彼女の光
ぼんやりと雨が降り注ぐ景色を見ていた。
雷は鳴らなくなり、辺り一面は雨粒が地面や道路、木々とかで跳ねる音しかなかった。街はただでさえ暗いのに、雨で霞がかって見える。さっきまで見えていた月や星は姿を消し、上を見上げても、雨が線となって視界全体に斜線を入れているかのような景色が、ただひたすらに広がっていた。
俺たちの傍には大きな木があるおかげで、雨粒が直接当たることはほとんどなかった。それでも、葉っぱで跳ねた雨の欠片が、頭や体、服にたまに落ちてきた。それはヒンヤリと気持ちよく、風が通ると、体の熱を蒸発した雨が一緒にかっさらってくれていた。
黎は相変わらず膝を抱えて塞ぎこんでいた。典型的な落ち込み状態と言えるだろう。
「……どのくらいたったかな」
景色を見ていた俺は、何気なく、そんなことを口にした。別に黎に話したわけじゃなかった。本当に、何となく口にしただけだ。
それでも、一切反応しない黎を見ると、何だか無視されたかのような気分になってくる。人間とは、どこまでもワガママな生き物なのだ。
「……いつまでショボくれてんだよ」
「………」
「別に雷が嫌いでもおかしくねえって。誰でも苦手なものがあるわけだし、黎の場合は、それが雷だっただけの話だろ?」
「………」
(……完全に無視かよ)
そう思いながら、俺は大きく溜め息をついた。
それが聞こえたからか、黎は塞ぎこんだまま、小さく話し始めた。
「……アタシの弱いところ、見せたくなかった……」
「は? 何でだよ」
「アタシは晴司と約束したんだ。強くなるって。だから空手も頑張ったし、勉強や家事も料理も頑張ったんだ。
……それなのに、こんなみっともない姿を、よりにもよって晴司に見られるなんて……」
そう話す黎は、少しだけ震えていた。顔の辺りからは鼻を啜る音が聞こえている。
(また泣いてるのか……)
どうもアランさんが来てから、黎は涙脆くなったようだ。……いや、それより、強がれなくなった、と言う方がいいのかもしれない。
アランさんの登場で、今まで心の奥に押し込めていたモノが、一気に吹き出たのだろう。もしかしたら、これが黎の本当の姿なのかもしれない。
泣き虫で怖がりで……そして、やっぱり意地っ張り。
コイツがそうまでして強がるなら、それはそれで、そういうことにしておこうと思った。
俺は着ていた上着を脱ぎ、黎の頭に被せる。黎は少しだけ体をビクッとさせた。
「……寒いんならそう言えよ。それ、頭から被っとけ」
「………」
(我ながら、完璧な誤魔化しだ。
これなら黎だって気を使わずに―――)
「………わざとらしいんだよ。バカ……」
(………バレてるわけね………)
==========
「……アタシな、外国で、アランを説得しようとしたんだ」
しばらく動かなかった黎は、唐突にそんなことを話してきた。
「別れた後も、千春がアランを好きなのは、見ていてよく分かった。アタシはそんな辛そうな千春を見て、何とかアランを説得して、あの楽しかった日々にもう一度帰りたかったんだ。だから、独り暮らしをしながら、何度もアランの家に行ったんだ」
「………」
「……でも、アランは何も言ってくれなかった。それどころか、一緒にいるあの女を庇い始めたんだ。女も、アランがいないところで私に嫌味を言ったり、時には叩かれたりもした。その度に女と喧嘩になって、最後にはアランが女を庇い、アタシは悪者扱い。
……アランのところに、アタシの居場所はなかったんだ」
「……黎」
「アタシは、もう諦めたんだ。アランの心には、もうアタシや千春の居場所はない。それからは、アランの家には行かなくなった。
……そんな時だった。晴司がケガしたことを聞いたのは」
(臨海学校でのことか……)
「晴司までいなくなったら、アタシは……
