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不器用な彼らの空模様。  作者: 井平カイ
彼の日常は平穏とは程遠い
32/64

そしてトリガーは引かれた

 今日は朝から生徒全員の機嫌がいい。

 みんなニコニコして、無駄にはしゃいでいる。いつもうるさい輩が、通常時の10倍ほどテンションを跳ね上げて登校していた。


 それもそのはず。

 今日は、一学期の終業式………つまりは、夏休みの始まりだった。


 今、体育館にいる俺は、その終業式とかいう定例行事に参加しているわけだが………

 校長やら教育委員会のお偉いさんが色々と話していたが、当然みんな心ここにあらずな状態なわけで、ウツロウツロと居眠りという名の瞑想にふけ、ごく間近に迫る期待に満ちた約1ヶ月半に備えていた。


 式も滞りなく無事に終え、教室に戻ると、担任の先生からの夏休みを過ごす上での注意事項が告げられた。

 告げると言っても、毎年配ってるようなプリントを配り、この注意事項を守れ的なことしか言っていない。そのプリントも、毎年の使い回しのものらしく、コピーにコピーを重ねた結果、黒いインクの点がプリント全体に満遍なく写っている。


(……こんなもんで生徒に健全で常識的な夏休みを過ごすようにと言われてもなあ………)


 そんなことを考えながら、配られたプリント片手に、暑苦しそうな窓の外をボケッと見ていた。


 夏休みは俺にとっても、とても楽しみなことだった。

 何しろ、学校と言う名の牢獄から解き放たれ、それまで慌ただしかった連中とは滅多に会わなくてすむし、家でゆっくり出来る。

 家には黎がいるが、まあ、部屋に鍵かけて、扉の前に本棚でも置いておけば、いかに黎といえど、易々とは突破できまい。


(俺の夏休みは、夏休みだけは平穏に過ごせそうだ……)


 俺はそんなことを思い、一人ほくそ笑んでいた。


 ……しかしこの時、俺は予想もしていなかった。

 この夏休みが、俺の人生において、ベスト3にランクインするほど疲れるものになることを…………


 その発端は、何の変てつもない、何気ない極々普通の……俺の一言だった。

 ……そして俺は、夏休み中、その一言を言ったことを後悔することになる…………





==========





 ホームルームも終わり、荷物をまとめた俺は帰るだけになっていた。

 そんな俺の席に、月乃が歩み寄ってきた。


「晴司、一緒に帰るわよ」


「ああ、いいけど…………」


「ちょっと月乃。晴司はアタシと帰るんだよ。アンタは別の奴に当たりな」


 今日もまた、黎が月乃に噛み付く。黎が転校して以来、この二人は完全に犬猿の仲…………いや、龍虎の仲となっていた。


「黎には言ってないでしょ? 私は、晴司に言ってるのよ」


「晴司の行動決定権はアタシにあるんだよ。まずは、アタシに話を通しな」


「あら奇遇ね。私も、晴司の行動決定権を持ってるのよ」


 二人の視線と視線は空中で激突し、激しい火花を散らしていた。


(……ていうか、俺の行動決定権は俺自身にはないのだろうか………)


