弁当の怪
昼休み。いつものように則之が俺の席に来た。これから楽しい楽しい昼食タイムだ。学校生活で一番のイベントと言えよう。ある奴は弁当を開き、ある奴はパンの袋を開け、またある奴は食堂という名の戦場へ向かっていく……そんな、いつもの光景が広がっていた。
……だが俺は今日、月乃と登校したことで、習慣であったはずの昼飯の購入を忘れていた。よって俺は、空腹を抱えた亡者が群がる学食に行き、激戦を制しパンを購入しなければならなかったのだ。
俺は覚悟を決め、席を立とうとした。
その時、いつの間にか月乃が俺の席の隣に立っていることに気付いた。
そして月乃は、少し恥ずかしそうに俯き、いつもよりも小声で話してきた。
「晴司。あの……一緒に、ご飯食べよ」
おおおおお!
クラスがどよめいた。
(……なぜお前らはいちいち反応するのだ)
「あ、その……別にかまわんが、ちょっと待ってろ。今日の俺は昼食を持参していなくてな。今から学食でパンの争奪戦を繰り広げなければならないのだ」
俺は戦地に赴くべく席を立った。すると、月乃がそんな俺の服を引っ張って静止した。
「……あの、晴司の弁当……作ってきてるから……」
そう言って、月乃はピンク色のハンカチに包まれた弁当箱を差し出した。
「……おいしいかわからないけど、頑張って作ったの」
おおおおおおおおおお!!!
さらに大きなどよめきが起こる。
(……だから、いちいちうるせえよ!)
クラス中の視線が注がれている気がする。健気に手作り弁当を作る柊月乃……なるほど、絵になるな。男たちからは、通常時の二倍ほどの殺気がヒシヒシと感じられた。
「せ、晴司、俺はあっちで飯を食べるから……今日は柊とゆっくり食べろよ………」
則之は、絶え間なく送られてくる殺気に耐え切れず逃げ出した。
(あんにゃろう……)
「……無理して食べなくていいよ。私、あんまり料理作ったことないんだ。おいしくできてるかわからないし……」
(そんなに追い詰められた表情されたら、非常に心が痛い……)
よって、俺の答えの選択肢は一つしか存在しなかった。
「……食べさせていただきます」
心のどこかで浮かれている自分がいた。
(当たり前だろ? 天下の柊月乃の手作り弁当だぞ? 浮かれない奴なんていないだろう? もしいたら、ぜひともお目にかかりたいものだな)
俺はゆっくりハンカチをほどいた。そこには、青色の弁当箱が。さらに強さを増す視線と殺気。俺は、おそるおそるフタを開けた。
中身は、意外とシンプルだった。ご飯、玉子焼き、ウインナー、野菜炒め。うむ、殺風景だ。
だがしかし……いや、だからこそ、その破壊力は抜群だった。
誰がどう見てもただの手作り弁当。紛れもない、素人が作った弁当。それを前に際立つのが、さっきの月乃の話である。
“頑張って作ったんだ。あんまり料理をしたことがないから、おいしいかわからないけど”
(……完璧な伏線だ)
羨む男たち。うっとりする女子たち。確かに、並の男ならこれで悩殺しているだろう。
(だが、甘いな柊月乃。俺がこの程度でホレると思ったか!!
………いや、嬉しいのは嬉しいが)
とりあえず、俺は玉子焼きから食べてみることに。
「いただきます」
パクッ
……………………
…………………………………
……………そこは、きれいなお花畑だった。お花畑の向こうには、キラキラと清らかに流れる川が見える。
“晴司。晴司”
(その声は、じっちゃん?)
岸の向こう側から、死んだじいちゃんの声が聞こえた気がした。
“晴司、お前がここに来るのは早すぎるぞ。早く戻れ”
じっちゃんは、か細い声を俺に出し続けていた。
(でもじっちゃん! 俺、ここがどこかわからないよ!!)
