声をしていた。
(……こんなところに仲間がいたか。友達を待ってるのだろうか。それとも彼氏?……ぜひとも前者であってほしい。………いや、特に理由はないが)
しばらくすると、その女の人はケータイを取り出していた。しかしその人は、ケータイを開いたまま動かない。メールをしているわけでもなさそうだ。
その人は、一度空を仰ぎ、ケータイを耳に当てた。
ピロリロリン
………その時、俺のケータイが鳴り響いた。
着信画面を見ると知らない番号からだった。
「もしもし?」
『アンタ、今どこ?』
その声と高飛車な口調は、月乃だった。
(あれ? 連絡先交換しなかったっけ? ………あ、そういえば、アイツのケータイに俺の分を登録しただけだったな。ていうか、月乃も一度くらいかけて来いよ)
「いや、お前こそ今どこだよ」
『え? いや、あの………そう! もうすぐ着くのよ! それより、アンタこそ遅刻しないでよね!!』
「いや、俺もう来てるし」
『え!? 嘘!?』
「嘘じゃねえよ。今駅のロータリーのベンチに座ってる。
安心しろよ。お前が遅刻したわけじゃないから。俺が早く来すぎただけだ」
『ま、まあそうね。とにかく! 大人しく待ってなさいよ!』
(……切りやがった。まあ、もうすぐ来るみたいだし、もうちょっと待って……)
「晴司。早かったわね」
後ろから唐突に聞こえたのは、月乃の声だった。
(……てか早いなオイ。さっき電話切ったばっかりじゃねえか)
「お前、すぐそこまで来てたん―――」
振り向いた俺は固まった。
本日の月乃の服装。白色のワンピース。なんか、どっかで見たことあるような服だった。
俺は確認のため、木の反対側のベンチを見たが、そこには誰もいなかった。
(……おいおい、まさか……)
「……月乃、今来たのか?」
「当たり前じゃない。さっき電話で言ったでしょ? もうすぐ着くって」
「いや、さっき反対側のベンチに……」
「―――!!」
急にキョドリだす月乃。絵に描いたように慌てていた。
「そ、そんな……!! 同じ服を着た人ぐらいいるでしょ!?」
「………俺は服装とか、まだ何も言ってないのだが………」
「―――!!!!」
さらに慌てふためく月乃。もやは手遅れなのは、言うまでもないだろう………
(ていうか、どんだけ早く来てんだよ!!)
「そんなことより!」
(あ、流しやがった!!)
「なんの映画を見に行くの?」
「さあ……チケットは則之が持っているからなあ……」
「え? ちょっと待って? なんで田島くんが映画のチケットを持ってるのよ……」
「いや、それは………」
「おーっす晴司。柊。早いな」
「楠原くん、柊さん、お待たせ」
そんなことをしている間に、則之と空音が来た。
則之は見慣れた格好をしていたが、空音はしっかりオシャレな服装を着ていた。久々の空音の私服をマジマジと見ていた。
そんな俺の視線に気付いた空音。
「……服、似合ってるかな……」
「ばっちり! 似合ってるよ!!」
俺は親指を立て、ニッコリと微笑んだ。そんな俺を見た空音もまた、嬉しそうに微笑んだ。
(いや、実際似合ってるよ。オレンジをベースにした明るい色彩とトレードマークのポニーテールがマッチしてる。うん。いい)
その時、俺は背後からのとてつもない負のオーラを感じた。
「晴司………」
振り返って見てみると、月乃の顔は明らかに殺意に満ちていた。
「な、なんだよ………」
「ど う い う こ と ?」
「どういうことって………」
「なんであの二人がいるわけ?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
(……そういえば、映画に行こうとしか言ってなかったような気がする。則之たちのことは言うのを忘れてたな……)
「ごめんみんな。私、ちょっと急用を思い出したから帰るわね………」
「あからさまな嘘をつくな!!」
俺の言葉を無視し、駅に向かう月乃。
「柊!! さみしいこと言うなよ!! みんなで行こうぜ!!」
則之が月乃の前に飛び出し、強引に誘う。
「柊さん、せっかくなんで、みんなで行こうよ」
空音が月乃の前に立ち、優しく誘う。
……で、月乃は最後に俺の顔を見た。
「まあいいじゃねえか。せっかく暑い中来たんだろ? せめて映画くらい見て帰れよ」
「……わかったわよ……」
先日に続き、月乃は渋々了承した。
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それから俺たちは映画館に向かった。休日の市街地はやはり人が多かった。みなそれぞれが何かを目的とし、思い思いの店を出入りしていた。もちろん、それは俺たちも同じだ。途中、小物屋に寄ったりして時間調整をしたおかげで、上映時間前のちょうどいい頃合いに席に座ることができた。
その映画は洋画のラブロマンスものだった。則之とはまったく無縁の映画である。
俺はてっきりアクションものだと思っていたが……
そこには、二人の男と、一人の女がいた。
一人の男は女を愛し、女はもう一人の男を愛し、もう一人の男は昔病気でこの世を去った女性を今でも愛していた。全員が一方通行の恋をしていて、紆余曲折あり、終盤には、全員がそれぞれの気持ちに気付いた。
しかしその時、女を愛していた男が病に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。そして、女は初めてその男の大切さに気付いた。
残った男女は、それぞれの二度と戻らない人を生涯想い続けることを誓い合い、映画は終わった。
