大人になること
夏休みの始まりの夜。俺の家では家族会議が開かれた。
テーブルには俺、月乃、黎、そして、実質家長の千春さんが顔を並べる。
重々しい雰囲気だ。それはそうだろう。
健全で常識的な夏休みを過ごせ的なことを言われたその夜に、高校生の女子が高校生の男子の家に泊まりに来る。むしろ同居しに来る…………
先生が泣いてるぞ!
(さあ千春さん! こんなとんでもない女に、大人の厳しさを!!)
「……よし分かった。許可しよう」
(………家族会議、終了…………)
「……って何でだよ!!!」
俺は机をバンと叩き、思わず立ち上がった。
「千春! アタシは反対だよ!!」
黎も俺に続き、同じく机をバンと叩いて立ち上がった。
(おお! 黎も同じ気持ちか!!
コイツにも、一部の常識が――――!!)
「アタシと晴司の新婚生活が台無しだろ!!??」
「やっぱオメエは黙ってろ!!」
千春さんはタバコに火をつけた。そして白色の溜め息をついた。
「まあ落ち着け。聞けば、ご両親の許可ももらってるって話じゃないか…………
どこに問題があるんだ?
確かに、今までみたいに家に晴司しかいないのなら、私だって反対だよ。
――でもな、今は黎もいるんだ。それなら大丈夫だろ。
……“まさかの事態”なんて、黎が許さないだろ?」
千春さんが含みのある視線を黎に送った。その言葉を受けた黎は、愚かにも千春さんの策略にまんまとはまった。
「当たり前だろ!! 晴司に近付くことすらアタシが許さない!!」
「…………決まりだな」
千春さんはニタリと笑った。その顔を見た黎は、その場で敗北を理解し、ただ項垂れた。
「させるかああ!!」
黎は敗れたが、俺はまだ健全だ!
こうなったら、俺が徹底抗戦をしてやる!!
(――俺の、平穏がかかってるんだ!!)
「……なあ晴司。そもそも、こうなった原因は、何だとおもう?」
俺の体がビクッと震えた。千春さんの視線は、黎の時と違い、鋭く刺すようだった。
「それとも何か? この場で、お前が決めるか?
私はどっちでも構わないぞ。――さあ、決めろ晴司。さあ」
俺は横目で両サイドにいる月乃と黎を交互に見た。
月乃は、真剣な表情で俺を見ていた。
黎は、力を込めた表情で俺を見ていた。
体を嫌な汗が流れる。足がガクガクしている。
(負けてたまるか! 認めてたまるか!
……ここは、俺の家なんだ!)
……そんな俺の意思に反し、俺の体はドカッと椅子に座ることを選んだ。そして、口からは敗北を告げる言葉が溢れた。
「……千春さんに……任せるよ……」
「――では、改めて決定だな」
そう言って千春さんは吸っていたタバコを、ぐしゃっと無造作に灰皿に押し付けた。
その光景は、試合終了のゴングのように思えた。
「ありがとうございます。千春さん」
月乃は深々と頭を下げた。そんな月乃の姿を見た千春さんは、クスリと笑い、足を組み直した。
「まあ、私がしてやるのはここまでだ。後は、お前がやるんだな。
………黎は、まがりなりにも私の娘だ。手強いぞ?」
「……わかってます。でも、負けませんから」
そう話す月乃は、強い目をしていた。
何者にも侵害されない意思。何者にも屈しない意思。それらの強い気持ちが、目を見るだけで伝わって来るかのようだった。
「……なるほどな。あの黎が手こずるわけだ……」
そう呟いた千春さんはゆっくりと立ち上がった。
「ま、今日まではお客さん扱いにしてやる。くつろいでくれて結構だ。
……それと、晴司」
「なんだよ」
「コンビニに行くから付き合え」
千春さんは指を前後に動かし、俺に来いというジェスチャーをした。
しかし、敗れた俺にはそんな元気などなく……
「いや、家にいる」
「……ほう。私の命令が聞けないのか?」
どっかで聞いたことがある言葉だったが、迫力が全然違う!
