夏の海は疲れを呼ぶ~後編~
そこは深い森だった。何せ、光なんてもんは、雲が被った朧月と空に輝く星しかない。草だってそこら中に高く生い茂ってる。木々はまるで視界を遮るかのように不規則に並び、根を張らしている。聞こえるのは虫の声と木々のざわめきだけだ。
「お、おい! どうすんだよ!?」
黎は叫んだ。その表情には、不安と焦り、絶望感といったものが混ざっているようだ。声には出さないが、他の三人も同じような顔をしていた。
「お、落ち着いて黎ちゃん。ええと、こういう場合は助けを……でも、それより先に……」
先輩は黎の言葉で我に返り、何とか冷静に考えようかとしていた。それでも、俺の裾を掴む先輩の手は震えていた。
月乃と星美はただ青い顔をして俺の腕を掴み、怯えながら周囲を見渡していた。
(やっぱり千春さんのニタリ顔は、不吉の前兆だな……)
そう考えると溜め息しか出なかった。
とりあえず月の位置を確認してみた。まだ空の真上には来ない時間だったから、方角は何となく分かった。
(月があの位置なら……)
「おい、行くぞ」
俺が全員に声をかけたところ、みんなきょとんとした顔で俺を見た。
「行くって……どこにですか?」
「どこもなにも、戻るんだよ」
「晴司! 道が分かるの!?」
「分かるわけねえだろ。分からねえけど、このまま夜通しこんな所にいるわけにはいかないだろ」
月乃たちの不安な気持ちはよく分かっていた。だから、俺はあえていつもの口調で語った。
「……晴司、なんでそんなに冷静なんだ?」
(何でって……決まってるだろ、黎)
「俺はこんな状況は経験済みだからな」
正直、俺だって少しは怖い。でも、あの時に比べたら天と地ほどの差がある。
体だって五体満足だし、何より、一人じゃない。
人は、一人だと余計な考えを色々してしまう生き物だ。不安に押し潰されそうになったり、生きることを諦めたり……とにかく追い詰められると、人ってのは意外と脆い。
だけど、誰かが一緒にいることで、それを共有したり、不安や焦りを和らげたりすることが出来る。
こいつらは、今という経験したことがない状況で、不安だとか恐怖だとかに追い詰められていることだろう。だからこそ、経験者の俺……男である俺が、引っ張らないといけない。
今、こいつらを導けるのは、きっと俺だけだ。
「……森の中とはいえ、ペンションからは無茶苦茶離れてることはないだろうし、たぶん少し歩けば知ってる場所には出ると思うぞ? 方向も月の位置である程度分かったし。
だから、皆揃ってそんな顔すんなよ。お前らは助かるんだよ。
怖がる必要なんてないんだ。絶望する必要なんてないんだ。
俺が、何とかするさ」
そう言いみんなの顔を笑顔で見渡した。
みんなは顔を少し綻ばせ、顔を赤く染めていた。
きっと、俺の話に感動して………
「……クサイわね」
「……クサイな」
「……クサイです」
「……クサイよ」
「お前ら、他に言葉はねえのか………」
(感動じゃなかったわけね。そっちの意味で顔を赤くしたわけね)
……それでも、それまで俺たちを包んでいた重苦しい雰囲気はかなり和らいでいた。その顔を見た俺も笑みを浮かべ、俺たちは暗い森の中を歩き始めた。
=========
やはり夜の森は不気味だった。木の影から人が出てきそうだったり、木そのものが人影に見えたり。人がいるところに向かうはずが、いもしない人の影に怯える……なんとも皮肉な話だった。
当然だが、四人の少女にとっても、暗い森は恐怖の空間らしく、全員が俺の腕を掴み、くっついて、ビクビクしながら歩いていた。
……ひたすらに歩きにくい。
「……先輩、こんなところを一人で帰ったんですか?」
星美は、怯えながらも尊敬するかのような眼差しを俺に向けていた。
(臨海学校のことか?)
「まあな。でも、あん時はもっと酷かったぞ?