……とてもハッピーエンドとは言えない映画だったが、強烈なメッセージ性を感じた。
本当に大切なものなんてものは見えにくいものであり、だからそれに気付かず過ごす。そして、それを失った時、初めてその価値の大きさに気付く。それは人であり、物であり、夢であり………
それが何なのかは人によって違うだろう。だからこそ、失う前に自分の隠された声に気付き、そのかけがえのないものを大切にしなければならない。
この映画は、そう言っているように思えた。
(……俺にとって、かけがえのないものってのは、なんだろうな………)
柄にもなく、そんなことを考えてしまった。
映画のエンドロールが終わり会場が明るくなった。人々は立ち上がり、劇場の外への足を運ぶ。
「さてと、飯でも食いにいくか!」
則之は待ちきれなかったかのように、大きな声でそう言った。
(……お前、絶対退屈にしていただろ……)
「そうだな。月乃、どうだった?」
「………まあ、よかったんじゃない?」
「そうか」
月乃はずいぶん満足したようだった。しかも目を少し潤ませていた。
(……コイツでも泣くんだ……)
俺は素直に感心していた。
則之と月乃は会場を後にした。
俺も続こうとしたが、空音が会場から出ようとしなかった。いつまでも座席に座ったまま俯いていた。
(そういえば、映画が終わってから一言も発してないな……)
「空音? どうしたんだ?」
「…………」
空音はまだ何もしゃべらなかった。けど、誰もいない会場には、空音のすすり泣く声がかすかに響いていた。
(――ああ。そういうことか)
俺は空音のところへ行き、歩くことを躊躇する空音の手を取った。
「……あ……」
俺は空音の方を見ることなく、少し強引に空音を引っ張った。そして空音はようやく歩き始めた。
「空音。俺のすぐ後ろを歩いて来いよ。そうすりゃ、顔を見られないで済むだろ?」
「……うん」
空音は、言われた通り、俺の背中のすぐ後ろをついてきた。映画館の中を行き交う人は多かった。空音は、必死に隠れるように歩き続けていた。
「落ち着くまでは、こうして歩いていいからな」
「……ありがと」
それから空音は、少しの間、気持ちが落ち着くまで俺の後ろを歩いた。繋いだ手を離さないように、強く握っていた。
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それからは、近くにあるショッピングモールのレストランで食事をし、適当に店を回った。
月乃と空音は、思いのほか仲良く買い物をしていた。服を選びあったり、小物を見たり、まさに女子高生って感じだった。その姿には、月乃とは無縁のように思えた“青春”という言葉がよく似合っていた。
一方、俺はというと、その間は則之とショッピングモールの中にあるゲームセンターで時間をつぶしていた。
……だが、俺は何かが確実におかしいことに気付いていた。対戦型レーシングゲームを則之としながら、俺はそのことを確認してみた。
「なあ則之」
「……なんだよ」
「これは、ダブルデートなのか?」
「………」
「ダブルデートってのは、本来二組のカップルがキャピキャピ言いながらリア充を体感するようなものと、俺の中の広辞苑には載っているのだが……」
「………」
「……ダブルデートなのに、なぜ俺たちは、男だけでこうして対決してるんだ?」
「何も言うなあああああ!!」
則之の車は、派手にクラッシュした。どうも、則之が想像していたものとはかけ離れていたようだった。
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気が付くと、時刻は夕方になっていた。ショッピングモールの天井は吹き抜けになっているが、日が長くなったせいか、いまいち時間の感覚が間に合っていない。夕方だというのに、空はまだ青かった。
そろそろ帰ろうかと思っていたら、ふと、あることに気付いた。
「……あれ? 月乃は?」
月乃の姿が見えない。
「さっき飲み物を買いに行くって言ってたよ。そういえば遅いね………」
……特に理由はないが、何か嫌な予感がした。
「ちょっと、俺見てくるから。則之と空音は待っててくれ」
「お、おう! わかったぜ!!」
則之は大きな声で答えた。
俺は自動販売機があるところを探し回った。
(アイツが一人でウロウロしたら、いろんな意味で危ない気がする。変なことに巻き込まれてなければいいが………)
ショッピングモールの中は広かったが、意外と自動販売機のコーナーは少なかった。
しばらく自動販売機があるところを中心に探すと……いた。月乃だ。
通路を少し入った、あまり目立たない位置にある自動販売機の前に月乃はいた。
……そしてそこには、見るからに頭が悪そうな男二人もいた。
(不安的中、と……
ホント、嫌な予感だけはよく当たるもんだ)
俺は月乃の方へ行った。
「だから! さっきから言ってるでしょ!? アンタ達なんかとなんて行かないって!」
「つれないこと言うなよぉ。一緒に遊びに行こうぜえ?」
「俺らと遊んだ方が楽しいって、絶対」
月乃は、どうもバカ二人にナンパされていたようだ。
よく見ると、月乃の足は少し震えていた。いつもの強気な雰囲気はなく、顔は青くなっていた。
(……怖いなら逃げろよ)
正直、俺だってそのバカたちが怖い。ケンカなんてしたこともない。もし逆にからまれたら……もし殴られたら……そう思うと、足が震えそうになる。
(……でも、あんな状態の月乃を放って逃げるほど、俺は腐ってないし、腐りたくもない……!!)
