彼女の決意
とある日の昼下がり、それは晴れ晴れと空が澄み渡った、絶好の昼飯時だった。
……しかし、そんな昼飯時に、俺は窮地に立たされていた。
「ねえ、どういうことよ晴司……」
月乃が鋭い目付きで俺を睨む。
「……どうと言われましても……」
「まあまあ落ち着けよ柊。別にいいじゃないか。俺はむしろ大歓迎!」
「アンタは黙ってなさい!」
「………はい」
(おお! あの則之を黙らせた!
……なんという迫力と威圧感……まさに魔物!)
「柊さん、落ち着いて。ね?」
「佐々木さん……もう! わかったわよ!!」
(……魔物使いが現れた)
「……でも、なんでここにいるのよ。佐々木さん」
「あの……楠原先輩が、いるから……」
星美が、俺たちのクラスに昼ごはんを食べに来ていた。
(………なぜ?)
「でも、柊先輩も、どうして楠原先輩と食べてるんですか? 彼女じゃないのに………」
「それは! ……その………」
(な、なにいいい!? 月乃が押されてる………星美って、案外気が強いな……)
あの夜、公園で少しだけバットドリップした夜、俺は家で自分の発言の数々を思い出し、恥ずかしさに悶絶した。
だが、翌日の学校に来てみれば、月乃は実に普通に接してきた。まるで何事もなかったかのように…………
もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない、俺はそう思い始めていた。
(月乃が俺にキス? ……いやいや。ないない。あり得ないな。
“KISS”じゃなくて“KILL”の間違いだろう……)
俺もまた、何事もなかったかのように普段通りに生活することにした。
まあ、以前と違って、仮面彼氏の立場はなくなったからな。その分、平和な日々に戻れた気がした。
(……気がしたんだけどな……)
俺はあの日、一応星美をフッたのだが、俺が翌日学校に行くと、すでに噂が飽和状態になっていた。
“あの佐々木星美が、冴えない男にフラれた!”
……と。
なにやら余計な一言まで入ってるが……おそらくは、星見がクラスの奴らに冷やかされ、ついポロリと言ったのだろう。
おかげで尋問の嵐と怪奇文書のお便りが大量に届くこととなった。俺はあの手この手を使い、弁明に走りまくっていた。
……しかしまあ、男どもからしたら、俺がフッたから、もう一度星美にアタック出来るようになったことが嬉しかったらしく、その次の日には尋問だけになっていたが。
そして今日、いつも通り俺の席に則之と空音が来て、飯を食べようとした。
その時………
「先輩! ……ご飯一緒に食べてもいいですか?」
………星美がやって来た。
で、まあいいんじゃね? 的なノリで4人で食べ始めたのだが、職員室に行っていた月乃が戻ると、キャンキャン怒り狂い、何だかんだで、最終的には5人で食べることに。
「それより佐々木さん。アンタフラれたんでしょ? 何でまた来るのよ」
「え? 先輩が好きだからですよ?」
「な―――!?」
(……よくもまあ恥ずかしがらずに……)
「私は決めたんです。先輩の逃げ道になるって。2番目でもいいんです。私は先輩が大好きですから」
星見が満面の笑みで答えた。
その目には、確かな決意があり、曇りない眼差しは俺の心を暖かく照らした。
「星美、ありがとう。気持ちは本当に嬉しいんだ。
……だけど、ここでは止めてくれよ」
「え……?」
「だってさ、感じるんだよ……男たちの殺気を………」
クラスの男子たちからの殺気が、通常時の3倍ほどに跳ね上がっていた
「あ! ごめんなさい!」
「……スゴいな、佐々木さん」
ふと、空音が呟いた。その表情は曇り、瞳は下を向けていた。
「……ねえ、ちょっと提案があるんだけど」
空音の顔を見た月乃は、空見と星美に話しかけた。
「私たち、きっと考えてることは同じだと思うのよね。
――だからさ、私たちは横に並ばないといけないと思うの。対等な立場で、正々堂々と……
そのために、今からは名前で呼び合わない?」
「名前?」
「そうよ。私も、もう逃げない。
……だから、空音ももう逃げないで。私は、遠慮なんてしない、自分の想いを大切にしたい。
久木さん……空音も、自分の想いを大切にして」
「………」
「……そういうこと、なんですね。分かりました。私も名前で呼ばせていただきます、月乃先輩、空音先輩」
いつもの月乃と、何かが違っていた。力強さと、決意のようなものが現れていた。
