返事と懺悔
「あのさ、星美は、俺がどういう人間だって思う?」
「え?」
「率直な感想でいいんだ」
星美は少し躊躇した。……いや、思いもよらない質問を受け戸惑っているのだろう。
「……先輩は、不器用です」
「不器用?」
星美は俺の目を見つめていた。その瞳からは、弱々しくも、確かな力強さを感じた。
「頼まれたら嫌って言えないし、困っている人がいたら悩みながらも力を貸してしまう。でも、他の人の気持ちにも、自分の気持ちにも鈍感で……
わからないから戸惑って、それでも、なんとかしようって思う人だと思います」
(……なるほど、それは質が悪いな)
「先輩の行動は、他の人が見たら中途半端な優しさに見えるかもしれませんね」
「……容赦ねえな」
「でも、そんな先輩に、少なくとも私は救われて、先輩のことが好きになりました。だから、それはきっと、先輩の魅力なんだと思います」
「………」
星美の言葉を聞いて、俺は少し救われた気がした。それを裏付けるかのように、無意識に大きな深呼吸をしていた。
……そして、俺は自分という人間を理解してしまった。さっきまで、一部しか見えていなかったものが、すべて鮮明に見えた気がした。
「星美、俺はそんなたいそうな人間じゃないよ」
「え?」
「好きだった人にフラれて、ふてくされて、メンドクサイことから逃げようとする、とてもちっぽけな人間なんだよ」
「………」
星美は何も言わずに、小さな目を俺に向け、俺の話を聞いていた。
「得意なことなんてない。人に誇れることもない。デカい夢や、リーダーシップもない。周りの反応や相手の挙動で一喜一憂する……そんな、とても小さな人間なんだ………」
俺は両手をグッと握った。まるで、力を込めて、何かを吐き出すように。
「本当はな、星美から好きだと言われて、すごく嬉しかったんだ。
……でも、そこで改めて俺は――いや、違うな。初めて俺は自分という人間を見つめてみたんだ。
なんでこの子は俺のことを好きだと言ったんだろう、この子に映る俺はどんな人間なんだろう……そう考えてみたんだ」
「………」
「何もない。何もないんだよ、俺には。
情けない話だよな。俺は今まで何も考えなかった。何も見ようとしていなかった。自分を真正面から受け止めることができなかった。その勇気がなかったんだ。そのことから逃げてばかりいたんだ。
――俺は、そんな弱い人間だったんだよ……」
「………」
もう一度、深く深呼吸をした。
「……だから、俺は星美の気持ちには答えられない。俺には、星美は眩しすぎるんだよ………
きっとお前には、もっとふさわしい奴がいるはずだ。お前の横に立っても違和感がない、お前と二人でどこまでも歩いていけるような奴が。
……少なくとも、それは、俺じゃない……」
ようやく、絞り出した答えだった。
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辺りはすっかり暗くなっていて、公園や道路の街灯が灯りはじめていた。遠くに見える街の様子は、どこか別世界のように思えた。
そんな誰もいない公園では、ひたすらに重い空気が俺に圧し掛かっていた。
星美は、俺の顔をジッと見続けていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……先輩は、弱いだけの人間なんかじゃないですよ」
(……気休めはやめてくれ)
俯いたまま、そう思った。そしてそれは、すぐに自己嫌悪に変わった。
(……無様だな。後輩から励まされて、そんな自分が嫌で、自分を励ましてくれた人に対してこんなことを考えてしまう。
ホント、情けないな………)
「……星美の、その気持ちは嬉しいよ。でも、これ以上はやめてくれ。
俺には、重すぎるんだよ………」
これを、星美への最後の言葉にしようと思っていた。
……でも、星美はそんな俺を、優しく暖かい瞳で見つめていた。
「……私、それでも先輩が好きです」
そう言って星美は立ち上がり、俯いていた俺の体を、その小さな体で抱きしめた。
「星美……」
「……先輩、私思うんです。一度も逃げようとしたことがない人なんていません。最初から強い人なんていません。誰でも最初は逃げて、誰でも最初は弱いんです」
星美の体は、少し震えていた。でも、とても暖かくて、今にも泣きそうだった俺は、自然と安心した。
「だからみんな悩んで、みんな逃げ出して………
そして、いつか“自分”に出会うとき、そこから、前に進もうとするんだと思います。
私は先輩に出会って、先輩を見つめて、本当の自分に気付いて……こうして、前に進むことができました。
……だから、今度は、先輩の番なんです。
先輩は、私と出会って、私の気持ちを聞いて、今、本当の自分に気付いたんです。あとは前に進むだけ。今は、そのことが不安で、どうしようもなくて、悩んでいるだけなんです。
だって、本当の自分に出会った先輩は、こんなにも自分と向き合って弱音を吐いて……
それでも、こんなにも私のことを考えてくれています。
私は、それが本当に嬉しいんです。――ああ、私はこの人を好きになって本当によかった………そう、思えるんです」
星美は体を離し、両手で俺の頬に触れ、俯いていた俺の顔をゆっくり上げた。
「……顔を上げてください。私を見てください。
私は、心からあなたが好きです。どんなに弱くても、どんなに逃げていても、私は、そんなあなたが大好きです。
今は私を受け入れなくてもいい。他に好きな人がいてもいい。
……でも、本当に辛くなったら、どうしようもなくて、道に迷ったら、いつでも私のところに来てください。私があなたの逃げ道になります。私は、いつもあなたを想っています。
――そのことを、忘れないでください」
そう言って、星美は俺に小さくキスをした。
そして星美は、両手を顔から離し、地面に置いていたバッグを手に取った。
「……私、今日はそろそろ帰ります」
「あ、ああ………」
「では先輩、また明日」
星美は、公園を後にした。俺はそのままブランコに座り続けた。
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星美がいなくなった公園は、一段と静寂に包まれていた。そして暗くなったその殺風景な景色は、嫌でも自分自身を見つめる機会を与えていた。
その時、この公園に見覚えがあることに気付いた。……月乃と初めて会った公園だった。
「……また、キスされたな……」
俺は、そんなことを呟きながら、星美の言葉を思い出していた。
こんな俺を、こんなにも弱い俺を、星美はそれでも好きだと言ってくれた。そのことが、たまらなく嬉しくて、たまらなく切なくて、たまらなく情けなくて…………
いつの間にか、涙を流していた。
感情がぐちゃぐちゃになっていた。それまで思い描いていた自分が虚像であったこと。自分の意志だと思っていたことが虚言であったこと。何もかもが入り混じって、どうしようもなくて……
溜まった感情のストレスを吐き出すように、俺の目は、涙を流し続けた。
夜の闇は、そんな俺の表情を隠すように、ひたすらに夜の底を目指し深くなっていった。
「………男が泣くなんて、情けないわね」
公園の入り口の方から、ふいに声が聞こえた。俺は涙が残る顔を、その声の方向に向けた。
そこに立っていたのは、柊月乃だった。