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不器用な彼らの空模様。  作者: 井平カイ
ありのままの心で
28/64

遠い日の記憶

 

 退院後の学校初日、俺は今の自分の立場が理解できていなかった。人間ってのは、あまりにも突拍子もない現実が目の前に現れた時、すぐさまそれを夢だと思うもののようだ。


(そう……夢に決まってる………

 だって俺だぞ? 今までこんなことあったか? いったい何がどうなったらこうなるんだ?)


 俺は、自分の下駄箱の前で、松葉杖片手に頭を抱えていた。

 下駄箱の自分の場所には、たくさんの手紙が入っている。

 呪いの手紙なら経験があるが、いずれもハートマークのシールが見える。


(新手の嫌がらせか? それとも俺のクラスに超絶イケメンでも転校して、俺の下駄箱と間違えたのか? 

 ……どちらにせよ、誰に宛てた手紙かによってこれらの処遇を決めるとしよう……)


 俺は手紙の一つを手に取り、中を確認してみた。


 ……それは、間違いなく、俺宛ての恋文だった。


(イエエエエエス!! 初ラブレタアアアア!!!

 ――でも!! ああああああああ………)


 俺の中で喜びと悲しみと絶望感が同時に発生した。俺はその場で両手を下に付け、項垂れた。

 普段の俺なら喜びの絶頂を迎えるだろう……

 だが! これを見て月乃たちが何を思い、どう行動するのかを考えると、頭が痛くなる。

 ……さらには今日はおそらく“アイツ”の転校初日。


(このままいけば死ぬな………)


「晴司よ……お前はいったいどこに向かうんだ………」


 ふと柱の陰から声が聞こえた。俺はその声の方向に目を配る。そこには、到底この世のものとは思えないほど暗く、どんよりとしている則之がいた。

 亡者だ。まさに死霊。


「お前は俺を裏切らないと思っていたんだがな………

 なんだよ晴司! この手紙の山は!! 何が起こったんだよ! 龍の神様にでも願いを叶えてもらったのか!!??」


 則之が泣きながら俺に迫ってきた。


(ていうか泣くなよ。あと、鼻水は拭いた方がいいぞ。いろいろヴィジュアル的に……)


 俺は則之の肩にそっと手を当てた。


(……則之、お前は何も分かっていない。この状況が、いかに深刻であるかを………)


「確かに、傍から見ると、この光景は喜ばしく思うべき状況だろうがな……

 ――でもな則之、今の俺は昔の俺とは違うんだよ………

 俺は今日、命を散らすかもしれん………」


「それは想いに潰されるってことなのか!!??

 そんな死に様なんて男の憧れじゃあないか!!!」


「想いに潰されるのは間違いないが……死ぬのは、肉体的な損傷が原因になるだろうな………

 人間が死ぬときってさ、星になるって誰かが言ってたよな……

 俺は死んだら、いったいどんな星になるんだろうか……

 あのきらびやかな七色の星座の一部になるんだろうか……」


 則之の顔は、『何言ってるんだコイツ?』って顔をしていた。


(そうだろうな。俺だって何言ってるのかわからんくらいだ……)

 

 どうやら、俺の頭の中は、俺が思ってる以上にスパークしているようだ……

 俺はとりあえずフラフラしながら教室に入った。





==========





「晴司、驚いたでしょ。アンタの下駄箱……」


 月乃が、開口一番こう言ってきた。


「まったくだ。何がどうなったらこうなるのやら……」


「まあ、色々あったのよ……私たちも色々やってみたけど止まらないのよ……

 これから、もっと増える可能性が高い……」


 月乃の顔もまた絶望に伏していた。目に生気が感じられない。空音の目もまた明後日の方向を向いている。

 この二人がこんな状態ってことは、きっと星美も今頃同じような状態になっていることだろう………南ー無ー………


(いったい何があったのやら……)