俺は、三人の中心に足を踏み入れた。
「月乃。そろそろ帰るぞ」
「あ……晴司……」
月乃は、ようやく緊張から解放されたからか、安堵の笑みをこぼした。
そして、予想通りバカ二人は、俺にからんできた。
「なんだてめえは………」
「おめえは関係ねえだろが。どっか行けやコルァ」
(……うわあ、バカっぽい……)
月乃は、俺の背中に隠れるように立っていた。そして、気が付けば、俺の服の裾を力いっぱい握っていた。その手は、やはり震えていた。
「………」
俺は、一つの賭けに出た。
「おいアンタら。コイツは俺の連れなんだよ。悪いけど、他あたってくれねえか?」
「――んだとテメエ!!」
バカその1が詰め寄ってくる。
(来い、来い、来い、来い………)
そして、俺の胸ぐらを右手で掴むその1。
(……よし!)
俺は右手で胸ぐらにあるバカの手を掴み、左手をバカの右肘にあてがい、素早く相手の腕を反転させる。
「痛っ―――!!」
相手は苦悶の表情をする。それもそうだろう。右手首と右肘、さらに右肩を同時に固めてるんだから、並の人間なら痛くて動けないはずだ。
すると、バカその2が、その1のピンチに動き出そうとした。
「動くな!!!!」
俺が声を張り上げると、その2は動かなくなった。
「……今動くと、コイツの腕がどうなっても、責任とれないよ?」
「痛っ―――!!!」
腕をさらに締め付けると、その1は更なる苦悶の声を漏らした。そんなその1の声を聞いたその2は、小さく頷いた。
それを確認した俺は、その1に静かに話した。
「さっきも言ったけどさ、コイツは俺の連れなんだよ。悪いけど諦めてくれないか?」
その1は苦痛に顔を歪ませながら、しばらく俺の顔を睨み付けていた。しかしやがて、その1も小さく何度も頷いた。
俺はゆっくりと手を離し、その1を解放した。
腕をおさえながら、さらに睨むその1。睨み返す俺。
(……超怖い。俺が知ってる護身術は、これ一つだけだしな。さっきはたまたまコイツが狙い通り、俺の胸ぐらを掴んでくれたからその護身術が使えたが……
――もしこれで殴り掛かられたら、俺はフルボッコ間違いなしだな……)
俺は相手に悟られないように、心の中で来ないことを祈り続けた。
「………チッ」
しばらく睨み合いをした後、バカ達は小さく舌打ちをしてその場から立ち去った。そして、奴らは人波の中に消えていった。
「……ふう、怖かったああ……」
俺はその場に座り込んだ。今更ながら、足は絶賛ガクブル中だ。
「……カッコつけるなら、最後までカッコつけなさいよ」
月乃が俺の背中から呟いてきた。
「無茶言うなよ。俺もう足が震えて限界なんだよ」
実際、いまだに震えが収まらない。チキンな小市民である俺にしては、よく頑張ったと思う。自分で自分を褒めてあげたいくらいだ。
「それよりも、ケガはないか?」
「……うん」
「そうか。よかった。……でもな、ああいう時は逃げろよ。今回はたまたま助かったけど、どうなってたか分からなかったぞ?」
「……だって……」
「だってじゃないって。あれで、もしお前がケガでもしたどうするんだよ」
月乃は俯いてしまった。手を胸の前でギュッと握っている。
(……よく考えたら、コイツはもっと怖かったんだよな。そんな状態で逃げろって言われても無理か……)
「……ま、ケガがなかったからよかったよ。あんまし離れんなよ?」
「……がとう……」
月乃が何か呟いた気がした。
また声が小さすぎて聞こえないんだが………
「なんだって?」
すると月乃は急に顔を上げ、大声で叫んだ。
「……遅いって言ったのよ!!!」
「………へ?」
「来るのが遅すぎ! バカと話しちゃったじゃない!! もっと早く来なさいよ!」
(えええええええええ……そう来るの!?)
「まったく……ほら、さっさと二人のところに戻るわよ!」
「いや、ちょ……」
「早く!!」
月乃は、俺を置いてズンズン歩いて行った。
(それはないんじゃないの月乃さん……)
==========
その後、俺たちは則之たちと合流し帰宅した。
帰り道、則之は何か難しい表情をしていた。空音は、どこか清々しい表情をしていた。
(……何かあったのか?)
俺は、何か引っかかりつつ、家に帰った。