儚い幸せ
週末の土曜日。俺は駅に来た。
待ち合わせの時間まで、15分少々ある。まあ、早く来て損はないわけで、たぶん誰もいないであろうロータリーで待とうと思っていた。
……しかしそこには、既に空音の姿があった。
「あ、楠原くん。おはよう」
「ああ、おはよう空音。早いな」
「うん! だって、初めて楠原くんから誘われたから嬉しくって………!!」
空音はずっとニコニコしていた。
――こうして二人きりになったのは二回目である。最初は学校の昼休み。則之の謀略により二人きりになった。
そして、今回は二回目。――いや、自らの意思でこうしたことを考えれば、初めて二人きりになったと言えるかもしれない。
そういう意味で、空音がはしゃぐのだろう。
そんな空音を見て、俺は笑顔を浮かべていた。
……でも、その奥に秘めたものを考えると、胸の奥がずっと傷んでいた。笑顔の空音が、俺の胸を刺し続けた。
俺たちはいろんなところを回った。まあ、基本的には空音に行くところを決めてもらったから、人形やらぬいぐるみといった可愛いもの巡りとなったわけだが……
空音はずっと笑顔を振り撒いていた。女の子らしい服装に身を包み、清らかで優しい笑顔だった。そんな空音の姿を見た通行人の男は、振り返り、彼女を見た。
……則之が言っていたのは、きっとこの笑顔のことだと思う。――いや、この笑顔に間違いない。則之は、こんな笑顔を見せる彼女を、心から好きなのだろう。
則之は言っていた。この笑顔は、俺にしか作れないと。しかし、本当にそうだろうか。
空音のこの笑顔は、確かに今俺に向けられている。……もちろん、則之と俺と空音が三人でいるときには見られなかった表情だ。これは、俺といるからこそ見れるのだろう。
でも、則之は言っていた。この笑顔を好きだと言っていた。つまり………
「……楠原くん?」
気が付けば、空音が俺の顔を覗きこんでいた。
「あ……な、なに?」
「やっぱり聞いてない……」
空音はムスッとした表情をして、俺を横目で見ていた。
「ごめんごめん。で、なんだって?」
「もう……お昼、どうするのって言ったの!」
「ご、ごめんって……ええと、考えてなかったな………」
その言葉を聞いた空音は、今まで不機嫌だったのが嘘のようにパアっと表情を明るくした。
「じゃあ、公園に行こうよ!」
「公園に? 公園に売店なんてあったかな……」
「いいからいいから! 行こ!」
空音は俺の腕を強引に引っ張って行った。
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公園には人がたくさんいた。家族ずれ、ペットの散歩、運動……
それぞれが違う目的でこの公園に来ていたようだ。
俺は、俺の目的を達成するために周囲をキョロキョロと見渡してみた。いくら探しても、ここに飯屋はないのだが……
「空音、ご飯なんて売ってないぞ?」
「……本当、鈍いんだから……」
「何が……」
呟いた空音の方を振り向くと、空音は俺の顔の前に、いつか見た弁当箱を出していた。
「……私、作ってきたんだ」
空音は、少し照れながら話した。頬を赤くしているが、それを見られないように下を向いていた。その姿はなんとも可愛らしく、俺まで顔が熱くなってきた。
「お、おう……」
俺は差し出された弁当箱を手に取った。そのまま、俺たちは固まっていた。
……弁当片手に立ち続ける彼。その前で頬を染め俯き立ち続ける彼女。
他の人から見たら、何とも不思議な構図だろう。
とりあえず、落ち着くことにした。
「空音、ベンチに座ろうか……」
「う、うん………」
俺たちは実に固い動きでベンチに座った。
……なんか不自然だ。ロボット的な動きを二人ともしてるし。
俺は弁当のふたを手に取った。
「………あ、開けるぞ?」
「いちいち言わなくていいよ。なんか恥ずかしい……」
空音はさらに深く俯いてしまった。
……俺が弁当に過敏になるのは、どう考えてもアイツのせいだろうな……
俺はゆっくりとふたを開けた。そこには、未だかつて見たことがないほどの弁当があった。
真っ白に炊き上がったご飯は、一粒一粒がキラキラ輝いている。玉子焼きには焦げ目がなく、鮮やかな黄色を放つ。鳥のから揚げは、時間が経ってもジューシーさがまるで消え失せていないかのようだった。ホウレン草はバター炒めらしく、ほんのりとバターの香りが漂い食欲をそそる。そして、隅には真っ赤で水々しいプチトマトが彩を整えていた。
そうだ! これが弁当なんだ!! これこそ弁当なんだよ!!!