 それよりも、もうすぐ朝のホームルーム。

 ……おそらく、というより確実にアイツが来るだろうから、明日以降はこのような事態はなくなるだろう……

 よりヒドイ現実が待っているのだから……

 転校しても俺のクラスに入るとは限らない。

 ……だが、アイツのことだ。あの手この手を駆使して、俺のクラスにゴリ押しで入ってくるだろう。

 一応昨日のうちに電話で“余計なことは言うな”と釘を刺していたが……どこまで抑え込めるやら。


 そうこうしているうちに、先生が入ってきた。そして教壇に出席簿を置き、俺たちの方を見てきた。その目の下には、確かにクッキリとクマが見える。


「……今日は転校生がいまーす。みんな仲良くしてねー………」


(いや暗えよ! 何があったんだよ!! ……聞かなくてもだいたい予想できるけど。

 アイツだろ? アイツしかいねえもんな!?

 ていうかアイツ何したんだよ……)


 教室中がその異様な雰囲気を察した。ざわつく教室。混沌が襲来する前に、すでに教室を何か見えないものが支配し始めている。


「じゃあさっそく入ってくださーい……」


 緊張の時。教室中から唾を飲み込む音が聞こえる。


 教室の出入り口がガラッと開く。そして、“アイツ”は金髪を靡かせ、颯爽と入ってきた。


「初めまして。白谷黎です。よろしくお願いします」


 黎はニッコリと笑顔だった。


(―――――!!!! う、嘘だろ………

 黎が笑顔を見せている!! これは怪奇現象だ!!)


 教室中からキレイキレイと聞こえてくる。まるで月乃が転校してきたときのようだ。確かにそう見えるだろう。


(……ていうかよく考えると、制服とはいえ、アイツがスカートを着てるのを久々に見たな。最初に会ったころ以来だ。

 うん、確かにキレイでおしとやかそうだ。――見た目は、な………)


 ふと、教室の中から誰かがボソッと言った声が聞こえた。


「まるでお姫様みたい……」


 その瞬間何か別のざわつきが始まった。

 断片的なヒソヒソ話が聞こえる。パズルのようにそれを頭の中で組み替えていくと、こういう話のようだ。


“あれってこの前から放課後に現れた不審者じゃないか? うちの生徒だったのか? 楠原晴司と関係があるのか?”


(………アイツ、何してくれてんだよ……)


 周囲を見なくても分かる。痛いほどの視線が俺に集まっている。

 特に月乃、空音からは得体のしれないフォースを感じる。


(黎よ……頼むからもう余計なことを言わないでくれよな………)


「では白谷さん、何か一言あれば……」


 そう言われた黎は静かに瞳を閉じた。そして黙り込んでしまった。



「ちょ、ちょっと、白谷さん?」


 先生が慌て始めた。教室中がザワザワ言ってる。


(頼む黎! 何も言わずに席に座ってくれ!!)


 俺は心の中で祈り続けていた。机の下で手を合わせ、必死に黎に懇願した。

 しばらくすると、黎は静かに瞳を開いた。その瞳は、さっきまでの外面モードとは違っていた。

 ……そう、いつもの黎だった。


(ま、まさか………)


「――こん中で、晴司の彼女がいるなら名乗り出ろ!! 今すぐに!!!」


 黎が叫ぶと同時に静まりかえる教室。固まる先生と生徒と時間。

 せみの鳴き声が空しく響き渡る……


(ああああああああああ………)


「なんだ? いねえのか? 隠れてるのか? 卑怯者が!!!」


 なんか一人で暴走しとるし。


(頼むからもう黙ってくれよ!! 俺への視線が痛いんだよぉぉぉ………)


「………名乗らないみたいだな。だったらここでハッキリ言ってやるよ!!

 アタシはなぁ―――!!」


(ヤバい!!!!!)


 俺の本能が警報レベルをトリプルマックスに跳ね上げた!!

