恵みの雨
土曜日が来た! ……来てしまった……
今日も天気がいい。まあ、西のほうのそらに黒っぽい雲が見えるが、俺の上空は晴天だった。
俺が駅のロータリーに着いたとき、時刻は9時45分だった。
(少し早すぎたか……)
俺は、前に座ったベンチに座ろうとした。……すると、後方から聞き覚えがありすぎる声が聞こえた。
「遅い!! いったいどんだけ待たせるのよ!!」
もうすでに月乃が来ていた。仁王様のように立ってらっしゃる。せっかく可愛らしい水色をベースにしたフリフリの可愛らしい服を着てるのに、そんな態度だとフリフリに申し訳が立たんぞ……
(ていうか、いつも思うんだが、コイツどんだけ早く来てんだよ……)
「……お前、前もそうだったけど、来るの早すぎだろ」
「アンタが遅いだけよ!」
(いや、まだ15分前なんだが……だいたい10時集合って言ったのはお前なのでは?)
「いいから! さっさと行くわよ!」
そう言って月乃は、さっさと歩き始めた。
(コイツ、誤魔化しやがった!!)
「お、おい! 行くってどこだよ!」
「だから、私の買い物よ」
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そして俺らは街を歩き回った。
その日の市街は依然と同じように人が多かった。でも、どこか前回と違うところがあった。
まず一つは、月乃が終始上機嫌なところだ。服を精いっぱいヒラつかせ、俺の前を歩く月乃は、時折体を捻り俺の方に笑顔を向けて話しかけてくる。その姿は、さしづめ遊園地ではしゃぐ子供によく似ている。なんというか、見ていると飽きない感じだ。
もう一つは、通り過ぎる人々の視線。月乃が着ているスカートを翻す度に、通り過ぎる男共は月乃の方を見ていた。カップルの男は頬を抓られ、家族連れのお父さんは家族にばれないように横目でチラチラ見ている。当然、他に連れがいない男と男しかいない集団は、遠慮することもなく月乃の方を惚けるように見ている。その情景を見て、月乃が常軌を逸した美少女であることを、俺は改めて実感せざるを得なかった。
俺たちは歩き回った。服屋、靴屋、小物屋……基本的には月乃が入りたい店に入り、俺が後ろから続き、荷物を持つという流れになっていった。時間とともに荷物はどんどん増えていき、俺の両手はすでにいっぱいになっていた。
(……いやいや、買いすぎだろ。そういえばコイツの家、すんげえデカかったな……マジでお嬢様かもしれない)
「さてと、次は……」
「まだ買うのかよ!?」
「当たり前でしょ?」
「いや、俺、もう持てそうにないのだが……」
「何言ってんのよ。言ったでしょ? これは罰なんだから」
(肉体行使系の罰だったのか……だが、それはそれで助かった。精神的ダメージ系だと、今後の人生を左右するトラウマになりかねん……
もうすぐ終わるだろうし、もう一頑張りするか……)
……しかし残酷なことに、そんな俺の予想に反し、買い物はエンドレスに続いた。
終始はしゃぐ月乃とは対照的に、俺の精神と肉体は限界に達しつつあった。
==========
「……もう、だめだあああ!!」
公園を通ったとき、俺はチャンスとばかりに屋根付きベンチの足元に荷物の山を置き、ベンチに崩れるように座った。
(……いや、実際もう無理。動けない。一時休憩を熱望する)
その公園は町中にある運動公園のようなところだった。公園の周囲を茶色のランニング用のトラックが引かれ、所々には筋トレをするための器具もある。もちろん子供の遊具もあり、道沿いにはたくさんの木々、花々が植えられていた。普段は人が多いはずのその時の公園には、なぜかほとんど誰もいなかった。
「だらしないわね……まあいいわ。今日のところはこれで買い物を終わってあげる」
「サ、サンキュー月乃。俺、もう限界……」
(……って、今日のところはって言わなかったか? ……聞こえなかったことにしよう)
「だいたい、この荷物もあるのに途中で倒れられても迷惑だし……ちょっと休憩ね」
そう言って月乃は俺の隣に座った。
ふと空を見上げると、晴れていた空は雲が厚くなり、今にも雨が降りそうな天気になっていた。俺はそんな空を見て、公園に人がいないことを一人納得した。
(……一雨来そうだな)
そしてその予想通り、少し時間が経った頃、ポツリポツリと雨粒が空から落ち始めた。
