嵐の始まり
休み明けの学校。外見上は普段通りの学校だった。今日はいつもより雲が多いが、やはり空は晴れ渡っていた。いつもならここで小言を空にぼやくのだが……今日はそれどころではないのだ。
学校の中は、異様な雰囲気に包まれていた………
ザワザワ ザワザワ
混沌とする教室。戸惑う人々。
午前中からのその混乱は収まることなく、昼休みの今でも教室中が、そして、見学に来ていた人が多数たむろした廊下が、その混沌に陥ったままの状態であった。
その混沌は、ある人物により引き起こされていた。
「ちょっと、廊下にいる男子たち。さっきから気持ち悪いのよ。ジロジロ見ないでくれない?」
廊下から男たちの謝罪の叫びが聞こえる。ところどころから女王様女王様とヒソヒソ話が聞こえてくる。
月乃は、仮面を外していた。今までの自分に別れを告げ、本当の自分をさらけ出していた。
どよめく教室、圧倒される人々。もちろん、昼飯を食べに俺の席に集まった二人も例外ではない。
「ひ、柊さん、なんかちょっと変わったね……」
空音は苦笑いを浮かべた。
(あれは“ちょっと変わった”ってレベルではないと思うが。完全な別の生命体だろ……)
「晴司どうしちゃったんだよ! 柊が本当の柊になってるぞ!?」
さすがの則之も混乱しているようだ。
しかし、学校の奴らはもっと混乱しているだろう。休み明けの学校に来てみれば、誠実でお淑やかな柊月乃が、まさしく暴君に突然変異しているのだから。
(いや、確かに本当の自分を出すことを提案したが……仮面を取るにしても、段階ってもんがあると思うぞ。いくらなんでも、いきなり過ぎるだろ……)
しかし、そんな周囲の混乱をよそに、月乃は本当の自分を出し続けた。そしてその姿は生き生きとして、輝いて見えた。
今までの鬱憤を晴らすかのように、月乃は本当の自分を楽しんでいるかのようだった。
そんな月乃を見て、自然と俺は笑みを浮かべた。
「……別にいいんじゃね? 本人はああやってノビノビしてるし」
「ま、まあそうだけど…………」
「あ、でも、意外と女子の中では人気高いよ? なんでも、気持ち悪いことで有名な先生を、あの口調で文句言って、論破したって話だし。
お姉様って呼んでる子もいるみたい………」
(……その先生、気の毒に……)
「いやいや、男子の中でも相変わらずの人気だぜ? 前のおしとやかな柊も良かったが、この強気な柊もたまらんとかなんとか……」
(……この学校の男子は、変態ばかりなのか?)
でも、本当のアイツを、他の奴は受け入れてくれているようだな。本当によかったと思う。
実のところ、俺は心配していた。本当のアイツを見た奴らはどんな反応を示すか…………もしかしたら、ギャップに付いていけず、月乃から離れるんじゃないかとまで思っていた。
しかし、そんな心配は取り越し苦労だったようだ。そのことが本当に嬉しかったし、心からみんなに感謝をしていた。
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ふと、混沌の中、空音が何かを思い出したかのように聞いてきた。
「あ、そういえば楠原くん。陽子ちゃんのこと、なんで知ってたの?」
「あ、ああ………同じ中学だったしな」
「ん? 陽子って、あの松下陽子先輩のことか?」
「うん、そうだよ。そっか、則之も陽子ちゃんと同じ中学だったから知ってるかもね。この前一緒に買い物に行ったら、たまたま楠原くんと柊さんに会ってね。
まさか、陽子ちゃんと楠原くんが知り合いとは思わなかったけど」
「俺も驚いたよ。まさか、空音が陽子先輩とあんなに仲が良かったなんてな」
「家が近所だったから、よく一緒に遊んでるんだ。楠原くんこそ仲良さそうだったけど?」
「おいおい空音。晴司と松下先輩は、“仲がいい”どころじゃないぞ?」
(……おい則之、何を言い出すんだ?)
「こいつ、中学のとき松下先輩とすんげえ親密で、密かに男子生徒の中では有名だったんだぜ?