 俺は瞬時に席を立ち上がり、黎に向かって叫ぶ。


「黎!! ちょっと待――――!!」


「―――アタシは! 晴司の許嫁だ!!!!!」


 …………………………


 再度固まる教室。蝉達の合唱が盛大に響き渡る。



(何言ってくれてるのぉぉぉぉぉぉ!!??)



 真っ白になる教室。立ったまま魂が天に召される俺。勝ち誇った顔で教室を見下す黎。


(……もう、死にたい………)


「ふん! わかったら、さっさと晴司から身を引くんだな」


 黎は捨て台詞を吐き、ツカツカ俺の席の横に歩いてきた。

 そして、俺の隣に座る男子に向かって凄まじいほどの殺気を込めた視線を送り、物申した。


「アンタも聞いただろ? アタシは、晴司の嫁なんだよ。旦那の隣は嫁って相場は決まってるんだよ。さっさとどきな」


 男子はヒイイッと叫び、逃げるように最後尾の空いた席に荷物をまとめ撤退した。


(お前は強盗か……無茶苦茶だ……

 だいたい、相場ってどこの相場だよ……)


 黎はそんなことお構いなしに席に座り、荷物を机に入れ、なぜか席を俺の席にくっ付けてきた。

 そして、突然腕にしがみ付いてきた。


「これからよろくな♪ダーリン♪」


(……今時ダーリンなんて誰も言わないぞ……

 それが欧米スタイルなのか? 欧米ではみんな言うのか?

 だったら俺は欧米には向かない人間だな……)


 固まり切った教室の中、先生がハッと意識を取り戻し、黎に詰め寄る。


(まあ、先生としては当然だろう……)


「ちょ、ちょっと白谷さん! 勝手に席を変えるのはダメです! 席も元の位置に戻してください! そんな勝手は許されませんよ!?」


(おお! 正論だ!! 頑張れ先生!!! そして俺を救ってくれ……)


「……ああ?」


 黎は先生を睨み付けていた。その目は鬼神の如し。


(いや怖いから。先生が泣きそうになってるから。さすがにやり過ぎだろうに……)


 俺はため息をつき、黎の頭にチョップした。


「いってえ……何すんだよ晴司!!」


 黎は頭を押さえ、俺に食って掛かる。だが、俺にとっては見慣れた光景だから別に何ともない。


「あのな黎。日本には日本の文化や常識があるんだ。こっちに住むならその文化や常識を受け入れろ。

 それが、俺らに対する礼儀ってもんだ」


「でもよぉ……!」


「………黎」


 俺は真顔で黎を見た。黎は俺の視線に何かを感じたらしく黙り込んだ。それでも黎は文句言いたげな表情をしている。

 しかし、こんな表情をした黎は何もしないことも知っていた。

 基本的には俺が一方的に黎に(しいた)げられることが多い。

 でも、たまに俺が説教することがある。極稀だが、そんなときはさすがの黎も自分に非があることがわかるらしく、必要以上に噛み付いて来ない。


「………わかったよ……」


(ほらな)


 黎は凄まじく落ち込んだ顔をしていた。久々に俺に再会したと同時に怒られたんだからしょうがないんだが……


(……しょうがねえな……)


「……先生、席の位置は戻させますが、座席はここでいいですか?

 コイツ、まだ日本に来て日が浅いんで、色々不安な面もあるでしょうから、俺の隣の方が都合がいいと思いますが……」


 泣きそうな表情になっていた先生は、威厳を取り戻す機会と思ったらしく、パアッと表情を明るくした。そして、いったん咳払いをして、場を仕切り直し始めた。


「……まあ、そういうことなら仕方ないわね。

 楠原くん、白谷さんのことお願いね」


 先生は教壇に戻った。背中が上下に大きく動いている。ため息をついているようだ。

 

(……先生、心境お察しします……)


