参戦する太陽
突然だが、今俺はどこにいると思うだろうか。
エアコンが効いた最後の楽園である俺の部屋?
……いや違う。そもそも俺の部屋はこの夏休みの期間は存在しない。
人々が読書に励む図書館?
……いや違う。俺はあんまし本なんて読まないし、図書館なんて一人で行ったこともない。
暑苦しくて蝉がミンミン鳴いてる外?
……いや違う。なぜ俺がわざわざそんな死亡級に暑いところに身を乗り出さなければならんのだ。
……今俺がいる場所は、俺にすら想像出来ない場所である。
「いたか!?」
「いや! こっちにはいないみたいだ!!」
「あの野郎……どこ行きやがった……」
すぐ近くからは若い兄ちゃんが俺を探す声が聞こえる。若い兄ちゃんと言っても、みんな俺より年上なわけだが……
そして、俺のすぐ近くには、“あの人物”が身を小さくして隠れている。
「ごめんね、後輩くん……こんなことになって………」
「……いや、陽子先輩のせいじゃないですから。どう考えても“あれ”は俺のせいですよ……」
涙を浮かべた先輩は、俺に心からの謝罪をしている。そんな顔を見せられた俺に出来るのは、やっぱりフォローしかないわけで……
……そろそろいいだろう。
俺がいる場所、それは、女子高の中である。ここはハラコーの近くにある私立霜崎女子高等学校――陽子先輩が通う高校だ。
今現在、俺と先輩はその女子高の美術室に身を隠している。たくさんの油絵や彫刻が並んでいる。絵具の独特の匂いが充満し、少し気分が悪い。芸術だか何だかわからないが、意味不明な形をした“作品”がたくさん陳列され、ここだけ異様な空気を帯びている。
では、なぜ俺がそんなところで、しかも若い兄ちゃんから追われているかと言えば……最初っから順を追って説明していくとしよう……
事の始まりは、一昨日の昼下がりに遡る………
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「―――――あ……」
「―――――あれ?」
その日、俺は夕飯の買い出しに近所のスーパーに来ていた。そして、セール品である山積みにされた玉ねぎを手に取ろうとしたところ、その玉ねぎに手を伸ばす人物がもう一人いた。
「……こんにちは、後輩くん」
「……あ、こんにちは……」
それが、陽子先輩だった。
久しぶりの再会だった。あの日、高台で朧気な星空を眺めた日以来、実に一か月半といったところか……
……思えばあれからが激動の日々となったわけだが……それは、今は関係がないことである。
陽子先輩は髪を切っていた。腰くらいまであった髪を肩より少し下の位置くらいまで切り、後ろで一つ結びで束ねていた。
……こう改めて見ると、本当に美人である。中学時代の陽子先輩の姿が印象的で、おそらく思い出補正によりさらに美人となっていたはずなのだが……それを遥かに凌駕する、大人の色気みたいなものを帯びていた。芸能人を画面越しに見るのと実物を見るのでは全然違うように、実際の先輩は俺の記憶の中の先輩をダントツで抜き去っていた。
歳なんてたった一つしか違わないのだが、まるで遥かに歳が上のお姉さんという感じがする。
……言うまでもないが、それは先輩が老けているという意味では断じてない。大人が帯びる独特の艶の話である。
しかし、微妙な空気である。それもそうだろう。あの日、遠回しとは言え、俺は先輩をフッたのである。それ以来直接的には会ってないが、こうして再び会うのは、少しこそばゆいというか、何となく気まずい雰囲気にさせる。でも、先輩はそんなことはないみたいで、いつもの――太陽の笑顔を俺に向けていた。
膠着状態が続く中、先輩はいつもの口調で俺に話してきた。
「へえ……後輩くん、買い物するんだ……もしかして、自分で料理作ったりするのかな?」
「あ、いや……今日は買い物だけですよ。家に料理にうるさい奴がいるんで……」
(俺が作ると、その途中で黎の奴がああでもないこうでもないって、いちゃもん付けるんだよな……
食べるときはわざとらしいくらい『うまいうまい』しか言わないのに……)
「“今日は”ってことは、やっぱり後輩くんも作れるんだ! すごいね! 男の子でご飯が作れるなんて、私的ポイントが高いぞ? このこの!」
そう言いながら、先輩は俺の腕を肘でツンツン突っついてきた。