「降ってきたわね……本当は、本降りになる前に駅まで走りたいんだけど……」
月乃は何かを期待するかのように俺の方を見た。
(そいつは無理だ……)
俺は両手で大きく✕印を作って拒否した。
そんなことをしていると、雨はもうドシャ降りになってしまった。雨の勢いも強く、とても傘なしでは無理そうだったから、俺たちはしばらくの間ここで雨宿りすることにした。
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公園には、ひたすらに雨が降りしきってる。でも、俺はどこかその雨に癒されていた。
もともと俺は雨の日が嫌いではない。むしろ好きな方だ。雨に濡れた木や花は天からの恵みを受け、生き生きと、キラキラと輝いて見える。雨音は心に響き、何か落ち着く。
そんな雨の景色をぼんやり見ていると、月乃が呟いた。
「……雨の日って、なんだか好きだな」
「へえ……」
「ホラ、雨って昔から天の恵みって言われてるじゃない? だから、草木がとても喜んでいるように見えるのよね。なんだか生き生きとしてる」
「……ははは」
俺は思わず笑ってしまった。
「な、なによ……おかしい?」
「いや、俺と同じこと考えていたんだなって思ってさ。俺も雨の日は好きなんだ。理由は……月乃と一緒だ」
「そ、そうなんだ……」
月乃は少し嬉しそうに微笑みながら、そう小さく呟いた。
「そういえばさ、前の学校ってどんなところだったんだ?」
「……え?」
「いや、深い意味はないんだ。だけど、聞いたことがなかったから、なんとなく気になってな……」
本当に俺には他意はなかった。ただ純粋な興味本位で聞いた。
……でも、月乃は真剣な表情で考え始め、静かに話し始めた。
「……前の学校は楽しかったわ。クラスにも馴染めていたし。もっとも、私は猫を被ってたから、そうなるようにしたんだけど………」
月乃は、雨空を見上げて続けた。
「私の親って、けっこう転勤が多くて転校も何回かしたわ。色んな学校に行ったし、そこで新しく友達が出来て……だから、友達は多いの。
……けど、私には“親友”って存在はいないのよ。私の本性さらけだして、本音で言い合える人がいないの」
「………」
「私はいつも優等生を演じて、そんな私にみんなが話しかけてくれた。
……だけど、周りは薄々気付いていたのかもしれない。私が本当の自分を出していないことに。
私が本当の自分を出していないから、相手も本当の自分を見せない。――当然よね。人を信用しない人間が、人から信用されるわけがない。
前の学校でも、その前の学校でも……私は、そんな上辺だけの付き合いをずっとしてきたの……
でもそれは、私が望んだことだったのかもしれない。私自身がそうしたかったのかもしれない。私は、人と深く関わることが怖いのかもしれない。
だから、これでいいのよ……」
そう話す月乃の顔は、寂しさで溢れていた。それこそ、今にも泣きそうなくらいに。
重い沈黙と静寂の中、雨音だけが響き渡り、他には何も聞こえなかった。
雨はひたすらに降り続いた。まるで、空が月乃の代わりに泣いているように、月乃を慰めているように……雨は、深々と降り続けた。
今の月乃を見て、月乃と最初に出会った時のことを思い出した。あの時、月乃は自分の非力さに泣き出しそうになっていた。
……そして今は、月乃は自分の中にあるジレンマに泣き出しそうになっていた。
本当のコイツは高飛車で、自意識過剰で、わがままだと思っていた。
でも、実際は違うのかもしれない。そんな姿すらも、仮面なのかもしれない。
本当のコイツってのは、なんだろうな。少なくとも、俺に見える今の月乃は、とても弱くて、とても儚くて、とても怖がりな女の子だった。
俺は、月乃という人物を見誤っていたのかもしれない。コイツは、本当の自分に仮面をつけ、さらにその仮面をつけた自分に別の仮面をつけていたのかもしれない。
仮面を外すことが出来ずに苦しみ、それを表にださないよう必死に耐えるような月乃を見て、せめて仮面を一つくらいは取り外してやろう……俺は、そう思った。
「……俺は、違うだろ?」
「……え?」
「お前の話で言う本音で話せる奴が親友なら、今の俺が、まさにそれじゃないのか?」
「あ……」
「……お前、やっぱり本当は、仮面をつけ続けることが辛くなってるんだろ?