 いつもは騒がしくなる教室も、黎の威圧感に圧倒されたのか、誰も騒がない。騒いだら殺られる、と本能で気付いたのかもしれない。

 一方、月乃と空音は相変わらず固まっていた。というか真っ白になってる。 

 後で何て言い訳しようものか………





==========





 ホームルームが終わった瞬間、俺は黎を連れ出した。黎は不思議そうな顔をしながら素直に引っ張られていた。

 俺たちが教室を出た瞬間、教室が急に絶叫ともとれるかのような声が飛び交い騒がしくなった。


(……また、変な事態になるんだろうな……)


「おい黎! どういうつもりだよ!!」


 校舎影に来た俺は、さっそく黎を問い詰めた。黎は俺の憤りなんて気にするはずもなく、クスクス笑ってる。


「みんなびっくりした顔してたな」


「あれは引いた顔だったぞ…………

 ていうか、あのダーリンってのはなんなんだよ」


「あれは……アタシの作戦だ!」


 黎は天高く人差し指を掲げ、高らかに宣言した。


「さ、作戦?」


「あの中で彼女がいるのは間違いないと思う。でも、ソイツは名乗り出なかったしな……

 だからこそ、あえて仲の良さをアピールしたんだよ。あんなイチャイチャっぷりを見せられたんじゃ、奴も身を引くだろう」


 黎は勝ち誇った顔で説明する。


 黎は、昔から頭はいいんだが、時折常人には到底理解しがたい行動に出る時がある。それも含めて、“天才”と言うのだろうか。

 いやはや、天才とバカは紙一重とはよく言ったものだ……


(……ん? なんでコイツは俺のクラスに彼女がいると断定したんだ?)


「ていうか、お前なんであのクラスに俺の彼女がいるって思うんだ?」


「ふふん。そんなの決まってるだろ?」


「……なんだよ」


「アタシの、感だ!!!」


「…………」


(何を自慢げにバカなことを言ってるのだろうか、コイツは………)


「アタシが見たところ、あの黒色のロン毛女と、ポニーテール女が怪しいと思うんだよな………」


(月乃と美空のことか?

 ……前言撤回。かなりいい線突いてるじゃないか。女の感、恐るべし……)


「あの二人はなかなかの女だな。特に黒色ロン毛はアタシと同じ空気を感じたな………」


(……それもあながち間違っちゃいないな。女の感、すげえ……)


「もっとも、このアタシが相手ってのが運がなかったな。アタシにかかればあんな女なんて一瞬で………」


 黎は燃えていた。後方には炎が見えるようだ。


(……ていうか、その言葉の続きは聞かない方がいいだろうな)


「………」


 ……と、不意に黎が俺のほうを見てきた。その目には怒りも憎しみもない。何かを確かめるように、青い瞳で俺を見ている。


「なんだよ」


「なあんだ。そういうことか」


 急に黎は声のトーンを変えた。そこにはすでに俺の空想の彼女への敵意はないように感じた。いったいどうしたんだか……


「だから、何がだよ」


「晴司さ、彼女なんていないだろ」


「………え?」


「“え?”じゃないだろ。晴司には彼女なんていない。これは間違いない」


(な、なぜ気付かれた!!?? ヤバいぞ、これはヤバいぞ!!)


「そ、そんなことないぞ?」


「嘘だな。だって、晴司に彼女がいたら、アタシがこんなこと言ってるなら、例えアタシが相手でも全力で刃向うだろうし。

 それをしないってことは、晴司には彼女なんていないってことしか考えられない」


「そんなこと、わからないだろ………」


「わかるよ。だって、アタシはずっと晴司のこと見てきたから。晴司だけを見てきたから。晴司のことなんてすぐにわかるんだよ」


 黎は少しはにかみながら話した。その顔にはなんの疑念もない。全力で心から言っていると感じ取れた。


「……晴司、アンタがこんな嘘ついた理由はわかる。そりゃ、晴司だって一生のことだからな。いきなり話を進めようとしても、それは納得できないだろうし」


「だったら………」


 “許嫁なんて撤回を”

 ……そう言おうと思っていたが、途中で黎に割り込まれ、言うことが出来なかった。


「でも、許嫁を止めるなんて言わない。それは決定事項だから。アタシは、誰よりも晴司を理解している自信がある。誰よりも晴司を幸せにする自信がある。

 だから、絶対結婚する」


「……お前自身の幸せはどうなんだよ。さっきから俺のことばっかりじゃないか。お前の人生はお前自身のものだろ。

 だったら、俺なんかに囚われないで、広い視野を持って、いろんな男を見ろよ。俺なんかよりずっといい男なんて、たくさんいるぞ?