それに対し、俺は反応に困り、苦笑いを浮かべるしか出来ないが……
それからは、せっかくだからってことで、二人で買い物をした。最初は気まずさを感じていた俺だったが、そこは相手は陽子先輩、途中から昔のような雰囲気になり、和気藹々と買い物を続けていった。
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レジを通し終わり、店の外へ出たところで、俺は思いがけない人物と遭遇する。
「ん? 晴司、買い物か?」
「ああ千春さん。仕事が終わったんだ。今日は早いね」
「私だっていつも残業しているわけじゃないよ。
――それより、隣にいる美人さんは誰だ?」
そう言って千春さんは先輩をマジマジと観察した。そういえば、千春さんが先輩と会うのは初めてだったな……
陽子先輩も、千春さんが俺のどういう知り合いか確認するように、俺と千春さんを笑顔で見続けていた。
「後輩くん? この方は、後輩くんのお姉さん……で、いいのかな?」
その言葉を聞いた瞬間、千春さんは光の速さで先輩に近付き、先輩の両手をしっかり握った。
「……君は、素晴らしい子だ!!」
(……をいをい)
「……先輩、この人は俺の姉さんじゃないですよ。俺、一人っ子ですし。この人は白谷千春さん。俺の叔母――――」
その瞬間、閃光のような足刀蹴りが俺の顔面に炸裂した。
「……晴司よ。私は誰だ?」
「……親戚のお姉様です」
俺は鼻血が滴る真剣な顔で先輩に説明した。
「……大丈夫?」
「ええ。いつものことですから……」
ふと千春さんは、表情を変え、先輩に真顔になって問いだした。
「一つ聞くが、キミは晴司とはどういう関係で?」
その瞳は真剣そのものだった。とても、単純なものではなく、まるで先輩を試すかのような視線を送っていた。
先輩もそれに気付いたらしく、微笑みながらも力強く答えた。
「……私は、晴司くんの中学の時の先輩で―――今は、晴司くんを想う女の子の一人の、松下陽子といいます」
「………」
千春さんは、真剣な表情のまま、先輩の目を見続けた。そして先輩も、そんな千春さんの視線から逃げることなく、微笑みを維持したまま、千春さんの目を見つめ返していた。
俺はというと、初めて先輩から『晴司くん』と言われ、少し照れてしまっていた。
そして、少しして、千春さんは頬を緩め、優しい表情をうかべた。
「……なるほどな。黎の奴も、とんでもない男にホレたもんだ。
こんな子まで落しちまうなんて……晴司、アンタはやっぱり兄さんの子だよ」
そう言って千春さんは俺の頭にポンと手を置いた。
「……人を“すけこまし”みたいに言うのは止めてくれ」
千春さんは声を出して笑った。そして、笑顔のまま陽子先輩の方を振り返った。
「……別に私はアンタを応援するわけじゃないけど……アンタだけ仲間外れってわけにはいかないな」
千春さんは何かを思いついたようだ。そんな顔をしてる。
……そして、以前も言ったが、千春さんがこんな顔をしたとき、俺はロクな目に遭わないのであった……
「夕ご飯まだなんだろ? ……我が家で食べていかないか?」
「え?」
陽子先輩は驚いた顔をしていた。しかしその中には、どこか喜んでいるような一面も垣間見えた。
……だが、今の楠原・白谷家はサファリパークのような状態で、みんな揃いも揃って血に飢えてるのを忘れてはいけない。
そこに、何も知らない一般ピーポーを巻き込むわけにいかない!!
「ちょっと……千春さん!! 家には―――!!」
その瞬間、凄まじいまでの圧力を帯びた千春さんの視線が俺を射貫く。俺は瞬時に固まった。
(……そういえば忘れていた。このお方は、そんな血に飢えたサファリパークで頂点に君臨し続ける人だった……)
「で? どうする?」
視線を通常に戻した千春さんは、再び先輩に問う。
「……ぜひ、お願いします」
先輩は、深々と頭を下げてしまった………
「……行ったら、驚くと思うぞ?」
千春さんは、了承する先輩に、意味あり気なことを告げた。
先輩はそれが何を意味するのか……後で知ることになった。
俺は、歩いていく二人を見て、やっぱり最終的には俺が何かしらの被害を被ることになることを理解し、肩を落とし、とぼとぼ、歩くことしか出来なかった。