「空音! あなたも黎に…………あれ?」


 月乃が空音を探して教室を見渡したが、空音の姿は教室にはなかった。


「あの子、最近放課後見ないのよね…………

 晴司、なんか知らない?」


「さあ…………」


 気のない返事をした俺は、ふと窓の外を見た。


 ……そこには、ポニーテールの女子と一見スポーツマンの男子が、楽しそうに歩きながら学校を出ていく姿があった。

 女子はずっと笑顔で、通り過ぎる男子は、その笑顔をもう一度見ようと振り返っていた。


 俺の顔には、自然と笑みが溢れていた。


「……まあ、空音にも色々とあるんだろ」


 俺はバックを肩に掛け、席を立った。そして、俺の席の前で睨み合う月乃と黎の頭を軽くポンと叩き、二人の意識を俺に向けさせた。


「ほらほら、いつまでも突っ立ってないで帰るぞ」


 そう言って俺は教室の出入口に向かった。そして月乃と黎も、張り合うように教室を出た。

 星美は委員会の都合で一緒に帰れないと言っていた。しかも半泣きの状態で。

 星見から泣きながら謝られた俺が、周囲からどんな目で見られていたかは、想像し易いだろう…………勘弁してほしい。





==========





 というわけで、帰り道は三人で帰っていた。

 陽射しは相変わらず強い。それにムカつくくらい暑い。ムシムシしてるから、湿度も高いのだと思う。


(……それなのにコイツらときたら…………)


「おい月乃。晴司にあんましくっ付くなよ」


「黎こそ離れなさいよ。晴司が暑そうでしょ?」


(……いや、二人とも暑いから離れてほしいのだが)


 月乃と黎は俺の腕を一本ずつ掴んでいた。

 それを目撃する男子からは殺気が送られるが、そこは黎が怖いらしく、今までのように何かしらのアタックがあることはなかった。

 もちろん、俺自身がある程度慣れたということもあるが…………


「あああ! もう!! 暑苦しい!!!」


 俺は体を覆う暑さを弾き返すかのように叫び、捕まれていた腕を上に上げた。

 ビックリして立ち止まる二人を置いて、俺はツカツカと商店街に向かって歩き始めた。


「ちょっと晴司! どこ行くのよ!!」


「晩飯の買い物だよ。千春さんからメールが来てたんだよ」


「千春は、また遅くなるのか?」


 黎に聞かれた俺は………ある意味、運命のトリガーを引いてしまった。



「ああ。晩飯いらないから、黎と二人で食べといてくれってさ」


 その言葉を聞いた月乃は固まってしまった。そして、呟いた。


「………黎と二人でって………どういうこと?」


 その刹那、俺は自分の発言がいかに危険極まりないことだったか理解した。

 俺の脳はフル回転を始めた。この状況を打破する圧倒的な言い訳を考え始めた。


「いや! それは……その……!!」


 しかし言葉は出なかった。それでも何とか場を繋ごうと必死になって考えた。考えまくった。

 ……そして、慌てて弁明に走ろうとした俺を嘲笑うかのように、黎はさも当然のように月乃に言いやがった。


「どういうことも何も、アタシ、晴司の家に住んでるし」


(――――――!!)


 俺は口をあんぐり開けて絶句した。

 ……そう、絶句である。言葉を発することすらままならない状態を絶句というが、今の俺は、まさしくそれであった。


 俺の中の警報レベルはメーターを振り切り、激しく燃え上がっていた。


(―――殺される…………!!)


 そう直感した俺の体からは大量の汗が吹き出してきた。首から上の血が一斉に下に落ちていった気がする。

 ……これが世に言う“血の気が引く”というやつなのだろう。

 俺は条件反射的に腕を顔の前に構え、月乃の攻撃に備えた。


 ……しかしその時、予想外の出来事が起こった。

 月乃からの攻撃が来ない。

 決して攻撃を期待したわけではない。俺はMでもないし。

 ……だが、全く攻撃が来ないのはいくらなんでも異常事態だ。


 俺は恐る恐る月乃の顔を、構えた腕の隙間から覗いてみた。

 月乃は、この世の終わりのような雰囲気を体中から放ち、俯いていた。長い黒髪が顔を隠し、泣いているのかどうかは分からなかった。でも、少なくとも何かしらのショックを受けていることは明白だった。


そして月乃は、足早に帰って行った。振り返ることなく、立ち止まることなく、口を開くことなく……


「お、おい! 月乃!!」


 俺の呼びかけに、月乃が反応することはなかった。

 俺は立ち尽くしたまま、立ち去る月乃の後姿を見ていた。





==========





 家に帰って、俺は居間のソファーに寝転がっていた。テレビではお笑い番組が放送されていて、俺はその番組が好きだったが、到底見ようとは思えなかった。


「……何落ち込んでるんだよ」


 黎が立ったまま俺の顔を覗き込んでいた。


「……落ち込むだろ。どう考えても誤解されたぞ……」


(これから俺がどうなることか、想像も出来ねえし………)


 そんな俺の様子を見た黎は、やれやれといった表情をしていた。そして、すぐに真顔になり、冷静に話し始めた。


「……だいたい、この生活がいつまでも秘密に出来ると思ってたのか?