 幸い、お前は頭もいいし、運動も出来る。家事だってどこに行っても恥ずかしくないくらいだ。

 そんなお前は、俺なんかにはもったいないと思うぞ?」


「何言ってんだよ、晴司」


 黎は呆れた顔で俺を見てきた。俺としては真面目に、現実的に考え言ったことだっただけに、そんな顔をする黎に若干イラつきを覚えていた。


「何って……俺が言ったこと、わかんないのか?」


「わかんないね、そんなこと」


 黎は平然と言った。少しイラついていた俺は、頭が熱くなるのを感じた。


「お前……!! 俺はな、お前のことを考えて言ってるんだぞ!!??

 少しは俺の言うことも―――!!」


「だって、アタシは晴司のこと愛してるから」


「……へ?」


 これまた黎は平然と言った。平然と言ってしまった。俺の方が逆にテンパってしまっていた。


「い、いや……愛してるって……お前………」


「だいたい、普通好きでもない男なんかと結婚するなんて、絶対言わないだろ?」


「それは、そうだけど……なんで俺なんだよ」


「アタシはね、小さな頃に晴司に救われたんだ。

 ……なあ、初めて会った時のこと、覚えてるか?」


「あ、ああ……覚えてるけど………」


「そっか。それは嬉しいな」


 黎は少し顔を赤く染め、頬をかき、照れながら話した。

 その仕草には、いつもの男と間違えるような黎の面影はなかった。そこにいるのは、“女の子としての黎”だった。


「アタシ、小さい頃、外国の学校でハブされてたんだ。

 向こうの学校じゃハーフってのは浮いた存在だったみたいでさ。なかなかみんなの輪に入りきれなくてさ……

 いつも、一人ぼっちだったんだ」


 黎は寂しそうに話していた。目をやや下に向け、思い出したくない過去を、必死に話すかのようだった。

 ……確かにあの頃の黎は暗かった。千春さん以外には心を開いていなくて、俺の家でも一人で外を眺めていた。

 そこには、やはりコイツのトラウマがあったようだ。


「そんな時、晴司がアタシに声をかけたんだよ。

 最初は気味が悪かったな。初めて会った暗いアタシを遊びに誘って、楽しそうに遊んでやがってたし。当時のアタシには理解できなかったな。

 ……でも、晴司はそんなアタシを、心を広げて迎えてくれた。アタシにはそれが本当に嬉しかった。アタシも初めて心を許したし、初めてもっと一緒にいたいって思ったんだ。

 だから、帰るときは経験したことないくらい悲しかった」


(そういえば、最初に会った時、帰る間際にそうとう泣いてたっけ。帰りたくないって……)


「でも、そんな晴司はアタシと約束してくれたよな。強くて頭がよくなったらずっと一緒にいてくれるって。

 だからアタシは頑張れた。それまでじゃ考えられなかったくらい頑張れた。おかげで、アタシは変わることができた。弱かった自分に別れを告げることができたんだ。

 ……晴司は、アタシを救ってくれたんだよ」


「……それは、俺のおかげじゃないだろ?

