彼女が求めた言葉
喫茶店内は静けさに包まれていた。
俺がつい叫んだ言葉は、予想以上に店内に響き、店のマスター、他の来店客がそれぞれの手を止め、俺たちのテーブル(というより主に俺)を黙視していた。
その視線に気付いた俺は、とりあえず会釈をしたが、そんなもので現状が変わるわけもなく、俺の頭の中には新幹線並みの勢いで恥ずかしさが襲ってきていた。
相手の女は流していた涙を止め、男たちは慌てるのを忘れ、揃いも揃って唖然とする顔を浮かべ、俺を見ている。
陽子先輩は依然として涙ぐんでいたが……その目に映るのは、悲しみや悔しさではなく、どこか歓喜にも似たもののように見えた。
「……あ、アンタ、陽子をフッたんじゃないの!?」
涙を流すことを忘れている女は、驚いた表情で俺に訊ねてきた。無論、もはや俺に退路はなく、ただ前進あるのみであった。
「……確かに俺は陽子を一度はフリましたよ。――でもね、だからと言って、今日もそうとは限らないでしょ……
俺は現在、陽子の彼氏なんですよ」
この時気付いた。勢いでいつの間にか先輩を呼び捨てにしていたことに。ちょっといくらなんでも失礼だったか……と思った俺であったが、先輩の反応は、俺の予想を大きく外していた。
先輩は俺が名前を呼ぶ度に体を小刻みに震えさせ、顔はますます赤く染め、今ではすっかり耳まで真っ赤になっていた。
嫌ではないようだった。現に、今先輩の顔は涙を浮かべた瞳をキラキラと輝かせ、喜びと幸福に包まれたかのような眩しくも優しく暖かい微笑みを浮かべ続けていた。
……今更設定を変えるわけにもいかず、結果、俺の頭ではこのまま呼び捨てで通すことを閣議決定していた。
「……陽子にあってアンタにないものは、何だと思う?」
女は何も答えない。そして俺は親指を立て、自分を指示した。
「俺だよ。俺!」
「………はあ? 何言ってんの??」
女は実に不思議そうな目をしていた。まるで未知との遭遇のような。
(何を言ってるかだって? ――そんなもん、俺だって知らない!!)
俺は現在、完全に勢いだけの存在となっている。今の発言が全て俺の計算の上での言動だとすると、俺は自分を絶賛するだろう。俺的栄誉賞の授与も検討しよう。
だがしかし、俺はそんなに頭が良くないし器用でもない。それでも俺は今、前傾姿勢、クラウチング体勢なのだ!
つまりはもう前に進むしかないのだ。猪突猛進。猪の如く言葉を進めるしかないのだ!!
……ちなみに、猪は意外と動きが機敏であることはもちろん知っていることを、ここに補足しよう。ものの例えである。比喩である。
ともかく! 走り出した俺はもう止まらなかった!!
「……つまりな、俺はもう陽子にゾッコンなんだよ! 大好きなんだよ! それこそ、この世の中でかけがえの無い存在なくらいにな!!
そこの男たちは、さっきアンタが泣いた時に何をしていた? 慌てるだけだっただろ!?
俺は違う!! 陽子を泣かした奴は、たとえ誰であろうがブッ飛ばす!!!
……陽子はな、俺が守るんだよ!!!」
「―――――!!!」
「………」
「……そんな俺の存在が、陽子にあってアンタにないモノなんだよ」
(……どうだ……迷走はしたが、何とかまとまっただろ……
グッジョブ!! 俺!!!)
……しかし女は、どこか呆れた表情をしていた。
そして、そのままの表情で何かを指さした。
「………いや、あれ………」
「あれ?」
俺は、女が示した先に目をやった。
そこには、なぜか号泣する、先輩がいた。
「……ひぐ……ひぐ………」
(ええええええええええ!!??
何でええええええええ!!!???)