“早く戻れ。早く戻れ……”
だんだんと小さくなるじっちゃんの声。そして遠退いていく俺の意識……
………………………ハッ!
「晴司? どうしたの?」
月乃が俺の顔を覗いていた。どうやら俺は、一口でアッチの世界に逝っていたようだ。
俺は目頭を片手で摘みながら、現状を確認することにした。
「……OKOK。これは、お前が作ったんだよな?」
「だから、そう言ったじゃない……おいしくなかった?」
……いや、おいしいとか、おいしくないとかの話ではない。それを超越してる話だった。
(なんたって、一口でアッチの世界逝きだからな………尋常じゃないぞ)
これは兵器か? 俺を亡き者にしようとする作戦か?
……いや、それはないだろう。こんなものを世間に公表すれば、月乃のイメージダウンにつながる。それはコイツのプライドが許さないはずだ。
月乃の真意を考えていた俺の箸は止まっていた。しかし、依然として熱い視線は送られる。
(……俺は、この弁当を食べた。ということは、その感想を述べる義務があった。後はどう答えるべきか。正直に言った方がコイツの今後のためになるかもしれないな……)
そう思っていると、さっきの月乃の言葉が脳裏を過った。
……俺は、自然と言葉を口にしていた。
「……………おいしいよ」
俺は、現時点自分にできる最大限の笑顔で答えた。
うおおおおおおおお!!!
その瞬間、教室に歓声が響いた。
そう! 今この時をもって、ここに、完全無欠の美少女超人が誕生したのだ!
頭脳明晰! 運動神経抜群! 顔よし! スタイルよし! 性格よし! おまけに家庭的!
もう言うことないね! ……真実を知らなければ……
俺が真実の残酷さを垣間見ている間も、教室中はお祭り騒ぎだった。この学校には、どうもアホが多いみたいだ。
しかし、ちょっとマズイ事態になっていた。盛り上がりすぎている。このままいけばおそらく…………
「楠原! 俺にも一口くれよ!」
「私も!」
「俺にも!」
……やっぱりそうなった。完全に予想通りだった。
(月乃よ、照れてる場合じゃないぞ。ていうか味見してないだろ、絶対)
褒めちぎる周囲と、本当に嬉しそうに微笑む月乃を見た俺は、一人静かに腹をくくった。
おもむろに立ち上がる俺。集まる視線。何事か、と言わんばかりの表情で見つめる月乃。
「晴司?」
「……みんな、悪いな。月乃の弁当は、俺だけのもんだ!!!」
唖然とするクラスの奴らをしり目に、俺は弁当箱を手に取った。深く深呼吸をして、遠い日のじっちゃんの姿を思い浮かべた………
(じっちゃん……今、そっちに行く……)
気が付けば、足が震えていた。俺は今、未知なる扉を開く時が来たのだ。
(――いくぜ!!)
そして俺は、箸を握る手に力を込め、弁当の中身を口に掻き込んだ。
ガツガツガツガツガツガツ………!!
俺は一心不乱に弁当を食い始めた。
いや、それはもはや“食べる”ではなく“詰める”であった。
どよめく教室。戸惑う月乃。
(考えるな! 味わうな! とにかく腹に詰めろ!!)
ガツガツガツガツガツガツ………!!