 頑張ったのは全部黎だし、だいたい当時の俺はそんなに深くは考えてなかったぞ?」


「違うよ。アタシは晴司を想って強くなったんだよ。晴司の言葉のおかげで、どんな苦しいことも頑張れたんだ。晴司を想う気持ちが、アタシを繋いでたんだよ。

 もちろん、それが愛情ってやつだと気付くのは、ずっと後のことだったけどな。

 ……だからアタシが強くなれたのは、全部晴司のおかげなんだよ」


 聞いてて、少し恥ずかしくなってきた。

 それほどまでに黎の瞳は真っ直ぐに俺を見ていた。いつもの黎とは違う、初めて会う黎がここにいた。


「アタシがこっちに住もうって決めたのだって、晴司を想ってなんだよ。

 晴司はまだアタシを受け入れきれないことは分かってた。だから、今のうちから少しずつでも、ゆっくりでも晴司にアタシを受け入れてほしかったんだ。

 晴司の気持ちを強制しようなんて思わない。晴司の気持ちは晴司のものだ。

 だけど、そんな晴司のありのままの心でアタシを見てほしいんだ。――アタシを受け入れてほしいんだ」


 黎の言葉に、俺の心は揺れていた。

 普段は黎が絶対に言わないような言葉の数々。だからこそ、その言葉の重みはこれ以上ないくらい理解できた。一片の冗談もないこともわかった。

 コイツの青い瞳は、紛れもなく本物だった。


 黎は一度大きく深呼吸をした。そして、改めて俺に言った。


「晴司はアタシが幸せにする。晴司が幸せなら、アタシもこれ以上ないくらいに幸せだから。

 ――だから、結婚しよう!!」


「……それって、普通男が言う言葉じゃないのか?」


 俺の精いっぱいの照れ隠しだった。

 ……いや、これもまた俺の卑怯な一面なのだろう。肝心の返事を、俺は誤魔化した。

 俺は、そんな自分が嫌になって、また自己嫌悪に陥った。


「そうか? こういう言葉は想った人のものだと思うけどな。そこに男か女かは関係ないだろ。

 ……それと、そうやって重要なことを誤魔化すのは悪い癖だぞ?」


(うぐ……見抜かれていた………)


「でもまあ、そうやって誤魔化しても、実は真剣に考えていることも分かってるよ。

 晴司が人から受けた気持ちをないがしろにするわけがないし。晴司はそれが出来ない人間ってのは理解してるつもりだ。

 アタシは、晴司のそういうところも好きなんだよ。

 だから、これから二人で、お互いのことをもっと知っていこうな。アタシももっと晴司のことを知りたいし、晴司にももっとアタシのことを知ってほしい。

 これから時間はたくさんあるんだ。一歩ずつでも、前に進んでいこうな」


(よくもまあ恥ずかし気もなく……

 ……でも、少し楽になった気がした。俺もまた、黎に救われたのか………)


 俺はどうやら黎のことを誤解していたようだ。俺は謝らずにはいられなかった。


「黎、その……悪かったな」


「何がだよ」


「いや、俺な、お前が許嫁を名乗るのは、小さなころの約束を意地になって守ってるだけって思ってたんだ。黎がそんだけ考えてるのなんか知りもしないでさ。」


「それは別にいいさ。はっきりと言わなかったアタシも悪かったし。

 ……そういえば、晴司?」


「……今度はなんだよ」


「授業はいいのか?」


「―――――あ」


 すっかり忘れてた。時間を見ると、一限目が終わる時間だった。


「あああああああああ!!!」


「まったく……そういう抜けてるところは本当に変わってないな」


「誰のせいだよ!! ……最悪だ」


「授業をたった一時間抜けただけだろ? 別に大したことじゃないだろ」


(そういう意味じゃないんだよな。何も言わずに黎を連れ出して、そのまま一時間目をボイコットとか……

 絶対なんか噂になるぞ……)


「……とりあえずタイミングを見計らって教室に戻るぞ」


「はいはい」


 俺は歩き始めた。その後ろから黎が付いてくる。

 だが、教室に戻る前に、俺は黎に言わなければならないことがあることを思い出した。


「……黎、もう教室で余計なことは言うなよ。これ以上の混乱は勘弁してほしい」


「わかってるよ。心配性だな」


(ホントにわかってんのか? 激しく心配だ………)





==========





 俺たちは一時間目の授業が終わり、先生が出て行ったタイミングを見計らって教室に戻った。

 教室に入ると、当然のようにあの人物が待ち構えていた。


「せぇぇぇいぃぃぃじぃぃぃ??

