藍色の夜/白への怒号
その浜辺には緊張が走っていた。積み上げられた白い砂の陰に隠れた俺は、迫りくる奴らに備えていた。
(どっからだ……どっから来る……!?)
俺は周囲を見渡す。足音は聞こえない。人の影も映っていない。とりあえずは大丈夫なようだ。
「………ふう」
俺は安堵の息を一回吐き、強張っていた体の力を抜いた。
「―――隙だらけだな」
「――――!!!」
突如俺の頭上から声が聞こえ、俺は振り向くことなくその場から前方へ転がる。俺のいた位置に容赦ない攻撃が降り注いでいる。白かった砂浜が、赤い液体に染められた。
「上か―――!!」
俺はすぐさま銃口を砂山の上に構える。しかしそこに人影はない。
「遅い!!!」
俺の視界の隅に何かが動く状況が映り、それの叫びが響いた。それは金色の髪を揺らし、俺の体に照準を合わせ、引き金の指に力を込め始めていた。
「―――隙だらけは、黎の方よ!!」
「なに!!??」
黎の更に後方から月乃の声がこだまする。そこには、銃を構えた月乃の姿があった。
「終わりよ!! 黎!!!」
黎は素早く転がり、砂の陰に隠れようとしている。しかし、タイミング的には完璧だ。間に合わないだろう。
(まずは一人か!!)
……しかし、その時俺は気付いた。月乃の銃口が黎ではなく、俺に向いていることを。
「油断したわね!!!」
「―――フェイク!!??」
「まずは晴司、アンタからよ!!!」
月乃から赤い水撃が発射される。完全に虚を突かれ、俺の体は避ける動作すら出来ない。
(間に合わな―――)
「先輩!! 危ない!!!」
突然俺の前に人影が飛び出た。それは、俺に迫る水撃を体で止めた。
「キャアアアアア!!!」
「星美!!」
俺の盾となった星美が赤く染まる。
「くっ――――!!!」
俺は月乃に向けて数発水撃を飛ばす。月乃は砂の陰に隠れ、それをかわした。
俺は周囲に気を配りつつ、星美に駆け寄った。
「星美!! お前、なんで!!??」
「先輩……一緒に……過ごしたかった……
でも……もう、ダメみたいです……」
「星美いいいいい!!!!」
俺の顔に手を伸ばしていた星美の手を力強く握った。
そして、水着を赤く染める星美を見ながら、今の俺の胸に去来する気持ちを星美に静かに伝えた……
「……シミにはならんとは思うが、一応海で流した方がいいぞ」
「はーい」
星美は立ち上がり、スタスタと海に向かって走って行った。
「………」
なんだろうか……この緊張感がありそうで全くない状況は……
「……月乃おおおお!!!」
胸に感じる虚しさを打ち消すかのように、俺は吠えた。
すると俺の背後に、誰かが立つ足音が聞こえた。
「勝負だよ!! 晴司くん!!!」
そこには、ウォーターガンを二丁構えた陽子先輩が立っていた。
「先輩!!」
「えええええい!!!!」
先輩は両手から水撃を連射した。
「なんの!!!!」
俺は砂の陰に身を潜め、それをやり過ごす。
そして、先輩のウォーターガンから水が切れた音がシャコシャコと聞こえた。
「―――ッ!!??」
(―――勝機!!!)