星美も、そんな月乃に何かを察したかのように同意していた。
そして、二人は空音に何かを伝えた。それが何なのか、空音には分かっていたようで、空音は俯いていた。
「………」
則之は、なぜか黙っていた。
「……わかったよ、月乃ちゃん、星美ちゃん」
星美は顔を上げた。その顔には、さっきまでの弱々しさはなかった。
「まずは、私にはやることがあるから。そこから初める。そして、私は月乃ちゃんたちと向き合う」
「そう……」
月乃は、笑顔で空音を見ていた。
「空音……」
則之が、普段のおちゃらけた顔とは全然違う表情を浮かべていた。もしかしたら、コイツも何かに気付いたのかもしれない……
そこからは沈黙が続いた。
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昼休みは終わり、授業も進行した。
そして放課後、教室を出たところで、空音から電話があった。
「もしもし、どうした?」
『うん、ちょっとね………ねえ、一人で屋上に来てくれない?』
「あ、ああ……わかった……」
俺は電話を切った。なんか、空音の声の感じがいつもと違っていた。
屋上に行くと、そこにはすでに空音が来ていた。
「……ごめんね、呼び出したりして」
「いや、いいけど……」
空音は、俺に背を向けたままだった。
風が優しく吹いている。俺たちの頭上は、空は青く広がり、雲がゆっくりと流れていた。
「あのさ……前にここで、楠原くんに話したよね………」
「あ、ああ……」
「私ね、いろいろ考えてみたんだ。これからどうするか、どう接していくのか。
――でも、私はどうしたいのかなんて、とっくに分かってた。ただ、勇気がなかっただけなの。
今日の昼休み、月乃ちゃんに最後に背中を押してもらった。だから、私は今から前に進もうと思うの。
何かが壊れるかもしれない。迷惑がかかるかもしれない。
……それでも、あの二人を見ていると、私も前に進まなきゃって思うの」
「………」
そして、空音は俺の方を振り返った。その表情は、昼休みのときと同じ、何かを決意したような表情だった。
「……あの時、楠原くんに言ったよね。いつか想いを伝えるとき――その時に、その人の名前を教えてあげるって……」
「ああ……覚えてるよ………」
「よかった。今から……私が好きな人の名前を教えてあげる………」
「空音………」
空音は、一度俯き、かと思うと、大きく空を仰いだ。
空音は、流れる雲を見つめ、青い空をその強い眼差しに写すかのようにして、俺を見てきた。
「私が好きな人の名前……それは……楠原晴司。
楠原くん、私は、あなたが好き……ずっと、好きでした!!」
「………え?」
俺は硬直した。理解できなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……お前は、則之の友達で……則之はお前のことがずっと好きで……」
俺は情けないほど動揺していた。しかし空音は、そんな俺の動揺をかき消すかのように続けた。
「則之の気持ちは、もちろん知ってる……でも! それでも私は楠原くんが好きなの!!」
「空音……」
「……今は返事くれなくてもいいから。
でも、ちゃんと答えてね。みんな、待ってるから……」
それだけを言い残し、空音は教室に戻って行った。
俺は、しばらく空を見上げていた。今も状況を整理しようとしていた。
もしかしたら、則之はとっくに気付いていたのかもしれない。だから、教室であんな顔をしたのかもしれない……
(だとしたら、俺はとんだ大バカ野郎だ……)
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その後、俺は授業何て頭に入るはずもなく、ただ茫然と過ごし、学校が終わるとそのまま椅子に座って、流れる雲をぼんやりと見ていた。
そんな俺に月乃や則之は声をかけなかった。いや、かけられなかったんだと思う。あの二人は、すべてを理解していたんだと思う。
俺が帰る頃には、学校には誰もいなかった。
まだ頭がボンヤリしてる。
以前聞いた、空音が話していた男は、俺のことだった。俺は、明日からどんな顔で学校に行けばいいんだろう……
則之のこと、空音のこと、月乃のこと、星美のこと……全てがぐるぐる回っていた。
学校を出て、歩きながらそんなことを考えていると、後ろから急に声をかけられた。
「あれ? 後輩くん?」
「……陽子先輩?」