不器用な彼らの空模様
「楠原、この書類をデータに移してくれ」
「マジっすか……俺、もう今日の分終わったんですけど……」
「そう言うなよ……じゃあ頼むぞ」
その言葉を残し、バーコード頭の課長は俺の席に大量のファイルを残していった。
「………はあ」
俺は、溜め息を吐きながら、一度シャットダウンしたパソコンを立ち上げる。
あの日、月乃が旅立った日から約四年が経ち、俺は二十一歳になっていた。
高校を卒業したあと、俺は大学には行かなかった。元々大学に入るだけの頭なんてなかったし、これ以上母さんたちに迷惑はかけたくなかった。そして高校卒業後、俺は地元から少し離れたところの小さな会社に就職した。給料は安く、毎日こき使われる生活。俺は、十分すぎるほど、社会の荒波に晒されていた。
(今日は昼上がりじゃなかったのか? これ、夕方になるぞ……)
俺は愚痴を頭の中で零しながら、ひたすらにパソコンを叩いていた。パソコンから聞こえるカタカタという音が、俺のイライラを増幅させていた。
そうそう、他の奴の話をしようか。
まずは黎。
黎は、高校卒業後、その優秀過ぎる頭脳をもって、最難関とされる国立の大学に悠々と……行けるはずだったのになあ……
なぜか黎は大学に行かなかった。その最難関とされるはずの大学もA判定を取っていたはずなのだが……俺が大学に行かないと知るや否や、自分も行かないと言い出した。先生たちは必死に黎に大学行きを勧めた。当然だろう。学校の名誉にもなるし。それでも黎は首を縦には振らなかった。
……結局、黎もまた地元の企業に就職した。俺と同じ会社を狙っていたらしいが、残念ながら、俺はそっちの会社に落ちて、黎だけが受かった。黎も辞退しようとしたが……千春さんの逆鱗に触れ、泣く泣くそのまま就職していた。
まあ、そこはあの“黎”。みるみる頭角を現し、今ではあっという間に課長補佐にまで昇進していた。
……超人、恐るべし……
次に陽子先輩。
先輩は大学に進学し、今年で卒業を迎える。何でも、やりたいことが見つかったらしい。それが何かは言ってくれなかった。“後でのお楽しみだよ”ってことらしい。
いったい何を目指しているのやら……まあ、何にせよ、やはり超人。きっと思う通りの人生を歩んでいくだろう。
……ちなみに先輩は大学一年の時、大学のミスキャンパスに選ばれた。圧倒的大差を誇って。
別に陽子先輩が立候補したわけではなく、他薦によるエントリーだったが……先輩はあろうことかその舞台で、はっきりと宣言したのだ。“私には好きな人がいます”と。
もちろん会場は騒然となった。ソイツを探せ的なノリに。だが、しめたことに俺はその場にいなかった。よって、俺は難を逃れたわけだ……
続いて星美。
星美もまた、大学生となっていた。ただ、特にやりたいことがあったわけではないらしい。それでも、国立大学に進学した星美もまた超人なのだろう。そんな超人なら大丈夫だ。きっと、いつかやりたいことを見つけて、その夢を叶えてしまうだろう。それでこそ、超人。
ただ、気になるのは星美の発言だ。“先輩、私は二番目でもいいですから”と、星美は卒業まで言い続けた。
……星美は、その言葉の意味をあまり考えずに言っていると見た。
純粋というか無垢というか……
空音と則之。
二人は、結婚した。最近の話ではあるが。どうも二人が正式に付き合い始めたのは、高校を卒業してかららしい。それまでは、言わば試験運用的な関係だったようだ。
……それでも結婚式の日の、二人の幸せそうな顔は、今でも忘れられない。俺にもいつか、あんな日が来るのだろうか……
則之は建設関係の仕事をしている。空音は普通のスーパーのパートタイムで勤務している。
今の目標は、一軒家の購入だそうだ。実に夢がある。
千春さんと母さん。
千春さんと母さんは、相変わらず忙しい日々を送っている。本当は、母さんの会社に内定していた。母さんが手を回してくれたらしい。
……でも、俺はその会社には行かなかった。自分の人生は、自分で決めたかった。そう言って断った時、母さんは残念がっていた。それでも、どこか安心した顔をしていた。
千春さんは……言うまでもなく千春さんのままだった。家では豪快に酒を飲んでタバコを吹かす。
ああ、俺はあの家を出た。千晴さんと黎は止めたが、そういうわけにはいかない。大人の結婚をしていない男女が、同じ家に住むのはさすがに……
間違いなんて起きないが、俺の身が危ない。何しろ、黎のあの“病気”は一向に治まる気配がないからだ。
今の俺は、安くてぼろいアパートに一人暮らしをしている。一人暮らしは色々大変だった。家賃、電気代、ガス代、食費……色々なお金関係を考えなくちゃいけない。これまで、千春さんが全て考えてくれていたことだった。それをいざ自分で考えると、色々頭が痛くなる。
それでも、一人暮らしは自由で溢れていた。そう、フリーダム!!