「うおおおお!!!」
俺はウォーターガンを構え、突貫した。しかし先輩は、ニヤリと笑う。
「かかったわね!!!」
先輩は背後からウォーターガンをさらにもう一丁取り出した。
「何!!??」
「晴司くん!! 終わりよ!!!!」
……その時、俺はある違和感を感じた。
(おかしい……あの二人はどこに……)
「―――!!!」
俺はその違和感に気付き、慌てて近くの砂に身を隠す。
「え!!??」
その瞬間、二方向から同時に水撃が発射された。
「キャッ!!!!」
先輩はそれを受け、全身を赤く濡らした。
水撃はなおも俺目掛けて発射される。しかし、俺はそれを寸でのところでかわす。そして、水撃を放つ位置に回り込み、その相手に銃口を向けた。
「終わりだ!! 黎!!!」
「月乃!! 覚悟しろ!!!」
「動かないで!! 晴司!!!」
同時だった。それぞれが、同時に銃口を構えていた。俺は黎に、黎は月乃に、月乃は俺に……それぞれが違う相手を狙っている。
俺たちは、完全に三つ巴の状態になり、動けなくなった。
「………」
「………」
「………」
緊張が高まる。三人とも額には汗を浮かばせている。喉が上下に動き、目は自分以外の姿を交互に睨み続けている。
「……晴司、アンタが勝っても商品はないのよ?」
「そんなことはないさ。俺は勝って自由を手に入れる。俺は俺と過ごす。邪魔されることなく!!」
「晴司はアタシと過ごすんだよ。月乃も、諦めろ!!」
三人は全く動けない。しかし、次に誰かが動けば、それは試合終了の合図となる。問題は、誰が動くか……
重苦しいようで軽い緊張感が、辺りを包んでいた。
「――――えい」
突然、俺たち三人は赤い水をかけられた。
「……へ?」
俺たちはその状況を理解できず、その水を発射した人物を見た。そこは、砂の山の上。
「はい、私の勝ち~。晴ちゃんは、私と過ごすんだよ♪」
「か、母さん……」
……この人の存在を、すっかり忘れていた。
項垂れる月乃と黎。ピョンピョン飛び跳ねて喜びを表す母さん。
それを見た審判である千春さんがフッと笑い、勝者の名を叫んだ。
「……勝者、楠原葵!!!」
こうして、何とも呆気なく、勝負は決した。
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そして夜、俺は砂浜を母さんと歩いていた。
空は星が輝き、太陽の代わりに月が雲や大地、海を優しい光で包んでいた。その光は意外と強く、空を藍色に照らしている。俺と母さんの足元には、月の灯りで生まれた影が、二つ並んでくっついていた。
母さんは上機嫌に俺の横を歩いていた。
「こうやって、二人で歩くのって久々だね」
「そういえばそうだな。母さん家にいないし」
「母さんだって、一生懸命働いてるんだよ?」
「……知ってるよ」
何気ない会話だった。母さんがいつも帰った時の会話だった。しかし、今日はそれだけでは終わらなかった。
「……私ね、明日から仕事に戻るんだ」
「え? 休みが取れたんじゃなかったの?」
「三日だけとれたんだよ」
「ええ!? じゃあ……」
母さんは、あまり休みがない。こんな連休なんて年に数えるくらいしかない。それなのに、母さんは海に泊まりに来ていた。
「私は楽しかったよ? いい気分転換になったし」
「でも、よかったのか? 貴重な休みなのに……」
「貴重な休み、だからよ」
そう言って母さんは足を止めた。そして普段見せないような、優しいながらも真剣な表情を浮かべ、俺の方を見つめ、話し出した。
「黎が日本に帰ったって聞いて、確かめたかったんだ」
「確かめる?」
「そう。黎の、晴ちゃんへの想いをね。本当に結婚するつもりなのか。本当に晴ちゃんのことを考えているのか、想っているのか……
それを、確かめたかったんだ」
「そう……なんだ」
「うん。……でも、まさかあんなに晴ちゃんを好きな子がいるとは思わなかったけどね」
そう言いながら、母さんは眉毛をハの字にし、困ったような顔をした。でも、すぐにまた顔を戻した。
「この二日間、あの子たちを見てきたけど……全員、合格」
「それって……」
「あの子たち、本当に晴ちゃんが好きみたいね。
普段は妙に大人ぶってるのに、晴ちゃんのことになると子供みたいなことばっかり。