 どこ行ってたのかな???」


 殺意モード全開の月乃が俺たちの前に立ちはだかった。


(……これは怖い。ちびりそうだ)


「つ、月乃、落ち着けよ……色々と複雑な事情が………」


「そんなつまらない言い訳が通じると思うの?」


(……いや、まったく思わないが……)


 すると突然、殺意モードと化した月乃の前に一つの影が立ち向かった。


「……アンタ、晴司のなんだよ」


 言うまでもなく、それは黎だった。

 教室中に緊張が走る。

 効果音が入るなら、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………という擬音だろう。

 女王と魔王の戦い、か………


「アンタには関係ないでしょ? これは私と晴司の問題なのよ」


「晴司の問題はアタシの問題なんだよ。アタシは、晴司の妻なんだからな」


(……いや、だから妻じゃないだろ)


「はん。妻ですって? 押しかけ女房の間違いなんじゃないの?

 それに、晴司はまだ結婚出来る年じゃないじゃない」


「アタシと晴司は親同士が認めた婚約者なんだよ。婚・約・者。すでに将来を約束した仲なんだよ。

 だいたいアンタこそ、晴司の彼女でもないのになんで出てくるんだ?」


「私は晴司の保護者なのよ。保・護・者。

 そもそもその婚約ってのも親同士が決めたことなんでしょ? 晴司の意志はないじゃないの」


(……誰が誰の保護者だって?)


「晴司に任せてたらいくら経っても結論なんて出ないだろう。

 そんなこともわからないのか? 保護者が聞いて呆れる……」


「つまりは押しかけ女房だってことじゃない。

 それこそ婚約者が聞いて呆れるわね……」


(こ、これは……未だかつてないほどのバトルだ!!)


 月乃の背後には虎が、黎の背後には龍が見える。まさに、龍虎相打つ…………!!


「そもそも、アンタ晴司をどう思ってるんだよ。好きなのか?」


「そ、それは………」


(おお!! 黎が勝負に出た!!!)


「ア、アンタこそどうなのよ!!」


(月乃が返した!! ……でも、それは……)


「アタシは晴司を愛してるよ」


(……やっぱり……コイツに純情アタックは通用しないもんな)


 その瞬間、黄色い声が学校中に響き渡った。これは、健全な高校生には刺激が強いからな……

 気が付けば、教室のみならず、廊下まで他のクラスや他の学年の生徒で溢れかえっていた。

 月乃は顔を赤く染め、たじろいでいた。


「ア、アンタ、よくそんなことが言えるわね……恥ってものがないの?」


「恥? 自分の素直な気持ちを言うことのどこが恥なんだ?

 言わないと相手には伝わらないし、伝わらないまま後で後悔するなんてアタシには耐えられない。――自分の“好き”という気持ちを“恥”なんて言葉で誤魔化して逃げるなんて、もっと耐えられない。

 アタシは、アタシの気持ちに嘘はつきたくない!!」


 教室中から……いや、すでに学校中から歓声が上がる。女子の間でもカッコいいという言葉が飛び交っている。


(人前で、ここまでハッキリとこういうことを言い放つのは、おそらく黎くらいなもんだろう。

 白谷黎……恐ろしいやつ………)


 そんな黎の言葉を受けて、月乃は俯き、小さく全身を震えさせていた。月乃にとって、ここまで他人に言い負けるのは初めての経験なのだろう。傍から見ても月乃の自尊心にヒビが入ってるのがわかる。


「私だって………」


 月乃は小さく何かを言い始めた。全身の震えはさらに大きくなっていた。

 そんな月乃に、黎はどこまでも強気に睨み付ける。


(まあ、コイツがこういう言い合いで弱気になるなんて考えられないが………

 ていうか、あんまし睨むなよ。こうなった月乃がどんな行動に出るのか、俺にも分からな―――)


「―――私だって!! 晴司のこと、大好きなんだから!!!」


(……………はい?)