でも、時々寂しくなるときもある。何事も一長一短ということだろう。
……そう言えば、一人忘れていた。
月乃は、帰ってこなかった。ケータイも解約したようで、連絡を取れない。今、アイツが何をしているのかなんて分からない。
詩乃さんは、どうなったのだろうか。月乃は、何をしているのだろうか。
でも、俺にそれを確かめる術はない。だって俺はアイツの居場所なんて知らないし、知りもしない海外を転々とアイツを探すなんてのは不可能なわけで。
……俺の中では、半分思い出に変わっていた。
==========
俺が仕事を終わる頃には、辺りはすっかり夕方になっていた。
(くそ……やっぱりか……)
俺は再び愚痴を思いながら、夕暮れ時の道を歩いた。スーツは未だに歩きにくい。全然慣れない。固っ苦しい。
俺の住む町は、昔ながらの情緒溢れる街並みが多い。そんな街は、俺の地元とどこか似ていた。
空を見上げれば、そこにはオレンジ色の空と雲と太陽がある。昨日は曇りだった。その前は雨だった。毎日毎日、そうやって空は違う顔を見せている。
そんな空を見た俺は、自然と顔が綻んでいた。
「……さてと、帰るか」
俺は家路を急いだ。
これからも、俺たちはそうやって様々な顔を見せる空の下で、様々な出来事を経験しながら、それぞれの道を歩いて行くのだろう。時に出会い、時に別れ、それを繰り返しながら、人生は進んでいくのだろう。
そこには、同じ景色なんてない。同じ空なんてない。毎日違う顔を見せながら、光と影を繰り返していく。
そうやって、俺たちの空模様は続いて行くのだろう。
どこまでも……ずっと……
……ふと、歩く俺の耳に、子供の泣き声が聞こえた。
特に気になったわけではなかったが、なんだろうな、子供の泣き声には、人の中に眠る“良心”って奴を呼び起こす効果があるようだ。
俺の脚は自然とその声の方を向いた。
その声は小さな公園から聞こえていた。公園の中央では、一人の女の子が泣いていた。
そして、そこには先客もいた。
GパンにTシャツ、帽子というシンプルな服装だったが……女であることが分かった。
――よく知ってる女に、とても似ていた。
「――――」
……一つ、訂正しよう。
同じ空なんてない。……でも、よく似た空は、たまにある。雲が微妙に違う形をしているだけとか、飛んでなかったヘリコプターが飛んでいるとか……
その景色も、限りなく過去の景色に近かった。違う所は、地元ではなく少し離れた街であること。男の子ではなく女の子だったこと。俺が学生服ではなく、スーツを着ていたこと。
(……ハハ)
何でアイツがここにいるのかとか、いつ来たのかとか、色々思う所は多い。きっと器用な奴なら、ここで何かしらのアクションをして、感動ポイントを稼ぐのだろう。
……しかし、残念ながら、俺は不器用だ。
どうすればいいかなんて分からないし、どうしたいかなんて分からない。
だから、今の俺に出来ることをするしかないわけで……
それを思った俺は、少しだけ微笑み、その二人のところへ向かっていく。
――どうやら、俺の生活では、まだまだ知った光景が続くようだ。
そこにはきっと、俺の知ってる“奴ら”がいるだろう。
……延長戦とも言える空模様が、続いていくんだ。
これからも、ずっと。
「……迷子なのか?」




