遮る花
月乃と立つ場所には、俺たちしかいなかった。目の前の景色にはたくさんの人がいるが、その波、うねりは、俺たちとは違う世界のように見えた。喧騒と笛の音、様々な音は耳に入るが、心臓の鼓動がそれを上回るほど耳に響いていた。
俺は、決めていた。
こんなにもカッコ悪くて、こんなにも中途半端で、こんなにも優柔不断な、どこまでも凡人である自分でも、たった一つ、決めたことがあった。
それは、きっと色んな人を傷付けることになると思う。色んな人を泣かせることになると思う。
(……それでも、俺は決めたんだ)
俺はタイミングを見計らっていた。……いや、違うな。俺は躊躇してるんだと思う。
自分の気持ちを相手に伝えることは、自分の意思をさらけ出すこと。俺は、それが怖いんだと思う。
過去にそれは苦痛しか生まなかった。勇気を振り絞って出した言葉は拒絶された。だから俺は、それをしたくなかった。再び傷付くことが怖かった。
……でも、俺は、前に進もうと思う。この場で足踏みすることしか出来なかった自分を、その先に進ませようと思う。
他の誰でもない、自分が、楠原晴司がそれをしたいんだ。
「……花火、もうすぐね」
ふいに、月乃が話しかけてきた。俺は完全に戸惑ってしまった。
「え? あ、ああ。そう、だな……」
「こうして二人になるのって、いつ以来かしら」
「ええと、確か黎が来る前だよな」
「そうだね……不思議ね。ほんの少し前なのに、ずいぶん昔に思える。
最初は、私と晴司だけだったんだよね」
「ああ、そうだな」
「あの頃に比べると、私の周りにはずいぶんと人が増えたわ。昔じゃ考えられないくらい。
……これも、晴司のおかげね」
「俺は何にもしてねえよ」
「そんなことない。晴司はいつだって私を助けてくれた。
――私ね、ずっと本当の友達が欲しかったんだ。本当の自分でいられるような友達が……
最初、それは晴司だけだった。でも、今では星美、空音、陽子、黎がいる。みんなで海に行ったり、晴司を尾行したり、警察署に行ったり……私がこれまで経験できなかったことばかりだったわ。
それは全部晴司のおかげなの。どれだけ周りが否定しても、どれだけ晴司が否定しても、私は、そう思ってる。
……だから、一つだけ、言わせて」
月乃は浴衣を翻して、俺の方に体を向けた。そして、ゆっくりと近付き、その体を俺に密着させ、その腕を体に回した。
「ありがとう晴司。
あなたに出会えて、本当に良かった。
……私は、あなたが好きです。大好きです」
「―――」
俺は、涙が出そうになる自分を必死に抑えていた。口は震えている。目が熱い。油断したら、一気に溢れ出そうだった。
だけど、俺は今それをするわけにはいかない。俺には、まだ言わなきゃならないことがある。
(行けよ俺! 今言わなきゃ、いつ言うんだよ!!)
俺は、心の中で未だに躊躇する自分を叱咤し続けていた。
そして、ようやく俺の口は、言葉を発する。
「俺――」
「――もう一つ、晴司に言わなきゃいけないことがあるんだ」
ようやく紡いだ言葉は、月乃が紡いだ言葉にかき消された。
月乃はゆっくりと俺から離れ、三歩ほど下がった。そして、俯いていた表情を上げた。
その顔は、笑顔だった。
……でも、頬には大粒の涙が、ふりしきる雨のように、止めどなく、流れ続けていた。
「……月乃?」
「……私、もうすぐ日本を出るから」
「――――え?」
「前にね、家族で旅行に行った外国に、緑で囲まれた静かな街があったんだ。その時、お母さんはすごくそこを気に入ってね……
お父さんと話して、お母さんの残りの時間を、そこでゆっくり過ごしてもらうの。
もちろん、お父さんと――私も一緒に」
「お、おい……」
「だから、晴司たちとはお別れ。
最後に、晴司に言いたかったことも言えた。私は、満足したわ」
月乃は、言葉とは裏腹に涙を流し続けていた。
涙を流し続ける浴衣の少女の姿は、周りの風景と同化するようにぼやけて見えた。
俺は、月乃の言葉の意味を必死に考えていた。
(日本を出る? どういうことだ? 帰るのか? 帰らないのか?)
色んな疑問や不安や焦りが、脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
それでも、俺は……
「月乃――!!」
その瞬間、辺りにヒュルルと細長い音が響き渡った。
「あ――」
そして、空の真ん中に光の粒が伸びていき、爆音と共に、鮮やかな一つの花が夜空に描かれた。
「始まったね……」
そして、それから断続的に辺りには大きな音が響き渡っていた。
……それはまるで、俺に何も言わせないかのように、ひたすらに空を染め続けた。
「…………」
俺は、言葉を飲み込んでしまっていた。寸前まで出かけた声は、体の奥底に姿を隠した。心に浮かぶ文字は、決して口に出ることはなかった。
(……俺は、大バカ野郎だ……)
月乃は、様々な形で彩られる空を、輝く瞳に写していた。
俺は、そんな景色を見ることしか出来なかった。ただ呆け、心には何も響かない。
響く音は耳障りに聞こえる。騒ぐ人の姿は顔が見えない。
綺麗に染められているはずの夜空は、朧に包まれ、ゆらゆらと揺れていた。




