夏の海は疲れを呼ぶ~中編~
その日の夜、俺はふてくされた顔で晩御飯を突っついていた。そんな様子を見た女性陣営は、さすがに悪いと思ったのか、俺に色々気を使っていた。
「さ、さあ晴司! たくさん食べてくれよ!!」
黎が自慢の料理をふるっていた。様々な品が並んでいる。さすがは黎といったところか。
(確かに美味いさ。ああ美味いさ。……でもな、こんなもんじゃ俺の気持ちは晴れんのだ!!!)
「ごめんねぇ晴ちゃん。海を見たら居ても立っても居られなくなって……」
「これぞ、海の魔物って奴だな……」
母さんは手を合わせ謝ってきた。千春さんはビールを飲みながら一人満足気な顔をしていた。
(いや千春さん、全然上手くないですから。そんな顔しても座布団はやりませんから)
「だいたい晴司、なんで気付かなかったの?」
「俺は一生懸命掃除してたんだよ!!!!」
「せ、先輩……ごめんなさい……」
星美は泣きそうになっていた。目を伏せ、涙を溜めていた。
「もう晴司くん、女の子を泣かしちゃダメだよ?」
「あ……ご、ごめん星美」
(……あれ? 何で俺が謝るんだ?)
「全く……晴司、気を付けなさいよ?」
「そうだぞ晴司。アタシの旦那なんだから、ちゃんとしろよ、ちゃんと!」
「……お前ら……」
そんなどうしようもない会話をしていると、千春さんが何かを思いついた顔をして、ニヤリと笑った。
……そう、あの顔である。不吉の前触れ、混沌の使者……千春さんのニヤリ顔は、俺にとっては負のものだった。
(……避難するか……)
俺は何かが起こる前に撤退することにした。
「……ご馳走様。俺、部屋に戻るから……」
俺はそそくさと席を立って、自分の部屋に移動し始めた。
「――待ちな、晴司」
しかし、千春さんがそんな俺を放置するわけがなかった。呼び止められた俺は体を震えさせ、恐る恐る千春さんの方を振り向いた。
「な、なんでしょうか、千春さん……」
「いやな、お前が今日一人で掃除したことに褒美をやろうと思ってな」
「ほ、褒美?」
千春さんは再びニヤリと微笑み、おもむろに立ち上がった。そして、戸惑う月乃、黎、星美、陽子先輩に向かって声高々に宣言した。
「聞け少女共!! 今日の晴司はとっっっても疲れている。よって、そんな晴司を労うために、今から二時間、晴司を癒しまくれ!!」
「………は?」
(この人は何を言い出したんだ?)
「……もちろん、最優秀者には商品も出る」
「商品?」
陽子先輩は四人を代表して聞き直す。その言葉を聞いた千春さんは、三度ニヤリと恐怖の笑みを浮かべた。
「今晩、晴司と同じ部屋で眠る権利を与えよう!!!!」
「………」
「………」
「………」
「………」
「はあああああ!!??」
とんでもないことを言い始めた千春さんに、驚愕の声を上げたのは、なぜか俺だけだった。
(この人、酔っ払ってやがる!!!)
そう、そのノリは、俺と黎の婚約を認めた時の千春さんそのものだった。何も考えず、その場のノリで全てを決めてしまう千春さん。まさに、邪神そのものである!!
(そんな悪ノリに付き合う奴なんているはずが――――)
その時、俺の耳に“何か”が聞こえてきた。
「……晴司の、部屋……」
「……二人っきり……」
「……先輩と……」
「……晴司くんの隣……」
振り返ると、手の指をワキワキ動かしながら、俺に向かって亡者のようにユラユラと歩いてくる人影があった。
……言うまでもなく、奴らである。
「ちょ、ちょっと千春!!」
「葵落ち着けって……いいからいいから♪」
「……もう」
(いや母さん……“もう”だけで終わるわけ!!??)