だったら、俺の前だけじゃなくて、みんなの前でも外してしまえばいいだろ……
それでお前を嫌うやつがいたとしても、気にする必要はない。お前には、俺や則之や空音が付いてるんだ。
お前は本当の自分を出していいんだよ。怖がる必要なんかないんだよ。お前はお前だろ?」
「………」
「それに、本当のお前の姿は、俺はけっこう好きだぞ?」
「なっ――――!!??」
「お前ってさ、どうしようもなくわがままで、高飛車で、自意識過剰だけど……だけど、そんなお前の方が、俺には生き生きとしてるように見えるけどな。誰にも縛られることなく、誰にも遠慮することなく、自分の感情や気持ちを全身を使って表現するお前は、本当に楽しそうだし、喜びに満ち溢れてる。
きっと、あの公園の花と一緒なんだよ。
花は、人の手で水をやっても生きていける。だけど、空からの雨だとあんなにも輝いて見えるだろ? やっぱり、花にとっては自然の雨が一番なんだよ。
花は、自然の雨の中で最も輝くんだよ。
だから、お前も自然体でいろよ。学校でも外でも。
その結果、もしみんながお前から離れてしまっても、俺はお前から離れねえから。……お前の悪友を、続けてやるさ」
俺はニッと笑って月乃に話した。
月乃はしばらく俺の顔を見続けたあと、素早く俯いてしまった。
「……アンタ、バカじゃないの? よくそんな恥ずかしいことスラスラと言えるわね……」
(だから、それは言うなよ。俺まで恥ずかしくなってくる……)
……再び沈黙が流れた。
いつの間にか雨足は少し弱まり、空の片隅には鮮やかな青色の空が顔を覗かせていた。白いキャンパスに描いたようなその光景は、俺の心に響くものがあった。
そんな空を眺めていると、月乃がようやく口を開いた。
「……あのね、晴司。私、アンタに話すことがあるの。どうしても話したくなったことがあるの……」
「なんだよ」
それから、月乃はしばらく黙り込んだ。顔が赤くなってる気がする。手足をもじもじさせてる。
(な、なに?いつもと様子が違うのだが……)
「……月乃?」
そして、意を決したように、月乃は顔を上げ、俺の方を見てきた。
「あ、あのね! 私―――――!!」
「――あれ? 楠原くん? 柊さん?」
月乃の言葉は、突然どこからか発せられた声にかき消された。
「こんなところで何をしてるの?」
俺と月乃はその声の方向に目を向けた。
「……そ、空音?」
傘を差した空音がそこにいた。後ろには、同じく傘を差した友人らしき人物も一緒だった。
「いや、俺たち、ちょっと買い物をしてたんだよ。空音こそ何してるんだ?」
「私も、友達と買い物に来てたんだ………」
「そ、そっか………」
微妙な空気が流れる。月乃は、下を向いたまま動かなくなった。
「ええと、デート中だったかな? ごめんね、邪魔して……」
「いや、ええと………」
「……私、友達待ってるし……もう行くから。じゃあね……」
しどろもどろになってる俺を振り切るかのように、空音は体を返し、友達の方に走ろうとした。
「――あら。空音? どうしたの?」
後ろにいた空音の友人らしき人物が、見妙な空気を察したのか、ベンチのすぐ近くまで様子を見に来ていた。
空音はその友人にぶつかり止まった。
「い、いや、なんでもないよ。ちょっとが学校の友達が……」
「空音の友達?」
その声は、とても大人びた声のように聞こえた。
(俺たちよりも年上かな? でも、どこか懐かしさを感じる……)
「……なら、挨拶でもしようかな。空音がいつもお世話になってるし」
「べ、別にしなくていいよ!」
その人は、空音の静止を振り切り、俺たちの方へ歩いてきた。
「あ! ちょっと! ―――陽子ちゃん!!」
(………………陽子…ちゃん?)
その人は、ベンチの屋根の下に入り、傘をたたんで、俺たちの方を見た。
「初めまして。空音がいつもお世話になってます。
空音の友人の、松下陽子です」