更なる混沌へのプロローグ ~晴司サイド~
「ああもう!! ……退屈だ」
誰もいない病室で、俺は一人叫んでいた。この病室にはテレビすらない。ひたすらに寝ることしか出来ないようだ。
あれから俺は入院した。臨海学校の施設から近い大きな病院でいったん治療をし、そのまま救急車で地元の総合病院に転院、そしてそのまま入院、という流れだった。
……どうも右足首が折れていたらしい。ポッキリと。きれいに。だからこそ、逆に治りが早いんだとか。
あと、左腕は8針縫うことになった。ほかの切り傷は消毒すれば何とかなったが、左腕の傷は予想通りかなり深かったらしい。
まあ、医者から言わせれば、状況から考えると、この程度で済んだのが奇跡的だそうで、一応神様に感謝すべきなんだろうな。そういう意味ではこの退屈は助かった代償と言えるかもしれない。
月乃は近くの病院から地元の病院まで転院するまでずっと付き添ってくれていた。最初に顔を見た時は、なんかスンゲエ落ち込んだ顔をしていたが、当初の予定通りデコピンをしてやった。
代わりにグーパンチくらったが………
空音と星美は俺を見るなり、俺に向かって突進してきた。かなり心配をかけたようで、先生が引き離そうとしても断固として離そうとせず、結局救急車に俺、月乃と4人で乗り、最初の病院まで行くことになった。
ちなみに臨海学校は続行された。まあ、中止にすることを先生から言われたのだが、断固として反対し、都合が悪くなったら被害者面をするという裏技を駆使した結果と言えるだろう。
学校としても、色々と表ざたになるのはマズいようで、すべて俺の自己責任だったという前提で進める代わりだと思う。
そして俺は今たった一人で病室にいるわけだ。非常に退屈だ。人間寝るのにも体力がいるものだが、そういう意味ではもう限界だ。
臨海学校では今頃海水浴をしているころだろうか………
……いや、別にみんなの水着が見たかったとかではないぞ。
……たぶん。ていうか、そういうことにしておいてほしい。
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そんなことを考えていると、ふいに病室のドアが開いた。
「よう晴司。思ったよりも元気そうじゃないか。安心したよ」
「元気もなにも、退屈で死にそうだよ千春さん」
千春さんが笑顔いっぱいで病室に入ってきた。
この人は白浜千春さん。父さんの妹で、叔母にあたる。
母さんは父さんが死んでからずっと仕事に出ている。
なんでも、結婚前はバリバリのエリート社員だったらしく、父さんが死んでもう一度働き始め、今ではどっかの外国の支店を任されているらしい。大したお人だが、あまりの多忙により、会えるのはせいぜい年一回程度だ。
まあ、さすがに今回は電話をすぐにしてきたが、俺の声を聴き即座に大丈夫だと判断したらしく、一分程度で電話を切りやがった。
……まったく、なんて母親だろうか。母曰く、
『大丈夫な時の父と同じ口調だったから』
だとか……それでいいのか俺の母親。
話しは戻るが、母さん不在の中、俺一人では心配ということで叔母の千春さんが俺の家に同居しているわけだ。
千春さんは見た目より若く見える。
ショートヘアで整った顔立ち、童顔で年齢を感じさせない艶がある。そのスタイルも抜群であり、モデルとしていまだにスカウトされるようだ。とても今年三七歳とは思えない。
ちなみに旦那はいない。正確には、旦那とは離婚していた。理由は色々とあるだろうが、俺が予想するに、完璧すぎるのだろう。この人もまたエリートと呼ばれる分類に入る。仕事をバリバリこなし、家事全般をソツなくこなす。
……あ、そういえば酒癖がかなり悪いから、それも原因かも。
というより、そっちが大本命………
まあ、同居と言っても、仕事でほとんど家にいないので、俺の一人暮らしと変わらないのだが。
「ていうかよく休みとれたな。驚きだ」
「けっこう無理して取ったんだよ。これでも保護者代理だからな。心配してんだぞ?」
「へいへい、ありがとよ」
と、千春さんは何かを思い出したように切り出した。
「あ、そういえば晴司」
「なんだよ」
千春さんは不気味な笑みを浮かべていた。その顔は邪悪に満ちている。
……こんな顔をするときは、たいていロクな目に遭わないのが、俺のこれまでの経験論である。
「黎がお見舞いに来るって言ってたよ~♪よかったね~♪」
「ああ!!??」
俺は固まってしまった。
(……いや、マジでシャレにならん。勘弁してほしい)
俺の頭の中で過去のトラウマがフィードバックし始める。
「……いつ?」
「そうだね……昨日病院から電話があってすぐ連絡したから……今日中には来るんじゃないかな。
かなり心配してたようだし」
「いや、移動手段的に無理があるだろう…………」
「その移動手段を跳ね返すのが黎なんだよ」
(確かに……)
俺の中の警報はマックスレベルになった。サイレンが鳴り響く。
スクランブル! スクランブル!