先輩はハンパないくらいモテてて、男をフリまくり、男子生徒百人切りを達成したとも噂があったし……晴司は、そんな先輩と唯一親しくしていた男子として有名だったんだよ」
(……男子百人切り。なるほど、やはり超絶モテてたのか。
ていうか、俺もその百人のうちの一人なんだが……)
「あ、そういえば、当時はあの二人が付き合ってるって、もっぱらの噂だったな……」
「そうなの!?」
「そうなのか!?」
俺と空音は同時に驚きの声を上げた。
「ん? 晴司、違うのか?」
「楠原くん、どうなの!?」
二人が同時に見てきた。則之はいつものボケっとした顔だったが、空音の顔は違う。なんかこう、迸るオーラを纏っているかのようだった。特に目が怖い………
「……違えよ。たまに遊びに行ってたくらいで、なんもなかったよ」
「そうかあ。噂はしょせん噂でしかなかったのかあ」
則之はつまらなさそうに呟いた。
「そっか……そうなんだ……」
空音は微笑みながら言った。
(そんな噂は知らなかったな。俺と先輩がねえ……
……でもな則之、そんな唯一の男子でも、先輩の牙城を崩すことは出来なかったんだぜ?
そう、俺は特別な存在にはなれなかったんだよ……)
「ちょっと晴司」
気が付くと、月乃が俺の席の隣に腕を組み立っていた。
「な、なんだよ………」
「昼ご飯を食べに行くわよ。さっさと来なさい」
「いや、俺パンあるし……」
「私の誘いを断わるっていうの?」
すんげえ目で睨みつける月乃。そこには一片の慈悲も逃げ道も存在しないように思えた。
(そういえば、学校でも本性モードってことは………俺の逃げ道がなくね? ヤバくね?)
俺は、改めて自分の身に迫る危険に気付いた。
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「あの……すみません!」
突如、教室に聞きなれない声が響いた。声は教室のドアの方から発せられているようだ。全員の視線が教室の入り口に集まった。そしてそこには、見慣れない女子が立っていた。制服から一年生のようだ。
「はい。どうしましたか?」
クラス委員の女子が話しかけていた。
「あの……楠原晴司先輩は……いますか?」
(へ? 俺?)
その女子の口からは、なぜか俺の名前が飛び出した。
「楠原くんね。ちょっと待っててね。――楠原くん! 呼んでるわよ!」
「あ、ああ。というわけだ月乃。また後でな」
「ちょっと! 晴司!」
月乃の言葉をしり目に、俺はその女子の方に歩いて行った。当然ながら周囲の視線は、当事者の一年生女子と、それに向かう俺に集まる。
「あれ……一年の佐々木じゃね?」
「うわっ! ホントだ!」
「何であんな子が楠原呼び出したんだよ……」
何人かがそう呟いている声が聞こえた。
(一年の佐々木? 知らないな……)
「ヒューヒュー!! 楠原! モテモテだな!」
何人かの男が冷やかしてくる。
(……頼むからヤメレ。さっきから月乃の目が怖いんだよ)
俺はその女子の前に立った。
(やっぱり知らない……)
「ええと、何かな?」
「いえ……あの……その……」
その女の子はもごもごしていた。
(しかし可愛らしい子だなあ。身長が小さくて、童顔で、ツインテールがよく似合ってる。雰囲気的にもなんか、守ってあげたくなるような感じだ。
――うん、妹的キャラだ)
実際に可愛かった。廊下と教室からの視線はその子に集まっていた。円らな瞳とどこか儚く見えるオーラ、その両方が入り混じり、街角の子犬のような雰囲気があった。顔自体も“美少女”に分類され、男子の中には既に目がハートになってるような奴もいた。
(緊張しているのかな? あんまりしゃべるのが得意じゃないみたいだし。
……月乃とは、あらゆる意味で正反対の子だな)
その女の子は、一度深呼吸をして、顔を上げた。そして、両手を胸の前で力いっぱい握り、話し出した。
「あの! 私、一年の佐々木星美です!!」
「は、はい」
あまりの迫力に敬語になってしまった。そして、同じくあまりの迫力に静まり返る教室と廊下。
「楠原先輩!! あの!! ………好きです!!」
(…………………へ?)
「私と! 付き合ってください!!」
固まる教室と廊下。もちろん俺も。外から聞こえる小鳥の囀りが、間を繋ぐかのように響き渡る。
「ええええええええええ!!??」
「なにいいいいいいいい!!??」
状況を理解したとき、俺と教室、廊下から悲鳴が上がった。絶叫の後絶句する俺。唖然とする月乃、則之、空音。
(マズイ!! これはマズイ!!)