時間にしたら、わずかな時間だったのかもしれない。しかし、永遠とも思える時間を感じた。
まるで過酷なレースの終盤のように、俺の中で意識とあの世が交互に押し寄せる。
……………カラン
空になった弁当箱を机に置く。俺は、あまりにも過酷なレースを何とか制覇したのだ。
「ゴチ……ソウ………サ………マ…………」
おそらく俺の顔は蒼白になっているだろう。目の前が眩む。言葉がどうしても片言になってしまう。このまま眠りたい衝動に駆られる。
……しかし、今ここで倒れるのはマズイ。
「オレ………ジュース………カウ…………」
やはり俺の言葉は片言になっていた。俺はふらふらしながら、廊下に向かって歩いて行った。ドアが目の前迫る。
(……もうすぐだ。もうすぐ寝れる)
俺は、ドアをまたぐ際、敷居に右足をつまずかせた。そして、俺はそのまま倒れた。
(――グッジョブ俺。安らかに眠れ)
俺の意識は、静かにフェードアウトした。
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……眠っていた俺は、ふいに妙な感触を感じ、意識を取り戻した。
「なんだ………?」
気が付くと、俺は保健室のベッドにいて、時刻は夕方になっていた。夕暮れの日射しが保健室に射し込んでいる。窓の外には、下校する生徒の姿が見えたが、かなり少なくなっていた。
……ふとベッドの隣を見ると、月乃がイスに座ったまま居眠りをしていた。
俺は改めて月乃の姿を見た。窓からの優しい夕陽の光は、眠る月乃の顔を照らしていた。その顔は、全てのパーツがお手本のような形をし、さらにお手本のような絶妙なバランスで顔に配置されていた。まさしくそれは“美少女”と賛辞されるような顔だった。
「………黙ってれば可愛いのにな………」
月乃の体がピクッと動いた。俺が思わず呟いた言葉で起こしてしまったようだ。そして、少し時間を置いて月乃は静かに目を開いた。
「悪い。起こしたな」
「………別にいいわよ」
月乃少し不機嫌そうだった。ムスッとした表情で俺から目を背けていた。
「ずっとここにいたのか?」
「……まさか。先生が会議で抜けるから、私が代わりにいただけよ。それに、付き合ってる彼氏が倒れたのに、それを置いて帰るなんて不自然でしょ?」
「まあ、確かにな」
(俺はコケて失神したことになっていたのか……よし)
「……ところで、アンタバカなの?」
「唐突に暴言を吐くな。ヘコむぞ」
「あの弁当を一気に食べるなんて……バカ以外の何者でもないでしょ」
月乃は呆れた顔で言い放った。
「知っていたのか?」
「私の分も作ってたら食べたのよ。あんなの食べ物じゃないわ。兵器レベルね。」
(……それ、自分で言うか?)
ふと、月乃は俺の方を向いた。そして、それまでの不機嫌な顔を真剣な表情に移した。
「ねえ、なんであんなことしたの?」
(あんなこと? ……ああ、兵器一気食いのことか。コイツは俺のことを心配してるのか?)
「あんなの、人に食べさせるわけにはいかないだろ? お前のプライドだって傷つくだろうし」
(……被害者は俺一人で十分だ)
「別によかったわよ。私ぐらいの可愛さになると、少しくらいマイナスがあった方がいいのよ。ギャップってやつ? 一つでも弱点があったほうが、人間は魅力的に見えるのよ」
月乃の言葉は、半分やけくそに聞こえた。
(……いや、あれは少しくらいの弱点ってレベルではないのだが……)
「それだけの理由であんな無茶するなんて………ホント、バカね………」
月乃は寂しそうな表情でつぶやいた。月乃があの弁当に込めた想いってのは、俺のことを想ってのことだったんじゃないのかもしれない。
それでも俺にはまだ、月乃に言わなければならないことがあった。
「理由なら、他にもあるぞ?」
「何の理由があるのよ?」
「あの弁当、見せかけにしろ、お前が俺のために作ったんだろ?
――だったら食べきるのが礼儀ってもんだ。相手の気持ちが込もったものだから、俺も全力で答えたかったんだよ。
だから、その、なんだ? ………ありがとな」
その瞬間、月乃は再び目を伏せた。そして、両手で膝をギュッと握り、一度大きな息を吐き、急に立ち上がった。
「……アンタのせいで、すっかり遅くなったわ。帰るわよ」
(コイツ流しやがった! 俺の発言を返せ!)
月乃はさっさと保健室を後にした。
俺はやむなくベッドから起き上がり、二人で職員室に挨拶に行った後、学校を出た。