道は全く分からねえし、足は折れてたし、全身ボロボロだったし、挙げ句、途中でまた転がり落ちて腕を八針縫うケガしたし……」
(……ホント、よく生きてたな……)
「それで自力で帰ったのか……化け物だな、晴司……」
「人間凶器のお前にだけは言われたくねえよ!!
……ただ、いい経験とは言えないけど、あのおかげで俺はこうして慌てることなく歩けてるんだよ。だから、今日でチャラだな」
「チャラ?」
「ああ。当時は二度とゴメンだって思ったさ。自分の状況が信じられなかったし、悪夢の中にいる気分だったよ。
だけど、今はあの経験に助けられてる。
……まったく、妙な話だが、今は、あん時の自分に感謝すらしてるんだよ。あの経験のおかげで、お前らを助けることが出来ている。
俺は、それが嬉しいんだ」
その時、月乃が急に俺の腕を離し立ち止まった。どうしたのかと思い、後ろを振り返った。
「……ひく…………ひく…………」
月乃は、両手で顔を覆い、泣いていた。
「月乃ちゃん、どうしたの?」
先輩は月乃のそばに行き、優しく声をかけた。でも月乃は何も答えず、泣き続けていた。
「何でもないんです………何でも………」
「………」
俺は戸惑う黎と星美から離れ、月乃の前に立った。泣き続ける月乃の顔を見つめ続けた。
やがて、月乃は泣きじゃくった顔を上げて、俺の顔を見た。
「――ていっ」
「痛っ――」
その瞬間、俺はすかさず月乃にデコピンした。月乃は額を押さえ、驚いた表情で俺を見ていた。俺はそんな月乃に微笑みを向けた。
「……帰るぞ、月乃」
月乃は、俺が言わんとしたことを理解したようだ。大きく目を開いて、すぐに顔を緩ませて、笑顔を俺を返した。
「……うん。ありがと……」
その笑顔は涙を浮かべたままのものだった。涙は月乃の黒い瞳を光の粒で彩るように見えた。泣いたせいか、頬は桃色に染まる。
そんな月乃の笑顔は、困惑していた全員の顔を、再び落ち着いたものに変えていった。
俺たちは再び歩き始めた。しかし、そこにはもうビクビク怯える姿はなく、まるで夜のピクニックを楽しむかのように、明るい雰囲気が包んでいた。
みんなが会話をしながら横に並んで歩く中、月乃は俺の服の裾を掴み続けていた。誰にも気付かれないように。しっかりと……
==========
しばらく歩くと、ペンションの光が見えてきた。俺が判断した道が当たっていたようだ。人知れず、俺は胸を撫で下ろしていた。
ペンションに帰ると、母さんが警察に連絡する直前だった。
千春さんは何も言わず、ただニッコリ笑って俺の頭をグシャグシャ撫でた。
千春さんは千春さんで、何か責任のようなものを感じていたのかもしれない。酔いがすっかり覚めてたし。
(……ていうか、今回の最終的な原因は俺だろうな)
そう思うと、みんなに申し訳なく思っていた。
だからこそ、大したこともなく戻れたことが、本当に嬉しかった。
そのあとは交代でシャワーを浴びた。俺は最後に入り、みんなが森でのことを母さんと千春さんに話すのをソファーに寝転んで見ていた。疲れていた俺の体は、自然とウトウトと意識を朦朧とさせていった。
いつの間にか俺は眠っていた。気が付くと、どうも深夜だったらしく、電気は消え、森で見た朧月は雲が晴れ、その光を惜しみ無く地上に注いでいた。
ソファーから起き上がった俺は、窓から見える景色を見つめ、星と月、空と海が織り成す夏の夜の幻想的な光景に、ただただ心を奪われていた。
ふと、リビングから聞こえた寝息に気付き、月明かりに照らされる室内を見渡していた。
そこには、俺が眠っていたソファーの周りに眠る四つの人影があった。ある者は机に伏せ、ある者はマットの上に横になり、またある者は、俺のソファーの片隅に顔を埋めていた。
そんな光景を見た俺の顔は自然と笑みを浮かべていた。
その四つに、起こさないように毛布をかけた後、俺は再び、微睡みの中に意識を沈めた。




