心を繋ぐもの
漆黒の空間が広がっていた。何も見えないし、何も聞こえない。
(……俺、死んだのかな?
ハハハ。だとしたらお笑い種だ。月乃に絶対助けるとか言っておきながら自分が死んでりゃ世話ねえな……
“死”なんてもんはまだずっと先で、自分には関係ないって思ってたんだけどな。どういう形で来るかわかんないもんだな。
月乃は助かっただろうか……
則之は、怒ってるだろうな……
空音や星美は最後に姿が見れなかったけど、やっぱ泣いてんのかな……
須賀は……どうでもいいか。だいたいアイツが余計なこと言わなきゃ月乃は無茶しなかったんだよ。そのうち枕元に出てやるか……
しかし全身が痛い。死んでも痛みはとれないのかもな……事故で死んだ奴がお化けになる理由がわかる気がする。
ああ……喉が渇いたな。水が飲みたい……)
そんなことを考えていると、川の潺が聞こえてきた。
(三途の川ってやつかな。イメージ的にはもっとおどろおどろしい川って思ってたんだが――意外と落ち着く音じゃねえか。でも暗くて見えない。
……ああ、そうか。俺、目閉じてるんだ)
とりあえず、目を開いてみることにした。
(あの世ってやつを、拝んでやるか)
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目を開けると、そこは森の中だった。
俺は地面の上に仰向きに倒れていた。辺りは薄暗いが、木の隙間から見えた空は、夕焼け色に染まっていた。
……どうやら、死んではないみたいだった。
ただ、ひたすらに全身が痛い。俺は自分の手を顔の前に出してみた。凄まじく傷だらけの手には、ところどころ緑色の葉っぱの跡が残っている。
痛みに耐えながら上半身を起こし、もう一度周囲を改めて見渡してみた。俺のすぐ隣には崖の岩肌がある。俺の服はボロボロで土汚れがかなり目立ち、体中の至る所に打撲、擦り傷、切り傷があった。
(……これなら全身が痛いことも納得だな)
すぐ近くにはきれいな小川もあった。立ち上がろうとしたが、右足首がめちゃめちゃ痛くて立ち上がれない。折れてるかどうかは分からない。骨折なんて経験したことなかったし。でも、とにかく痛い。
俺は這うように前に進み、小川を覗き込んだ。水は透明で川底が見える。これなら飲めるだろう。
手を水に浸けたが、冷たい水は傷口にしみた。すくい取るのが嫌になった俺は、川に直接顔を付けた。顔中がしみる。見えないが、顔にもけっこう傷があるようだ。それでも渇いた喉は、一心不乱に水を飲み続けた。
だいぶん喉が潤って、息が苦しくなってきたこともあり、勢いよく水から顔を上げた。ようやく、気持ちが落ち着いた気分だった。
……しかし、なぜ俺は助かったのだろう。
服と手を見る限り、どうやら崖を滑りながら、無意識に木の枝を掴みまくって衝撃を緩和したのかもしれない。
それにしても、全身ボロボロになりながらも、あの高さから落ちてよく助かったものだ。色々な要素が合わさったんだろうな。崖が坂だったことだったり、崖の下に立派な木があったり……
たぶん、俺の今後の人生で小分けするはずだった“運”を使いまくったんだろう。
(……しばらくは宝くじは買わないでおこう。金が無駄になる気がする)
だが、実際に俺の体はボロボロだった。息をするのも苦しい。しばらくはとても一人で歩けそうにない。とりあえず木にもたれかかり、少し休むことにした。
(……もし今、熊や野犬に襲われたら今度こそ終わりだな。そん時は素直に念仏でも唱えよう。“南無阿弥陀仏”って言葉しか知らないが……
それで足りないなら“アーメン”って言葉もプラスしよう)
俺は不思議と慌てていなかった。全身の痛みのおかげかもしれない。痛いからこそ行動が制限されるから、その分頭を使うのだろう。
こういう場合、最も大切なのは冷静さだ。冷静さを欠けば助かるもんも助からない。俺は自分にそう言い聞かせていた。
しばらく川を見つめていた。周囲はすっかり暗くなり、川の音や虫の音しか聞こえない。時折聞こえる鳥が羽ばたく音がやけに大きく聞こえた。
……ビビってるのかもしれない。それもそうだろう。夜の森はひたすらに漆黒が広がり、光が何も見えない。絶望ってのはこんな景色なのかもしれないと思えるほどだった。
しかし希望もある。まず川があることが救いだった。飲み水に困ることはないし、川伝いに下ればたぶん人がいるところにたどり着くだろう。
……あいにく、バッグは月乃を助けるときに置いてきてしまった。しかもここは森が結構深い。待ってても救助がくるのがいつになるかわからない。
遭難したときはその場を動かないのが常識だって聞いたことがある。でも、人間って奴は、目の前に死がはっきりと見えた時にはそんな常識はただの言葉のように感じるようだ。