俺は無理やりベッドを下り、荷物をまとめ始めた。
「待て待て待て。いったい何をしてるんだ、少年」
「逃げるに決まってるだろ、叔母さん」
その瞬間電光石火の肘打ちが俺の顔面にめり込んだ。
(めちゃめちゃ痛い……)
「ダメに決まってるだろう……
そ・れ・と、誰が叔母さんだって……?」
「……こ、攻撃の理由はどちらでございましょうかお姉様……」
「後者に決まってるだろ、後者に」
「………ダヨネー」
それまで立っていた千春さんは、ため息をつき、椅子にドカッと座った。
「……だいたい、なんでそんなに黎のことを避けるんだ? 嫌いなのか?」
「そういう話じゃないんだよ。俺はリアルに生命の危機を感じてるんだ。
アイツのおかげで、いったい何度彼岸を彷徨ったことか………」
(溢れ出る黎との日々。よくもまあ生きてこられたもんだ……)
「しかし、私が言うのもなんだけど、とてもできた女じゃないか。お前にはもったいないくらいの」
「もったいないって……なんで黎と俺がくっ付くのが前提なんだ?」
千春さんは声を上げて笑った。そんなの、聞くまでもないだろうと言わんばかりに。
(……いや、聞くまでもないけどさ)
「私の予想だとそろそろ来るだろうな。私の感がそう言ってる」
「恐ろしいこと言わんでくれ。胃が痛くなる……」
「……この程度で胃が痛くなるようなら、これから持たないと思うぞ?」
「どういう意味だよ」
千春さんは再び不気味に微笑んでいた。
「ハハハ。ま、あとは若い者同士に任せて私は仕事に戻るよ」
「………ボソ(老兵は消え去るのみ、か……)」
その瞬間、閃光のようなカカト落としが俺の脳天に突き刺さった。
(凄まじく痛い……)
「………何か言ったか?」
「……お姉様の貴重なお時間をワタクシ程度に割いて頂き、感謝の言葉もございません……と言ったのです」
「よかろう」
千春さんは立ち上がり、ドアの方に歩き始めた。……すると、俺に背を向けたまま千春さんは立ち止まった。
「……ま、心配したのは本当だからな。あんまし無茶すんなよ」
「……ああ。わかってるよ」
そういうと、千春さんは手を頭の上でヒラヒラさせ、病室を出て行った。
千春さんは色々性格はアレだけど、実際は面倒をよく見てくれている。正直、かなり助かっているし、そのうち恩返しもしたいと思う。
千春さんのおかげで俺は父さんが死んでもグレルことがなかったし、何か重要なイベントのときは無理してでも駆けつけてくれる。
今日も本当は仕事中にこそっと抜け出してきたのだろう。だからこそ、いくら感謝しても足りないくらいだと思っている。
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千春さんが帰ったあと、俺は自分の成すべきことをする決意を固めた。
……とりあえず荷物をまとめ、この病室を脱出、その後、一直線に自宅に向かい、施錠を完璧にすればいいのだ。
籠城作戦を5日も続ければ、たぶん黎とはいえ諦めるだろう。
この際体の不調は無視しよう。
幸いなことに、この病室の窓の外にはデカい木がある。それを伝って下に降りれば楽勝だ。
……俺グッジョブ!
俺は作戦を決行すべく、窓を全力で開けた。
窓の外は快晴。いつもは憎たらしく思える景色も、今の俺には希望に満ちていた。
そう! 希望に………
「よう晴司。久しぶりだな」
「………あれぇ?」
窓を開けると、デカい木の枝に見たことがありまくる女が座って俺を見ていた。
金髪のセミロングの髪が風で靡いている。キリッとした太めの眉毛と整った鼻筋、宝石のような大きな青い瞳が何か言いたげに、ひたすらに俺を見ている。
昔はなかったが、両耳にはピアスを付けていた。
(……あいにく、胸の方はお変わりなく、ご飯茶碗ってところか……)
「……今、アタシの胸を見て何か思ったか?」
「……滅相もございません」
女は鋭い眼光で睨み付けていた。今の俺は間違いなく蛇に睨まれた蛙のような立ち位置になっている。
そして蛇は続けた。
「で? 晴司は何をしてるんだ?」
「いや……その………スクランブル?」
「このアタシから逃げきれると思ったか?」
女はニッコリと笑い、俺に語り掛けてくる。
しかし、その目には確かに殺意が込められていることを俺は見逃さない!