俺は空の彼方に向かって、そう心の中で叫んでした。
しかし、弁当とは見るものではない。食べるものなのだ。
「……いただきます」
俺はおそるおそる口に入れた。ゆっくりと、味を確かめるように噛みしめる。
「――――うまい!!」
「ほ、本当!?」
空音は俯いていた表情を上げ、手を口に当てていた。
「ああ本当だって! マジでうまいよ!!」
「よかったぁぁ………」
空音は胸を撫で下ろしていた。空音としても不安だったんだろうな……
「ところで、お前のご飯はどうするんだよ」
「私のはないよ」
「え!? じゃあ、ご飯どうするんだよ……」
「別にいいよ。だって、楠原くんが私の弁当食べてくれてるだけで満足だし」
そう言って空音は微笑んだまま俺を見つめていた。その表情は、実に穏やかだった。
……いや、微妙に俺の質問とは回答がズレてるんだが……
……それに、なんか食べづらいな………
「……空音もこの弁当一緒に食べないか?」
「え!?」
「いや……だって、俺一人でご飯食べるのは、ちょっとな………」
「で、でも! お箸とかないし!!」
「そんなもん、この箸を使えばいいだろ?」
俺は使っていた箸をカチカチ鳴らせた。
「なあ――――!!??」
空音は絶句していた。目が点になってる。
「あ、さすがに一緒の箸は嫌か………」
「いやいや全然!! むしろ………」
そう言って空音はさらに固まった。顔全体が真っ赤になり、湯気が出ているようだった。
「じゃあ、何食べる?」
「………た、玉子焼き……」
空音はおそるおそる答えた。俺は玉子焼きを箸でつかんだ。
「ほら、空音。口を開けろよ」
つかんだ玉子焼きを空音の口の前にやった。空音は揺らいだ目をうかべながら、困った表情をしていた。それでも、ゆっくりと口を開いた。
「あ……ん」
空音は玉子焼きを口に含め、ゆっくりと噛みしめていた。空音が嚥下したのを見届けて、俺は空音に話しかけた。
「どうだ? うまいだろ?」
って、空音が作ったやつだから聞かなくてもわかると思うが………
「……うん。とってもおいしい………」
空音は、本日最高の笑顔を俺に見せた。
頬は依然として赤く染まり、その目は雫を纏い、キラキラと光を放ちながら揺れていた。
「だろ!? 俺感動したよ……」
「もう……オーバーだよ………」
オーバーなもんか。あの兵器を経験した俺だからこそ、この感動は凄まじいものがあるんだ。
「楠原くん……」
「ん? どうした?」
「………もう一個、食べたいな………」
空音は、さらに顔を赤くして、小さな声で言ってきた。
「よしよし。任せとけ」
俺たちは一つの弁当を二人で食べた。空音は終始固い雰囲気だったが、その顔は幸せに満ちていた。
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ご飯を食べた後、俺たちはさらにいろいろ回った。時間を忘れ、ひたすらに歩き回った。
そして、気が付けば、時刻は夕方になっていた。
俺たちは帰るために、駅まで歩道を歩いていた。
その歩道は、線路沿いにある、街路樹が等間隔に植えられ赤レンガが敷かれた、綺麗な歩道だった。住宅街から少し離れたこの道には、前後左右を見渡しても俺たちの姿しかなかった。
すると、急に空音が立ち止まって、俺を呼び止めた。
「………ねえ楠原くん」
「……なんだ?」
「――そろそろ、いいよ」
空音の表情は曇っていた。しかし、空音が言った言葉は、“それ”を躊躇していた俺の背中を押すことになった。
俺は、ずっと心に秘めていたものを出そうとした。
「………空音、今日お前を誘ったのはな―――」
「―――分かってる」
空音は俯き、俺の口から言葉を言わせないかのように、そう言った。
「………分かって……いるから………」
空音は顔を上げた。そこには、今日の空音ではない、いつもの学校での空音の笑顔があった。
……そして、少し笑顔を浮かべた空音の顔には、頬を伝って落ちる、一筋の涙があった。
その涙は、儚い幸せの終わりを告げていた。