……でも、とても一生懸命で、とても一途で……不器用なのに、必死に頑張ってる姿を見てたら、何だかホッとしたわ。
あの子たちなら、誰と結ばれても、晴ちゃんはきっと幸せになれるよ」
「母さん……」
そして母さんは、更に表情を変えた。その目を変えた。
そこには、優しくも力強い、普段の母さんとは少し違う、“母親”としての母さんがいた。
「後はあなたが決めなさい、晴司。
あなただって、あの子たちのことみんな好きなんでしょ? だから、あなたは選ぶ時が来たのよ。
……他の誰でもない、あなた自身が本当に幸せになれる、落ち着いていられる……
そんな自分の居場所を、あなた自身が決めるの」
「自分の、居場所……」
「――そう。あなたの居場所よ」
そう話す俺たちの横を、夏の風が通り抜けて行った。その風は潮の香りがしていた。そして、どこか安らげる、暖かい風だった。その風を受けた空の入道雲も形を変えていく。柔らかく、ゆっくりと。
けれど、どんな姿になっても、雲は大きく雄大に、どこか誇らしげに、藍色の空にあり続けた。
そんな入道雲を見た俺の心には、なぜだか分からないけど、父さんの姿が映っていた。心の中の父さんは、優しく俺を見ていた。それが、とても嬉しく感じた。
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次の日、俺たちはペンションを掃除し、家に帰った。
さすがに全員疲れていたらしく、帰り道では運転する千春さんと俺以外眠ってしまっていた。俺は眠るみんなの姿を見て、思わず笑みを浮かべ、窓に映る、だんだんと離れていく海を眺め続けていた。
家に着くと、母さんはすぐに仕事に向かった。
“晴ちゃん、自分に自信を持ってね”
最後に母さんは、そう言っていた。
俺はその言葉を思い出しながら、相変わらず騒ぐ奴らをぼんやり眺めていた。
ピンポーン
その時、突然インターホンが鳴り響いた。
母さんならインターホンなんて鳴らさないし、いったい誰だろうかと思い、俺は玄関に向かった。
玄関のカギを開け、外に待つ人に声をかけた。
「はい、どちら様で―――」
俺は硬直した。そこには、男の俺でもイケメンと思うほどのイケメンの白人男性がいた。
長身、美形、金髪、ブルーアイ……
その容姿は、まさしく完璧だった。でも、どこかで見覚えがある人物だった。
「アンタは――――」
「―――何しに来たんだ!!!」
突然俺の背後から黎の怒りに震える叫び声が聞こえた。振り返ると、怒りで顔を歪ませる黎が立っていた。
「答えろ!! 何しに来たんだよ!!!」
黎は白人男性に詰め寄った。ただ事じゃない雰囲気を感じた俺は黎を止める。
「お、おい黎! 落ち着けって!!」
「答えろよ!!!」
それでも黎は詰め寄ろうとする。
「………」
男性は何も答えない。すると、俺の背後から、今度は千春さんの声が聞こえた。
「――黎の言うとおりだ。何しに来たんだよ、アラン」
千春さんは、ゆっくりとした足取りで俺たちの傍に歩いてきた。
(千春さんとも知り合いなのか? でも、この人は……)
そして、俺は気付いた。このアランという人物が、黎に似ていることを……
「まさか……」
「迎えに、来たんだよ」
男性は見た目とは裏腹に、実に流暢な日本語を話した。その声は優しく、だけど、どこか寂しげに響いた。
その言葉を聞いた黎は、更に怒りを増加させた。
「今更……今更、何言ってんだよ!! クソ親父!!!」
(……やっぱりそうか)
その白人男性――アランは、黎の父親で、千春さんの元夫だった。
「もう一度、やり直そう。千春、黎……」
アランさんは、千春さんたちに手を伸ばした。
「――ざけんじゃないよ!!!!!」
突然の怒号。それは黎ではなく……千春さんだった。
千春さんは怒りを露わにしていた。目は鋭く、眉間に皺を寄せ、歯をギリギリと噛み締めている。そんな千春さんの姿は初めて見たし、こんなに怒りに身を任せて怒鳴る声も、初めて聴いた。
その場で時間は静止した。居間からは、千春さんの声に驚いた三人が顔を出していた。
俺は、この状況が理解できず、千春さんと黎の怒りに震える姿を、ただ見つめることしか出来なかった。