なにせ、今の状況そのものが常識から外れているしな。今更常識云々考えるのもバカらしい。
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少し休むと、体はだいぶん楽になった。相変わらず全身が痛いが、そんなのを気にしても仕方がない。
……この場には俺しかいない。誰かに教えを乞うこともできない。全て自分の頭で考え、自分の足で前に進まなきゃならない。
そして、その責任は自分自身が負わなければならない。
(……まるで大人の社会みたいだな。死んだ父さんもこんな気分だったんだろうか……)
俺は近くにあった太くて長い木の枝を掴み、それを支えに立ち上がり、右足を庇うように歩き始めた。
けっこうきつかった。脚一本使えないのがこんなに不便とは……
少し歩き、疲れたら休み、水を飲む。……こうして俺は、夜の中を少しずつ少しずつ進んでいった。
時々右足に痛みが走り転んだ。新しい傷も増えていった。それでも立ち上がり、なんとか前に進んでいった。
……でも、いくら進んでも光は見えなかった。あるのは深い森と暗黒の空間だけ。
不気味な雰囲気で幽霊でも出そうだったが、そんなもんを気にしてはいられない。何しろこのままいけば、俺もそのうちの一人に仲間入りすることになるだろうからな。
どれくらい時間が経っただろうか……
俺は、歩きながら色々考えてみた。
俺の父さんは小学生の時に死んだ。それから、俺は誰かと関わるのをあまり好まなくなっていたのかもしれない。だからこそ、いつも一人でいたし、必要以上に誰かと仲良くなることはなかった。
でも、そんな俺でも今ではいろんな奴と一緒にいる。
則之……
則之は中学からの付き合いだ。うるさいし空気読まないアルティメットバカ。でも、実は面倒見がよくて自分に正直なヤツだ。どんな時でも則之だけは俺に絡んでくれた。則之がいたから俺は知らない土地の高校生活を続けてこれたのかもしれない。考えたことがなかったが、則之は友達なんてもんじゃない。ああいうのを“親友”って言うんだろうな……
空音……
空音は高校からの付き合いだ。もっとも、空音は俺のことを知っていたが。静かだが、だれよりも優しい。俺と則之がバカをやっても飽きずに一緒にいてくれる。ホント、俺のことを好きなんて信じられないくらい器量がいいんだよな。クラスでも友達が多いし、人付き合いもうまい。いい奥さんになるはずだな……
星美……
星美はハラコーの一年で圧倒的人気があるんだよな。でも、それがなぜかはよくわかった。見た目は幼くてほっとけない感じだ。でも、実際は誰よりも芯がしっかりしている。おまけに意外と負けず嫌いなようだし。それは一緒にいないと分からないことだろうけど。クラスで女子からも人気な理由はそこだろうな。いろんな意味で裏表がないヤツなんだろう。
陽子先輩……
中学の時の憧れの存在。近くにいながら、最後まで触れることができなかった存在。まさか、空音の小さいときからの友達とは思わなかったな……再会したときは本当に驚いたし、中学の時に相思相愛だったことにも驚いた。おまけに最後のあの学校での告白。本当に明るくて暖かい存在だ。だからこそ俺をはじめ、いろんな人がその光に触れようと集まるのかもしれない。
そして、月乃……
まあ、とんでもないヤツだよな。最初に会ったころは、いや、会ったころから変わらない。超絶美人だが性格は破綻していると言えるだろう。高飛車でわがまま、すぐに人を見下す。でも、実際は人並み以上に不器用なだけで、しかも人並み以上に傷つきやすい。何考えてるのかわからないところも多いしな。怒っていたと思ったらすぐに機嫌がよくなったり、妙に子供っぽいところがあったり……
(アイツ、自分を責めてなきゃいいけどな。“自分のせいで……”とか言ってたらデコピンだな)
今まで俺が平穏だと思っていた日常はコイツらのせいで崩れたようなもんだ。毎日騒がしくて、最終的に俺が疲れる。何かしらイベントをしたがって、その後始末はほとんど俺が受ける。……ホント、毎日エライ目に遭った。毎日帰ったらクタクタだった。
……でも、毎日が楽しくて仕方がなかった。悪くなかった。もう一度、あの日々に、あの平穏とはほど遠い日々に戻りたい。
気が付けば、目から涙が溢れていた。今は、ひたすらに生きたいと思う。死にたくなんてない。そう思うと、涙が止まらなくなった。
泣きながら、必死に前に進んだ。転んでも転んでも、いろんなところから血が出ても、ひたすらに前を目指した。
相変わらず景色の中に光は見えない。だけど、俺には確かに光が見えていた。アイツらはきっと俺の帰りを待っている。そんな奴らを裏切りたくなかった。それだけは嫌だった。