 秘密ってのは、遅かれ早かれ、いつかは必ず誰かの知るところになるんだよ。

 それがたまたま、今日だったって話なだけだろ………」


「いや、そうだけど………」


 そうは言ったが、それ以上の言葉は出てこなかった。言葉にはできないが、俺の心では反論する意思のようなものがあった。

 しかし黎は、そんな俺なんてつゆ知らず、むしろ誇らしげに語った。


「ま、これで邪魔な月乃も今回ばかりは諦めがついただろ。ようやく本格的な新婚生活を送れるな……」


「……いや、結婚してないから……

 ていうか、なんで自称許嫁から自称新妻にランクアップしてんだよ……」


 そんな俺らのどうしようもないグダグダを終わらせるように、玄関のインターホンが鳴り響いた。

 時刻は午後10時。千春さんの帰宅時間だ。


「あ、帰ってきたか……」


 俺は玄関に向かう。


(……黎は一度、千春さんにお灸を据えてもらわねばいかん。どこまでも自由すぎる)


 俺はそんなことを考えながら玄関のカギを開け、ドアを開いた。


「ちょっと千春さん、聞いてくれ――――」


 ドアを開いた俺の目の前には、千春さんはいなかった。


 代わりにそこにいたのは……月乃だった。


「こんばんは、晴司」


「あ、こんばんは………」


 微笑んで挨拶をした月乃に、つい普通に挨拶をする俺。


(いやいやいやいや! 違うだろ俺!!)


「―――――って、なんでお前がいるんだよ!?

 ていうか、何で俺んち知ってんだ!!??」


(……そうそう。それだよ俺。その質問だよ)


「何でって、調べたからに決まってるでしょ?」


 月乃は、何言ってんの? ……と言わんばかりの不思議そうな顔をしていた。


(その顔は本来、俺がすべき顔だろが……!!)


「とにかく入るわね」


 そう言って、月乃は俺の横をするりと抜け、家の中にズカズカ入ってきた。ガラガラと音を立ててキャリーバッグを引っ張ったまま。


(―――いや、何そのバッグ………って違う!!)


「いやオカシイから! 何普通に入ってんだよ!!」


 俺の超常識的な意見を無視して、月乃は進み続けた。


「何って、今日からこの家に住むからよ」


(――あ、なるほど………)



 …………


 ……………………


 ……………………………


 ……………………………………って、



「はあああああああああああ!!!???」


 俺の魂を震えさせる悲鳴にも似た絶叫が、家中を駆け抜けた。


「どうでもいいけど、近所迷惑よ。こんな夜に大声出すなんて……非常識ね」


「非常識なのはお前だあああああ!!!」


 そんな俺のシャウトを無視して、月乃は居間に突撃した。

 俺はというと、玄関で石化していた。


「うわ! 月乃!! なんでお前がいるんだよ!!??」


「言ったでしょ? 私は晴司の保護者なのよ。

 私が夏休み中、晴司に“妙な虫”が寄らないように監督するのよ」


「誰が虫だって……!!??」


「あら、私は別にアナタが虫だなんて一言も言ってないけど?」


「てめえ……!!!」


 ……居間からは、学校で繰り広げられているいつもの会話が聞こえてくる。


「あれ? なんか今日は騒がしいな……晴司、誰か来てるのか?」


 後ろからは、今度こそ帰宅した千春さんの声が聞こえてきた。

 しかし、今の俺にはそれを迎える余裕はなかった。


「………俺の……平穏が…………」


 俺は、千春さんに反応することなく、その場で膝と手を床に付け、ただただ、項垂れていた。








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