終焉の仮面彼氏
放課後のホームルーム。俺は鼻にガーゼを当てた顔でぼんやりと外の様子を眺めていた。窓からの景色はまるで変わっていない。変わったのは、窓ガラスに映る俺の顔だけだった。
そんな顔を見て、俺は理由もなく鼻のガーゼを剥がした。
それからの教室は、ヒドイ有様だった。いつまでも終わらないヒソヒソ話。俺を刺す視線の数々。
保健室で目覚めた後、俺は生徒指導の先生にコッテリ絞られた。不純異性行為はするな! ……と。
(……なぜ俺が怒られたのだろう。いまいち納得いかない)
放課後には、昼休みの惨劇が学校中に広まっていた。“あの”佐々木星美が白昼堂々男性生徒に告白し、熱い口づけまで交わした、と……
(佐々木星美って、そんなに有名人だったのか?)
俺はそんなことを考えた。そして、それが如何に呑気なことだったのか……それは則之により明らかになった。
「晴司! 驚くべき事実が判明したぞ!!」
夕方のホームルームが終わった教室で、興奮気味な則之が叫んできた。
「ちょっと落ち着け。そして語れ」
「す、すまん! ちょっと興奮しすぎた……」
則之は深呼吸をして、語り始めた。
「昼休みのあの子、佐々木星美についてなんだが……あれから気になって、いろんなツテで情報を集めたんだ」
(……ほほう、それは俺も知りたいかも)
「で? どうだった?」
「ああ、バッチリだ!
――あの子は佐々木星美。一年B組。成績は優秀。運動は少し苦手な物静かな女の子だ。
……そして、あの持ち前のルックスと、守ってあげたくなる人柄で、一年男子では絶大な人気があるんだ!!」
「絶大な人気って………」
「そうそう、いろんな伝説もあるんだぜ!?
なんでも、入学初日から男子を悩殺し、わずか一週間で15人もの男子から告白されたとか……
それらの男はすべてフリ、その後も次々と男子をフリ続け、今では男子の中で絶対に届かない高嶺の花的な位置に置かれ、思いを寄せながらも誰も告白しなくなってるらしいぜ?
しかもそれだけじゃない! そこまで男にモテていながら、愛すべき妹キャラとして女子からも人気があるんだよ!!
――まさに、完全無欠の妹キャラなんだ!!!」
(……おいおい、スゲエな……)
「……でも則之、肝心のとこなんだが、なんでそんなスゲエ人気がある奴が、俺なんかに告白したんだよ……」
「そうなんだよ! 問題はそこなんだよ!!」
バンッと、則之は俺の机に勢いよく両手をついた。
「……どういうことなんだ?」
「だからよ、そんだけの女の子が、なぜか接点のないはずのお前に行為を抱いていることが謎なんだよ!
……しかも、普段のあの子からは想像もできない、いや、妄想すらできないほど積極的な行動に出たんだ! それほどお前に対する気持ちが強かったってことなんだろうけど……だからこそ謎が深まってるんだよ!
これはもう、一種の怪奇現象だ! 1年の中では、早くも都市伝説として語られているくらいなんだ!!」
「あのなぁ……怪奇現象だか都市伝説だか知らないけど、俺は実際にあの子の行動のおかげで、月乃から渾身の正拳突きをくらってKOされたんだが………」
俺は月乃の席に目をやった。月乃は、あれから俺を顔を合わせもせず、今もいつの間にか帰っていた。
「なあ晴司。お前、本当に心あたりないのか?」
則之は神妙な顔で俺を見てきた。もちろんそんなもん、答えなんて決まってる。
「ないよ。あるわけないだろ? ……ていうか、あんな子がいたことすら知らなかったくらいだし……」
「まあそうだよなあ。お前には、あの柊月乃がいつも隣にいたからなあ……他の女子なんか見なくて当然だよなあ」
「……でも、ホント、なんであんな子が俺なんかを好きなんだろうな……」
「晴司?」
「……いや、何でもない。肝心のことはわからなかったけど、だいたいどんな子かわかった。
ありがとよ、則之」
俺はバッグを持ち、席を立った。
「いいってことよ! ……で? どうすんだ?」
「どうって?」
「決まってるだろ? 佐々木星美のことだよ」
「ああ。もちろん断るさ」
「ええええええええええええ!?」
……なぜか則之じゃなくて、教室中から驚きの声が上がった。
教室の奴らが俺に詰め寄る。
「なんでだよ! もったいねえだろ!」
「楠原くん! 女の子の純情と覚悟を裏切るの!?」
「なんて羨ま――じゃなくて、なんて非道なやつなんだ!!」
(……なんで俺は責められてるんだ?)
「ちょ、ちょっと待てよお前ら!」
俺は、騒ぐクラスの奴らを静かにさせた。
(………ふう)
「………いいか? 俺は柊月乃の彼氏なんだぞ?
そんな男が、他の女子と付き合うわけにはいかないだろ?
それこそ、女子の純情を踏みにじる非道な男だろ? ………違うか?」
(どうだ。正論だろ……)
……………………
なぜか黙り込む教室。
(……あれ? なに、この雰囲気……)
「あのなあ晴司………」
則之が呆れたように話し出した。
「その仮の彼氏は、もう演じる必要がなくなったんだよ」
「…………へ?」
混乱する俺に、則之は哀れみに満ちた表情で話してきた。
「そっか……お前は知らなくて当然か。失神して保健室で寝ていたかな……」
則之の言葉に頷く教室の奴ら。
「……俺が保健室に行った後に、何があったんだよ」
「ああ。お前が失神した後、みんなお前を最低呼ばわりしてたんだよ。彼女がいるのに違う子とキスしたって」
(……だろうな。もし本当に月乃の彼氏だったとしたら、俺ですら自分を最低だと思うだろうな)
「だけどな、そこで柊が言ったんだ。
“私たち、実は付き合っていない。ほかの男が寄ってくるのがウザかったから、私が晴司を利用して、無理やり付き合ったことにしたんだ”
……ってな」
(な――――――!!??)