……それだけが、心を繋いでいた。
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突然、俺は足を踏み外した。暗がりで気付かなかったが、そこには急な坂があったようだ。
俺は坂を転がり落ちた。しばらく転がり、俺の体は衝撃と共に地面に叩きつけられ止まった。
「く……そ………」
体中にさらなる痛みが走る。今度こそ死んだかもしれない。そう思ってしまう痛みだった。
苦痛で顔が歪んでいるのがわかる。体の至る所がもう限界だと叫んでいるようだった。
意識が朦朧とする。目の前が回りながら歪んでいた。不規則な息遣いしかできない。立ち上がろうとすると、今度は左腕に痛みが走った。よく見ると左腕からはかなりの血が流れていた。さっき転がり落ちた時に何かで切ったようだ。かすり傷程度とは言えないほどの血が流れ、傷口を見なくても傷の深さが予想できた。
「……最悪だな………」
そうやって呟くことしか出来なかった。歩いても歩いても光は見えない。挙句、また転がり落ちてこの有様。
今まで、体と心を繋いでいたものが切れかかるように軋んでいた。
(悪いなみんな、もうダメみたいだ……最後に、アイツに会いたかったな……)
朦朧とする意識の中、景色の奥にボンヤリと光が見えた気がした。
(……ああ、あれがあの世か。確かに暗闇の中の光はありがたいな。光になるってのはああいうことなのかな……)
そう思いながら、朧気な光をボンヤリと見ていると、その光はどこかで見たことがある光だと気付いた。
「あれは………」
最後の力を振り絞って立ち上がり、ボロボロの体を引きずるように歩いた。
そして、光に近付いていくと、いつの間にか森を抜け、目の前には建物が……俺たちが泊まっていた施設が広がった。
「ハハハ……」
俺は笑ってしまった。
だってそうだろ? なんとも皮肉な話じゃないか。
最初に転がり落ちた時、俺は生きるために必死に歩いた。でも、目の前には全然光が見えなかった。そして、二度目に転がり落ちた時に、俺はすべてを諦めかけていた。――そんな俺の目の前には、眩しいくらいの光り輝くものがあった。
笑わずにはいられなかった。
体に鞭を打ち、少しずつ建物に近付いて行った。どうやら建物の裏に来たようだった。
エントランスホールが近づくと、騒がしい音と、誰かが泣く声が聞こえた。
本当ならすぐに建物の中に入るべきだろうが……なんだろうな、泣き声ってのには人に眠る良心ってヤツを目覚めさせる力みたいなもんがあるようだ。
(……あれ? 前もこんなことなかったっけ?)
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その泣き声の方に近付くと、ポツンと一人、正面入り口前の階段に手を足にまわしながら座り、顔を膝に埋め、ひたすら泣き続けてる奴がいた。
俺はそいつの方に歩いていき、後ろから声をかけた。
「……何泣いてんだよ、月乃」
月乃は、俺の声を聞いた瞬間にすごい勢いで後ろを振り返った。
「………晴司………?」
月乃の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。キリッとした目は真っ赤に腫れ上がり、涙で顔中汚れていた。細くて艶がある黒髪は寝起きのように乱れていて、両手には包帯が巻かれていた。
そんな月乃の目は、目の前にある光景が信じられないかのように揺れ、さっきまで永遠と流し続けていたであろう涙は止まっていた。
「……ひどい顔だな」
そう呟くと、月乃は体を震えさせながら、眉毛を“ハ”の字にし、再び大粒の涙を流し始めた。
「―――晴司!!!」
月乃はそう叫んで、俺の体めがけて走り出した。……そして、抱き付いてきた。
ボロボロだった俺はその勢いを支えることが出来ずに、固い地面に月乃ともども倒れこんだ。
「……痛いぞ月乃。俺、こう見えても体中ボロボロだから手加減してくれ」
そんな俺の言葉を無視し、月乃はひたすらに泣き続けていた。
俺はそんな月乃を見て、つい笑みがこぼれ、月乃の頭を撫でながら乱れた髪を直した。
月乃は顔をゆっくり上げ、涙を流しながら俺の方を見てきた。
そんな顔を見た俺の頭の中には、あの言葉が浮かんでいた。いつも当たり前のように使っていた言葉。でも今は、何よりも言いたかった言葉だった。
「……ただいま、月乃」
月乃は表情を変え、俺に返す。
「……おかえり、晴司」
月乃は涙を流しながら、今まで見たこともないような笑顔を見せた。
その笑顔は、俺が山で探し歩いていた、“光”そのものであるように思えた。