更に迫る奴ら。俺は後退りしたが、部屋の隅に追いやられた。
「ちょ、ちょっとお前ら……一度落ち着こうか。な?」
奴らはそんな言葉に聞く耳を持たない。皆一様にボソボソと何かを口走りながら俄然迫っていた。
(ああ……もうダメだ……)
諦めかけたその時、俺の脳は死に瀕したことから飛躍的に活性化した。
脳内の電気信号は、物事の判断を司る大脳を瞬時に物凄い勢いで駆け巡り、そして俺の小脳は、激しく電気信号を下半身に伝えた。
次の瞬間、俺の体は全速力で屋外に逃亡することを選んでいた。
窓を勢いよく開け、外に飛び出した。
「あ! 晴ちゃん!! 外は危ないわよ!!」
母さんの声が聞こえた。だがしかし、あのままペンションにいた方が圧倒的に危ない!!
「晴司!!!」
後ろからは俺を呼ぶ悪魔の叫びが……と思っていたら、その声の主達が全力で追いかけてきた。
「晴司待ちなさい!!」
「晴司!! 大人しくしろ!!!」
「先輩!! 待ってくださいよ!!!」
「晴司くん!! 私に任せてよ!!!」
「ぎゃああああああああ!!!!」
俺は全速力で逃げた。夜の外を全力で駆け抜けた。俺は風になったのだ。
……だが、相手はあの超人たちである。みんな無茶苦茶早かった。普段運動が苦手なはずの星美まで、月乃達と同じ速度を維持していた。
じりじりと距離を詰められる俺! 絶体絶命の俺!! どうするよ俺!!
(神様ああああああ!!!)
俺は神様に祈った。祈るしかなかった。祈れば通じると聞いたことがあるが、その言葉を信じ、俺は一生分祈った。
……しかし、神様って奴はどうも残酷らしい。俺の祈りも空しく、遂に俺は捕まってしまった。両手を四人がかりで掴まれた俺は、成す術なんてあるわけもなく、無抵抗という選択肢を選んだ。
しかし、さすがに全員全速力で走ったせいで、息が切れ切れとなっていた。全員が膝に手を付き、肩で息をする。
そして少し落ち着いたところで、月乃が文句を言い始めた。
「もう、汗かいたじゃない……何で逃げるのよ!!」
「いや普通逃げるだろ!?」
「晴司! そもそもアタシたちは夫婦だぞ!? 同じ部屋で寝ても不思議じゃないし、逃げる必要なんてないだろ!!」
「だから何でお前は勝手にステップアップしてんだよ!!
なんで許嫁➡新妻➡妻に三段跳びしてんだよ!!!」
「先輩!! さっきの私、たぶん徒競走のベストタイムでした!!」
「おおそうか!! よし、今度褒めよう!! だからその話は今度にしような!?」
「あっついなあ。晴司くん、戻ったらお風呂入ろうよ。あ、背中流してあげようか?」
「先輩!? 一人だけベクトルが違いますよ!!??」
「一緒にお風呂!? 晴司の変態!!!」
「だああああ!! もう!! うるせえええええ!!!」
ギャーギャー騒ぐ俺たち。森の奥深くの暗闇をものともせず叫びまくる俺たち。そう森の奥で……って、俺は、ふとあることに気付いた。
確認のため、俺は周囲を見渡す。そして、それは確定した。
「……ところで、ここどこだ?」
「え?」
そこは、全く知らない森の中だった。辺りを見渡しても木々しかなかった。時間も夜遅く、空を見上げても木々の間から星が見えるだけだった。その森の様子は、臨海学校で見たあの景色とよく似ていた。
どうも、走るので一生懸命になり過ぎていたようだ。しかも、結構な時間走り続けたから、ペンションからはかなり離れてしまったと思う。
「……もしかして、私たち……」
月乃は、それ以上言わなかった。言わなくても全員が理解していた。
……俺たちは、夜の森で迷子になった。