「びっくりたよねえ。ホントに付き合ってるって思ったのに」
「ホントホント。全然わからなかった」
(……月乃がそんなことを……)
「でな、昼休みの衝撃と同じく、お前が仮面彼氏だったことも広まってな。すでに学校中が知るところになってるんだぜ?」
「そうなのか?」
「ああ。現に、放課後になるまでに、柊は十数人の男子から呼び出されていたようだし」
(……そりゃそうだろ。何しろあのルックスだし、今まで彼氏がいるからと諦めていた男どもが、実は彼氏なんていないと知れば、当然告白に走るだろうし。
もっとも、月乃がその呼び出しに応じるとは思えないが)
「……コホン」
則之が一度ワザとらしい咳払いをし、脱線していた話を戻した。
「晴司、つまりだな……お前は今日をもってフリーエージェントとなったのだ!
どの女の子と付き合おうがお前の勝手! 存分に恋愛を謳歌できるんだよ!」
(……恋愛を謳歌、ね……)
「……まあ、俺は帰るわ」
「お、おい晴司!」
俺を呼び止める則之たちを見ることなく、頭の上で手をヒラヒラさせ教室を出た。
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俺は廊下を歩きながら考えていた。
(仮面彼氏の終わり、か……なるほど、俺は再び、月乃と出会う前の俺に戻ったわけだ。
……でも、この胸にあるモヤモヤとした気分はなんだろうな。
こんな気持ちはいつからだろうか。確か……そう、則之の話のときからだ。佐々木星美がなぜ俺を好きになったかのくだりからだ
何かスッキリしない。イライラする)
俺は気持ちを落ち着かすように、静かに深呼吸した。
(……いや、落ち着け楠原晴司。お前は今、まさに厄介事から解放され、以前のような心静かな生活に戻ることができたんだ。
それに、俺にはすでに、学校で絶大な人気を誇る女の子が、いつでも俺の彼女になるべく下駄箱で待機している状態なんだ。
あの日、教室の窓から見た、青春を謳歌するカップルに――誰もが羨む高校生活を手に入れることができるんだ。
――むしろ喜べよ。笑えよ)
「……………はは………」
(……違う。こんなのは喜びからくる笑いなんかじゃない。
これは、明らかに何かに気付き、何かに呆れる、皮肉に満ちた笑いだ……
俺は何に気付いたんだ? 俺は何に怯えてるんだ?
……わからないな。俺にもさっぱり分からない。自分のことなのにな……
月乃が、今の俺を見たら笑うだろうな。
……思えばこの状況は、月乃からの最初で最後の贈り物なのかもな。
今まで付き合わせた借りを返すかのように、男どもが言い寄ってくることを覚悟したうえで、月乃は真実を公表したのだろう。俺を守るために。
考えすぎだろうか。
月乃が俺のため? いや、ないな………
……でも事実、月乃のおかげで、俺は最低浮気野郎という不名誉な称号をうけることはなくなった。
月乃の真意はさておき、これは月乃に感謝すべきことだ。……ちゃんと後で、改めてお礼を言おう)
下駄箱に向かう途中、ふと窓の外を見た。空はまだ日が高く、太陽も見えていた。でも、眩しい日射しはどこか憎たらしく思える。全てを照らす光。その光は、見たくもないものまで俺に見せつけるかのように、ただ、それから降り注いでいた。
その時、俺の視界に珍しい光景が飛び込んだ。そこは校舎の陰。普段はめったに人が来ない場所。
そこには、二つの人影があった。
一つは、この学校で一番女子から人気があるイケメンの三年の先輩だった。
そして、もう一つは……月乃だった。
月乃は、今まで見たことがないくらい楽しそうに……幸せそうに先輩と話していた。月乃の表情もまた、俺が今まで見たことないような、優しさと温もりに包まれたような、癒される笑顔だった。
でも、そんな見たこともないはずの月乃の笑顔に、なぜか俺は見覚えがあった。そして、俺は思い出した。
(……空音と、同じだ……)
あの日、空音が、好きな男子を思い出していた時と同じ表情だった。
月乃は、そんな笑顔を三年のイケメンに向けていた。頬を桃色に染めているのも分かった。分かってしまった。
「……ははは……そうだよな……そうなるよな……」
俺は、夢から覚めた気がした。さっき気付いた見えない何かの一部が、少しだけ見えた気がした。それがわかった俺の口からは、ひたすらに乾いた笑い声が零れていた。誰にも聞かれることなく、俺はそんな笑い声を口から漏らし続けた。
やがて笑い声さえも出なくなり、遠くから生徒の声が聞こえる廊下で立ち止まったまま、俺はただ月乃たちの姿を見ていた。見ることしかできなかった。二人は楽しそうに笑っていた。窓越しでも、その笑い声が聞こえてくるかのようだった。
(……これでいいんだ。夢は覚めたんだ)
俺は、いろんな声が耳と心に響く廊下の真ん中で、そんな風に、自分に言い聞かせていた。