「ま、まあ、その……久しぶりだな黎! まずは再会を喜び合おうじゃないか!」
俺は両手を広げ、ちょっとオーバーにジェスチャーしながら話してみた。黎はニッコリと笑ったまま、木の枝の上で立ち上がり、その場でしゃがみ込む。
「そんな誤魔化しが……効くと思うな!!!」
黎は病室に突っ込んできた。そして、そのままの勢いを保ったまま、俺の顔面に飛び膝蹴りを炸裂させた。
クリティカルヒットした……
「アタシは、かなり心配したんだぞ…………」
黎は急にしおらしい顔をしながら呟いた。目には涙らしきものも見えた。そして、その言葉に偽りなど微塵も感じられない。それについては謝らないといけないな。
俺は顔面を手で押さえ、謝ることにした。
「………悪かったよ」
白浜黎は千春さんの娘だ。
年は俺と同い年。髪の色と瞳から察すると思うが、千春さんの元旦那は外国人だ。つまり、黎はハーフなのだ。
基本的には外国にいる元旦那のところに住んでいるが、たまに千春さんに会いに日本に帰ってくる。
俺とは従妹同士になるので、帰ってくると会うはめになるのだが……コイツは俺にとって超危険人物に指定されている。
性格は凶暴そのもの。暴君とも言える。口調は到底女性らしさを感じないもので……まあこれは千春さんの影響だろうが……
ともかく、事あるたびに俺に鉄拳制裁を加えてくる。その理由もむちゃくちゃで、お前の目が気に入らないとか、お前の態度が気に入らないとか、挙句、お前の性格が気に入らないとか言って、とにかく暴力に走る。
(……チンピラか、己は……)
この性格と“あれ”以外なら問題ないのだが……
外国に住んでいるからもちろん英語はペラペラ。勉強も出来るらしい。小さい頃から始めた空手もブラックベルトだとか。千春さんが母親なだけあり、家事全般をそつなくこなし、料理の腕もプロ並み。
(……本当に、性格と“あれ”が問題か………)
そう、性格よりも断然に問題があるのが、コイツにとっての俺の立場なのである……
「そんな許嫁のアタシを差し置いて、どこに行くつもりだったんだよ!! 蹴るぞ!!??」
「……もう蹴ってるだろが……
ていうか、その許嫁はヤメレ。俺はそんなものになった覚えはないと、さんざん言ってるだろ」
「母さんと晴司のお父さんの許可は取ってるからいいんだよ」
「俺の同意は!?」
「そんなもんいらない」
「理不尽すぎるだろ……。
だいたい海外居住ならアッチで探せよ。あっちならジェントルメンがたくさんいるだろ?」
「アタシがせっかく到底モテなくて、いつまでも彼女の一人も出来ない可哀想な晴司に救いの手を出しているんだぞ?黙って受け入れろ」
「そもそも、根本的に従妹同士ってどうなんだよ。マズいだろ……」
「法律上は問題ない」
「精神論で語ろうじゃないか。俺の精神的に問題アリだ」
「だったらその問題は皆無だな。お前に拒否権はない」
「無茶苦茶にもほどがあるぞ……」
もう言わずともわかるだろうが、黎は“自称”俺の許嫁を名乗っている。
千春さんの裏情報だと、あっちの学校でも交際を申し込まれるが、許嫁がいるから、という理由で断っているらしい……
なぜこうなったかと言うと、小学生時代の俺の若気の至りが原因なのだ。
当時、俺は社会の仕組みやら許嫁やら全く気にもしていなかった。
ある日家に帰ると、千春さんが黎と一緒に遊びに来ていた。
その時の黎は今では考えられないくらいに大人しかった。外国では日本人とのハーフという立場はあまり良好ではなかったらしく、学校でも一人だったらしい。
そんな黎に、小さいながらに同情した俺は一緒に遊んだ。最初は暗かった黎も、だんだんと打ち解け、俺の前では活発に行動するようになった。そんな折に黎が俺に言ってきた。
「晴司くん、もし私が強くて勉強できる子だったら、ずっと一緒にいてくれる?」
「うん! もちろんだよ!!」
「本当に!? ……晴司くん! 私、頑張るね!」
そう言って黎は帰ったのだが……当時の俺はその意味をよく考えなかった。
ずっと一緒に遊ぶ友達のような立場になる、という意味だと思っていた。
しかし、数年後再会したとき、恐ろしい事態になっていた……