 その瞬間、今まで騒がしかった学校が、一気に静まり返った。

 月乃は涙を浮かべ、顔を耳まで真っ赤にして震えている。そんな月乃の姿は、他の生徒からするなら初めて見る姿だろう。


「……アンタ………」


 ―――ガタッ!!!!


 黎が月乃に何かを言おうとした瞬間、教室の中で誰かが椅子の音を激しく鳴らし立ち上がった。

 それは、空音だった。

 空音も、なぜか顔を真っ赤にして震えている。


「わ、私も………」


「空音……」


 月乃は空音を、その黒い瞳で包み込むかのように見つめていた。空音が何を思ったか、それが月乃には分かっているかのようだった。

 空音は、何を思ったのか………


「……私も!! 楠原くんが、大好きです!!!」


(……………はいいい?)


 その瞬間、静まり返っていた学校が、一気に固まった。

 空音もまた、目に涙を浮かべ、耳どころから全身を真っ赤にしているように見えた。そんな空音の姿もまた、他の生徒からするなら初めて見る姿だろう。


「わ、私も!!!」


 さらに突然、静寂を切り裂くように、廊下から聞き覚えのある声が響いた。そして、その声の主は、教室の入り口にある人波をかき分けるようにして教室に飛び込んできた。

 それはもちろん、星美だった。


(ま、まさか………)



「私も!! 今でも楠原先輩が、大好きです!!!」


(…………はいいいいい!!??)


 その瞬間、固まっていた学校中が、一気に真っ白になった。

 星美も同じように、全身を真っ赤にしている。


(……こ、これ、どうすんの?)


 ……そして、静寂ははち切れんばかりの絶叫で破られた。


 ワアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!


 学校中が、未だかつてないほどの絶叫を放つ。もやは狂気じみていた。先生が慌てて事態の収拾を図るが、騒ぎは全く収まる気配がない。

 それほどまでに、全校生徒全てが興奮の坩堝るつぼにはまっていた。


 しかし、そんな興奮は蚊帳の外で、俺の周囲に立つ四人の女子は冷たい視線をぶつけ合っていた。

 ……その真ん中に立つ俺の心境は察してほしい。


「……ふん、アンタ達の気持ちはよくわかった。でもね、アタシはアンタ達なんかには負けないからな」


 黎が3人に言い放つ。


「私だって、もう後には引かない。絶対に晴司を手に入れる!」


 月乃が黎だけじゃなく、空音、星美に向かっても宣言した。


「私は、月乃ちゃんと星美ちゃんとは友達だと思ってるし、黎ちゃんとも仲良くしたいって思う。

 でも! それとこれとは話は別だから!! 私は、楠原くんが好きだから!!」


 空音が普段からは想像できないほど闘争心をむき出しにしている。


「私、みんなが先輩だからって遠慮なんてしません!

 私だって楠原先輩を誰よりも想ってる自信がありますから!!」


 星美が小さな体から懸命に大声を出していた。


 そんな3人の様子を見た黎が、笑みを浮かべた。その顔は、空手のときに強敵と出会って嬉しそうにする黎と同じだった。


「……面白いじゃないか……ここはひとつ、全面戦争といこうか……!!」


 4人が火花を散らす。俺は固まる。

 もちろん、この決着は俺の手にかかってることは分かってる。……だが、それは並大抵の覚悟では決められないことが嫌でもわかるほど、殺伐とした雰囲気だった。


 俺の明日は、どっちだ……



 ……今後の俺についても気になるが、いつの間にか則之の姿が教室になかったことが、少し気になった。










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