そう考えたら、アタシは我慢出来なくなった。だから慌てて日本に来たんだ。晴司がこれ以上危ない目に遭わないように……晴司は、晴司だけは守りたかった……」
黎は、また体と声を震えさせていた。そんな黎の姿は、凄く小さく見えた。普段の力強い雰囲気は消え、実にか細くなっている黎が、そこにはいた。
そんな黎を見ていたら、俺は再び何となく、頭を撫でていた。頭に被った服の上から、その柔らかい金色の髪を、グシャグシャと撫で続けた。
「な、何だよ!」
「何でもねえよ!」
その会話は、いつか千春さんと俺が交わした会話だった。
でも、あの時のものとはどこかが違う……
(俺も、黎を守りたいんだろうな……)
見えない自分の心の底を感じ取った俺は、黎の頭を撫でながら、もう一度、雨に潤わされる街の情景を見つめ直した。
==========
しばらくすると、雨は弱まり、止んだ。空にかかっていた雨雲は薄くなり、どっかに行っていた月は、薄い雲の服を着るかのように、優しく、ぼんやりと光っていた。
黎はいつの間にか、俺に寄り掛かるようにして眠っていた。
「すう……すう…………」
一定のリズムで聞こえる寝息は、普段の黎からは想像出来ないほど、小さく、安らかに耳に入り続けていた。
やがて、西の空が明るくなり始めた。いつの間にか、夜明けまでもうすぐになっていたようだ。
「おい、黎。起きろ」
「う……ん…………」
黎はゆっくりと俺の肩で目を覚ました。
……と思いきや、凄まじい速度で体を起こした。その反動で、俺の上着は泥が混じった地面に放り投げれた。
(俺の上着いいいい!!!)
「なな、何でアタシが、晴司に引っ付いてるんだよ!!」
「……お前が一人で寝て、勝手に寄っ掛かってきたんだろが……」
「ああああ…………」
黎は再び顔を赤くし、項垂れた。俺もまた、泥だらけになった上着を見て、項垂れた。
「……とりあえず、一度起きろ。――夜明けだ」
黎と俺は、西の空に目をやった。
西の空の片隅から、ゆっくりと眩しい光が包み始めた。光は粒子になり、まだ空に残っていた雲の横顔を照らしていた。空は、耐えず送られる光が闇夜を切り裂くように、常闇の夜の終わりを告げるようだった。
「わぁ………」
黎は声を漏らし、そんな景色に目を奪われていた。泣いたせいで眼は腫れてしまっていたが、その顔からは清々しさを感じた。
「……あれが、“黎明の光”だ」
「黎明の……光」
「ああ。お前の光だ。
あの光は、毎朝ああやって、今日という日を届けるんだよ。希望に満ちたような、綺麗な光だろ?
……まさに、お前じゃないか」
「アタシ?」
「そうだよ。お前って、底抜けにパワフルで、無駄に強引で、どこまでも明るくて……それで、いつも輝いてるんだよ。
そんなお前に、涙なんかは似合わない。お前が泣けば、あの光は見えないんだ。
“泣くな”なんて言わないさ。泣きたいならなけばいい。
……でも、泣きたくなったら、俺に言え。その涙の原因を、俺が何とかしてやるよ。だから、もっと俺に頼れ。
――お前は、女の子なんだからな」
「………」
黎は俯いていた。多分、俺の話に心を打たれて…………
「……クサ過ぎる。晴司、クサ過ぎる」
(……ちったあ心を打たれてもいいんじゃないか?)
「………でも、ありがとう。
やっぱり晴司は……アタシの自慢の旦那だな」
黎は満面の笑みだった。目は黎明の光を受けて輝きを放っていた。俺が見たかったのは、この顔だった。
俺は、初めて面と向かって黎からお礼を言われたことに、何だかすごく恥ずかしい気持ちになっていた。
漫画とかの主人公なら、ここで気の効いたセリフでも言うのだろうが、あいにく、俺は凡人だ。
だから、結局はいつものセリフしか言えなかった。何を隠そう、俺は、不気味らしいからな。
「……だから、旦那じゃねえって」