先輩は、口から声を漏らしながら、その目から大粒の涙を流し続けていた。両手で何とか拭おうとしていたが、止めどなく流れる涙に追いつかず、頬は涙でいっぱいになっていた。
「え!? せ、先輩!! ど、ど、どうしちゃったんですか!?」
俺は、完全に慌てていた。慌てまくっていた。それこそ、さっきのあっちの男とは比べ物にならないくらい、目一杯慌てていたのだ。
……さっき自分が言ったことを、すっかり忘れて。
「……おい、アイツ、どっかで見たことねえか?」
「ああ……俺もそう思ってたんだよ……」
慌てる俺に、シンジとダイスケが呟いた。
(俺が!? んなわけあるか!! 俺はそれどころじゃ―――――)
「……どこだったかな……確か……ショッピングモールで……!!」
「――――――――あ」
俺は思い出した。
……そう。コイツらは、月乃をナンパしていた、あのバカその1とその2だった……
「ああああああああああ!!!!」
「ああああああああああ!!!!」
「ああああああああああ!!!!」
3人は同時に叫び声を上げた。そして俺は瞬時に自分の危機的状況を察知し、脱出を決断した。
「先輩!! 逃げます!!!!」
「………へぇ?」
まだ泣き続ける先輩の手を取った俺は、一目散に店外に出て行った。
……あ、もちろんレジにお金は投げ込んでいったから、大丈夫である。
「待ちやがれ!!!!!!」
追ってくるシンジとダイスケ。しかし、店を出ようとしたところで、店員に止められていた。その店員はプロレスラーのようにガタイがよかった。
……おそらく、料金を請求されてるのだろう……
この隙に俺たちは走った。少し離れたところで、シンジとダイスケは店を飛び出してきた。
俺がどこへ逃げるか考えていたところ、突然先輩が俺の手を引いた。
「……晴司くん! こっちに!!」
先輩に案内されたところは……そう、女子高である。
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……ここで、今の俺たちに至るわけだ。
廊下からはひたすらに駆け回る音が聞こえる。
俺と先輩が隠れた美術室はなかなか人目に付きにくいところであり、隠れるにはうってつけだった。
「先輩、もう大丈夫ですよ。だから、泣かないでください」
先輩は、まだ涙を流していた。
「ごめん……違うんだ……違うの……」
そう言って先輩は涙を拭い続けていた。
やがて、廊下から俺たちを探す音が聞こえなくなった。そして、先輩は、少し落ち着いたところで、膝を抱え俺に話してきた。
「……私ね、昔っから、いろんな人に頼られてきたんだ……」
「それは……そうでしょうね……」
先輩はしっかりしてるからな……
「でもね、本当は、いつも不安だったんだ。本当にこれでいいのか、これでみんなの期待に応えきれているか。
……いつも不安で、どうしようもなかったんだ。
――晴司くんは、私はどんな女だと思う?」
「―――――」
その質問は、以前俺が星美にした質問と同じだった。
……その質問の意味を理解できた俺は、その質問に答えることが出来なくなった。
「……私はね、いろんな人からしっかりしてるとか、頼りになるって言われるんだけど……実際の私は、そんな子なんかじゃないんだ。
いつも不安だし、自分のことで精いっぱいだし。でも、それを言って断ると、みんなから嫌われそうで……それが怖くて、無理やり全部引き受けちゃうんだよね……」
膝を抱える先輩の姿は、どこか寂しそうに見えた。その姿もまた、俺は初めて見る先輩の姿だった。
「私だって本当は誰かに頼りたかった。誰かに励ましてもらいたかった。……だけど、周りがそれを許してくれなかった。
――だから、私は周りを恨んでいた。自分でしてほしかった。私を……頼らないでほしかった……」
「……」
先輩の口からそんな言葉が出たことに、かなり驚いた。
そして俺は、先輩もまた、付けた仮面に苦しんでいたことを初めて知った。
「……そんな中、私は中学の文化祭の役員になった。……どっちかっていうと、“やらされた”って感じだったけどな。その仕事も嫌々やっていたし、それを悟られないように、私は敢えて明るく振舞ってたんだ。
――でもそこで、私は晴司くんに出会ったんだ。そして、“あの言葉”を言われたんだ。……前も話したけど、私、すごく嬉しかった。本当に嬉しかった。初めて私が励まされた。
――たぶん、それから私は晴司くんが好きになったんだと思う……」
そう話す先輩の表情は、あの日、あの満面の星空の下で語っていた先輩と同じ表情になっていた。
いや、あの時よりも、どこか清々しい顔をしていた。
「……あとは、晴司くんも知ってる通りだよ。
この前、晴司くんの家に行った時さ、私、諦めちゃったんだ。だって晴司くんには、あんなに素敵で晴司くんを想ってる子がたくさんいるんだもん。
……だから、今日で最後にするつもりだったんだ。今日一日晴司くんと過ごして、私はこの想いを全て捨てるつもりだったんだよ。
――だけど、さっき晴司くんがあんなことを言ってくれた。
“陽子は俺が守る”――――
もちろん、晴司くんが考えて言ってるわけじゃないってのは気付いてるよ?
………でも、あの言葉は、私が今までずっと聞きたかった言葉。誰かに言ってほしかった言葉。
それを男の子に……しかも、晴司くんに言ってもらって……私、泣いちゃった……」
先輩はまた涙を浮かべていた。それを指で拭いながら、恥ずかしそうにはにかんでいた。
「……私は、今日で晴司くんを諦めるつもりだった……でも――――」
そう言いながら、先輩はゆっくりと俺に体を合わせてきた。そして、腕を首に回し、潤んだ揺れる瞳で、俺の顔を見つめていた。
「せ…先輩?」
「……あんなこと言われちゃったら……もう、諦めきれない。私は、やっぱり晴司くんが好き……大好き……」
「先輩、俺は――――――」
―――俺はそれ以上言葉を言えなかった。陽子先輩は言わせてくれなかった。
………陽子先輩は、俺と唇を重ねていた。