俺の本能は、そう叫び散らしている! 警報レベルは4~5を行き来している!!
「い、いや………ちょっと待っ―――」
「――ちょっと! あなた!!」
相手をとりあえず落ち着かせようとしたら、スンゴイ剣幕で月乃がツカツカ歩いて来る。そして、月乃は俺を押しのけ、佐々木星美の前に立ち塞がる。
依然として騒がしい教室と廊下。ところどころから、修羅場! 修羅場! と騒ぎ立てる声が聞こえる。
(……いや、シャレになってないって)
睨み付ける月乃。 たじろぐ佐々木星美。
俺はそんな二人の様子を見て、睨み付ける虎と怯えるウサギを思い浮かべていた。
「あなた、どういうつもり? 私、晴司と付き合ってるんだけど……」
いつもの二倍ほどの迫力を感じた。さしずめ、自分のおもちゃをとられそうになって怒るような心境なのだろうか………
「晴司!!! アンタもなんか言いなさいよ!!」
「は、はひ!!」
……今逆らったら殺される。
俺の防衛本能は、瞬時にその判断を下し、月乃に従うことを決定した。
「あの、気持ちは嬉しいんだけど……俺、月乃と付き合ってるんだ……」
(……あれ? そういえば、月乃が本性を出した今、俺がコイツの彼氏のフリを続けることはないんじゃね?)
佐々木星美は俺の言葉を聞いて、悲哀に満ちた表情を浮かべ俯いてしまった。
しかし、再び顔を上げた佐々木星美は、さらに声を上げた。
「………私! それでも好きです! 大好きなんです!!
だから、私………!!!」
佐々木星美は、そう叫ぶと急に俺に抱き付いてきた。
「え!? ちょっと―――」
そして突然、腕を首に回し、小さな体を懸命に上に伸ばしてきた。
次の瞬間、俺の唇に柔らかい感触があった。甘いような、切ないような……妙な感触だった。
経験がなかった俺は、何が起こったかよく理解出来なかった。
!!!!!!!!!!!!
再び固まる教室、廊下、月乃、空音、則之、そして、俺。
何が起きたのか、いまだに理解できない。
数秒経ったあと、佐々木星美は慌てて俺から離れた。
その顔は真っ赤になり、手を口に当て、自分がしたことが信じられないかのように震えながら後退りをした。
「す、すみません! 私、つい……!!」
………………………
依然として、その一帯は静寂に包まれていた。
佐々木星見は、そんな異様な雰囲気に包まれた空気を感じたのか、泣きそうになりながら周囲を見渡していた。
「………あ、あの、先輩。放課後、下駄箱で待ってます」
そう言って、彼女は小走りで走って帰って行った。
一方、俺や教室は、いまだに時間が止まっていた。
「……く、楠原が……キ…キスした……!!」
誰かのこの一言で、止まっていた時間が動き出した。
ワアアアアアアアアアアア!!!!
最大限に騒然とする教室。
「だ、誰あの子!?」
「俺知ってる! 佐々木星美だよ! 後輩がフラれたって!!」
「俺、生キス初めて見たよ!!」
色々な現状分析と推論が飛び交っていた。まるで、月乃の転校初日のように。
則之は目が点になっていた。空音は魂が抜けたように真っ白になっていた。
そして俺自身もなぜこんな事態になってしまっているのか分からない。分かるわけないだろおおお!!??
「せぇぇぇいぃぃぃじぃぃぃ――――!!!」
月乃の、この世のものとは思えない声で、俺は現実世界に帰ってきた。
そんな俺の目の前には、般若が降臨していた。迸るオーラで髪が揺れている気がする……
「ま、待て月乃!! 落ち着け!! 俺だって何がなんだか―――」
「……ろす……」
「……な、なんだって?」
(何か、おぞましい言葉が聞こえたような……)
「………殺す!!!!」
(やっぱりぃぃぃ!!)
「うわ!! や、やめ――――!!」
メキィッ!!!!!!!
俺は、月乃の全力の正拳突きを顔面に受けた。
そして俺の意識は、いつかのように、静かにフェードアウトしていった。