体の芯から震えがきたようだった。
「…………行きます」
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家に月乃と黎を置いていくのはかなり不安だった。
……しかし、かといって千春さんに逆らうほうがもっと怖い。
俺は、夜道を千春さんと二人で歩いていた。
すると千春さんは、コンビニとは違う方向に曲がり、そのまま歩き出した。
「千春さん! どこ行くんだよ!」
「いいから来い」
千春さんは有無を言わせないような態度で歩き続けた。
俺は仕方なく、その後ろを付いていった。
着いた場所は、道路沿いにある自動販売機の前だった。
町から少し離れた場所にあって、車もほとんど通ってなかった。
「…………ほら」
千春さんは自動販売機でコーヒーを二本買い、一本を俺に投げてきた。俺は千春さんが一口飲むのを確認して、タブを起こし、一口飲んだ。
「…………苦い」
「ハハハ。ブラックだから当たり前だろ。お前も早くそれを飲めるようにならないとな」
そう笑いながら、千春さんはもう一口飲んだ。
そして、コーヒーを片手に、静かに語り始めた。
「…………正直、驚いたんだよ」
「何が?」
「黎のことだよ。アイツが、お前以外の奴に関心を持つことにな。
黎はな、昔から人見知りが激しくてな。しかも下手に何でもこなしてしまうから、誰にも関心を持たなかったんだよ。
まあ、そのことについては私が口を出すことではないからな。今まで黙って見てたんだ」
千春さんはもう一口飲んだ。
「……でも、日本に戻ってきてから、アイツが電話してきたんだ。
“絶対負けたくないヤツが出来た”
ってな。
そして、学校に入ってからは、お前以外の名前まで言い出したんだ。
そいつらは、黎にとってはライバルだったけど、私は心からそいつらに感謝したよ。
――黎と出会ってくれてありがとうってな」
千春さんの表情は、いつしか優しいものになっていた。
そこには、いつもの千春さんじゃない、母親としての千春さんがいた。
「晴司、お前は幸せ者だよ。あんなに素敵な子達から想いをよせられてるんだからな。
……それはきっと、お前の人徳なんだ。
お前は、それを誇っていいんだよ。
――お前は、お前自身が思ってる以上に大した男だよ」
千春さんは、それまで見せていた優しい表情を俺に向けて言ってきた。
千春さんは分かっていたようだ。俺が抱えるものを。
それだけで、何か救われた気がした。肩の荷が降りた気がした。
……涙が出そうになった。
「……でもまあ、お前はこれからが大変だよな。あんな子達の中から、たった一人を選ばないといけないんだからな」
「………うぐ…………」
「ハハハハ……!!
その顔、お前の父さんと同じ顔してる!」
千春さんは腹を抱えて笑っていた。笑い声は、誰もいない道路に響き渡った。
「父さんと同じ顔?」
「ああ……兄さんはな、すごくモテてたぞ?
――それこそ、お前以上にな」
「マジか!!??」
(……あの父さんが……信じられん…………)
「ああマジだ。そして、お前と同じようにそんな顔で悩んでたよ。
兄さんはな、優しすぎたんだよ。だから色々考え過ぎてたんだ。
……それでも兄さんは最後に一人を選んだ――晴司のお母さんを選んだんだよ。
その時の兄さんは、カッコよかったな。
………大人、って感じだった」
千春さんは少し照れながら話した。
俺は、千春さんからここまで父さんの話を聞いたことはなかった。
今の俺が、その当時の父さんと被って見えたのかもしれない。だからこそ、話したのかもしれない。
それは千春さんが、俺もまた父さんのように答えを出すと信じているからだと思う。俺の想像だが、なぜか確信もあった。
「ま、よく考えろ少年。お前も大人になれ」
そう言って千春さんは、残ったコーヒーを飲み干し、空き缶をゴミ箱に捨てて歩き始めた。
「ちょっと、千春さん!!」
「お前は、そのコーヒーを飲み終わってから帰っていいぞ」
「でも、これってスゲエ苦いんだけど………」
すると千春さんは振り返り、ニタッと笑った。
「それが、大人になるってことだ」
千春さんはそのまま歩いて帰っていった。
俺はそんな千春さんの背中を見つめ、父さんのことを思い出してみた。
(俺も父さんのように、いつか答えを出さないといけないんだよな………)
それは誰かを泣かせる結果になるかもしれない。
それは誰かに恨まれる結果になるかもしれない。
(――だけど、俺は…………)
俺は残ったコーヒーを一気に飲み干した。
口の中には、独特の苦味が広がったが、その中には、心地よい香りも広がっていた気がした。