大人しかった面影はすっかりなくなり、今の魔王のような女にメタモルフォーゼしていた。
そして、許嫁を名乗り始めたのだ。
もちろん全力で拒否したが、あろうことか、まだ生きていた父さんと千春さんが酒の勢いで太鼓判を押しやがったのだ。その段階で、黎の中では婚約が成立したようだ。
俺はとりあえず則之の家に泊まったりして難を逃れていた。しばらくすればコイツは外国に戻る。それだけが俺の逃げ場だった。
「……で、黎。今回はいつまで日本にいるんだ?」
俺はさりげなく情報収集活動を始めた。その期間によって俺の身の振り方が変わるとも言えよう。もっとも、しばらくの間は入院するから、どっちにしろ黎とはあまり会わなくて済むが………
(さらば、黎……)
「あれ? 千春から聞いてないのか?」
「何をだよ」
「アタシ、これからこっちで住むことになるから。もちろん晴司の家で」
(……………………)
「…………はい?」
「ちなみに、学校も晴司と同じ学校に行くから」
「あの………黎さん? 何を言ってるの?」
「アタシは日本の法律上もう結婚出来るし、晴司も来年には大丈夫だからな。今のうちから同居に慣れとかないと……
というわけで、これからよろしくな晴司♪」
「待たんかい!!! 俺は何も聞いてないぞ!!??」
「だって言ってないし。……だいたい、晴司一人だと何か頼りないしな。アタシが一緒にいれば大丈夫だろう」
「いやいやいや!! オカシイオカシイ!!
俺的には、お前が一緒にいた方が危ないぞ!!??」
「何て言おうが、もう決定事項だ。これから楽しくなりそうだな♪」
黎は満面の笑みだった。手を後ろに回し、何とも機嫌がよさげだった。
……一方、俺は真っ白に燃え尽きていた。どっかの明日のボクサーの様に。
(……このままではマズイ!)
俺の脳は全力で警鐘を鳴らす!!
俺は考えた。どうすればいいか。どうすれば助かるだろうか。
………ふと、思い出したことがある。確か、前に同じような感じでアイツがしたことを。
俺に迷いはなかった。
「あのさ!」
俺は大声を出した。黎はギョッとした顔でこっちを見た。
「実は俺、付き合ってるの人がいるんだよねえ…………」
……これしかなかった。いくら黎でもこれなら……
「それって、二次元の人?」
「違ぇよ! ちゃんと三次元だよ!」
「じゃあフィギアか何か?」
「んなわけねぇだろ!
……お前の中で、俺はいったいどんなやつになってんだよ……」
「変態」
「そういうことは本人がいないところで言おうな。俺のハートが傷ついたぞ」
「ふ~ん…………」
黎は疑うような目で俺を見ていた。
(……どうでもいいが、早く諦めろよ)
「………許せないな」
黎の言葉にはこれ以上ないくらいの殺気が込められていた。その怒りは天地をも揺るがすレベルだと瞬時に理解した。
(あ、殺される………)
「ま、待て……話せばわかる! 俺を殺さないでくれ!!」
「なんでアタシが晴司を殺すんだよ」
「へ?」
黎は仁王さまのような顔をし、震えるくらいに手に力を込め握りしめていた。
「……その女、許せない。アタシがいないのをいいことに、人の旦那をたぶらかして…………!!」
「誰が旦那だよ…………」
「晴司は黙ってなさい!!」
「………ハイ」
「こうなったら全面戦争だ!!
アタシのこの手で、その女を血祭りに上げてやる…………!!!!」
(ああああああ…………最悪の事態にぃぃぃ……!!)
「とりあえず決戦はアンタが退院した後だな。アタシはそれまでは転校しないから!
まずは山籠りして、情報収集を――それから…………」
黎はそうブツブツ言いながら、部屋を飛び出して行った。
最後に見えた黎の顔は、まさしく鬼の形相となっていた。目は血走り、瞳の奥に炎が見える。今まで見たことがないくらいに怒り狂ってる…………
残された俺は呆然とするしかなかった。そして、それからの夜は退院後の学校の悪夢に魘され続けた。
これから一生この病室に住み着きたいと、切に願っていた。
そして、俺が退院した日、その悪夢は現実のものとなり、俺を更なる混沌へと導いていくことになる……




