星空の下。寒空の下。
恋愛なんてものは、その人の心の現れなのかもしれない。
好きになったら一直線な人。好きになっても立ち止まる人。
それぞれに、それぞれの形があり、そのどれが最も正しいかなんて誰にもわからない。
いや、そもそも正しいものなんてあるのだろうか。
仮にもし正しい答えがあったとしても、それは実にツマラナイことだ。
答えが分からないからこそ、人はそれを探そうとする。
時に笑い、時に怒り、時に傷つき、時に悩み、時に悲しむ。
そういうことを経験することで人は成長するのだろうし、前に進むことも出来るのだろう。
そして、そういう経験を積んだ人は、きっと、人にやさしく出来る。
サイコロを振れば必ず1以上は進める様に、恋愛に臆病でも積極的でも、それと真摯に、正直に向かい合えば、どんな結果が待っているにしろ、人は今よりも成長できるのだろう。
それこそが、最も正しい答えに近いと言えるのかもしれない。
今日は朝からやけに日射しが強い。まあ、季節はもうすぐ夏になる頃だしな。クラスの奴らは制服の袖を捲り上げ、それぞれが熱さを凌いでいる。
こんな暑さの中でも、相変わらず騒ぐ連中には、季節なんて概念はないのかもしれない。
私立美原ヶ丘高校に入学して間もなく一年二ヶ月になる。何も変わらない日々が過ぎていく。窓の外は晴天、曇天、雨天と入れ替わり立ち代りその表情を変え、そして今日は快晴の出番となっていた。
俺はいつも通り、この日射しをカーテンにより遮断し、のんびりとその隙間から外を拝んでいる。まさに平穏と言えよう。退屈だと思うときもあるが、この平穏こそ、俺が選んだものなのだろう。
部活にでも入れば少しは慌ただしくなるだろうが、青春スポコンなんてものには興味がないし、別に高校生活に必要ってわけでもないと思う。
俺はひねくれているのだろうか。いや、違うはずだ。それこそが、この俺、楠原晴司の本心なんだ。
時は昼休み。クラスの奴らは思い思い飯を突っつく。弁当を持つ奴、パンを持つ奴、食堂に全速力で向かってく奴。様々な昼休みの光景が広がっている。
「晴司、飯食おうぜ」
田島則之がご機嫌な様子で今日も俺の席へ来た。これもまた、変わらない日常の一つだった。
則之は中学のときからの付き合いだが、俺が地元から離れたハラコー(この学校の通称)に進学すると、なぜかコイツも進学していた。まあ、いわゆる腐れ縁ってやつだと思う。
則之は見た目爽やかなスポーツマンに見える。だが、時折見せる、そのある種出来上がった天然脳は、周囲の人物を混乱の渦に叩き込む。慣れれば飽きないやつなので割と楽しむことができる。
……慣れれば、だが。
ふと、窓の外を見ると、日射しで景色がゆらゆら揺れ、セミがうるさいほど鳴いていた。見ているだけで暑くなってくる。
……だが、それ以上に暑苦しいのが、校庭のベンチで青春を謳歌しているカップルたちである。奴らから見たら、男だけで飯を食ってる俺らが、さぞや哀れに見えるだろう。
だが、甘いなお前ら。それは俺にとっては的外れなんだよ。
俺は恋愛なんざ興味がない。
俺は恋愛をしたくないだけなんだ。
負け惜しみに聞こえるだろうが、そんなものではない。無論俺は同性愛者ではない。俺だって、昔はやれ恋愛だとかやれ彼女だとか、絵に書いたようなリア充生活を夢見ていた。
……しかし、そんな夢物語は、中学のときに脆くも崩れ去った。
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中学の一学年上に、松下陽子という先輩がいた。
恥ずかしい話だが、俺は彼女に憧れていた。初恋だったと思う。セミロングの髪は少しカールがかかり、童顔でありながらどこか大人びた雰囲気を持っていた。彼女はまるで太陽のようだった。太陽のように誰にでもフランクに接し、まさに人気者だった。無論、彼女の彼氏の座を狙う輩は多く、水面下では彼女争奪の戦国模様が繰り広げられていた。
当の俺はというと、そんな自分の気持ちに気付いていながら、どうすればいいか分からず、友人という関係に収まっていた。でも、俺と先輩は仲が良かった。二人で遊びに行くこともしばしばあったし、学校でも会えば挨拶ついでに世間話とか会話もしていた。
そんな中、俺が中学二年ももうすぐ終わる頃、松下先輩が中学卒業を期に遠くの町へ引っ越すことになった。それを知った先輩の知り合いの有志一同は、先輩の送別会を開くことになった。もちろん、俺もそれに参加した。
送別会と言っても、中学生ではあまり派手には出来ない。やるとすれば、誰かの家であった。そん時は、知らない先輩の家が会場となった。
送別会は恙なく盛り上がった。先輩の友人、知人はみんな先輩に群がっていた。ほとんどは俺より年上だったから、俺は先輩にろくに話しかけることが出来ず、遠くから先輩を見ていることしか出来なかった。
そろそろ終わりに差し掛かり始めたころ、先輩は俺の席の隣に来て、誰にも聞かれないように言ってきた。
「ねえ後輩くん。終わったら一緒に帰ろっか」
「……は、はい!」
俺は天にも昇る気分だった。さっきも言ったが、先輩は人気者だったから、この送別会にも男女を含めたくさんの人が集まっていた。その中で先輩はわざわざ俺を選んでくれた。もしかして、先輩も俺のことが好きなのでは?……という痛々しい気持ちにまでなっていた。それもしょうがないだろう。当時の俺は限りなくピュアだったのだ。
送別会が終わり、みんながそれぞれ帰り始めた。先輩は二次会やら男からの呼び出しやら誘われたが、引っ越しの準備があるという理由ですべて断っていた。そして、俺たちは誰にも見られないように細心の注意を払い、二人で、二人だけで帰り始めた。
吹き抜ける風は冷たく、冬の寒さを実感させたが、そんなものは気にならなかった。
雲一つ見当たらない空は、星々が綺麗に顔を出していた。……満面の星空の下。先輩と二人きり。俺は、そんなドラマのような状況に酔いしれ、ただただ、この時間が永遠に続くことを願っていた。
先輩とはいろいろな話をした。映画を見に行ったこと、買い物をしたこと、ケンカをしたこと……
話はめぐり、俺たちが出会った時のことを話していた。
「後輩くん覚えている? 私たちが最初に会った時のこと」
「もちろん覚えていますよ! 文化祭の準備のときでしたよね?」
「そうそう。私が文化祭役員として、後輩の君たちにいろいろ指導してたんだよね」
先輩は本当に楽しそうに話していた。その当時のことを想いだし、それを全身で表現するかのように話す先輩。そんな先輩を見ていると、俺まで楽しくなってきた。
「そういえば後輩くんってさ、最初スンゴイ不愛想だったよね」
「……そうでしたか?」
「うん! ……だって何言ってもツンケンしてさ、私が指示したことを、“これでもか!”ってくらい面倒そうにしていたし」
「それは……すみませんでした」
「ふむ! 許してやろう!」
先輩は腰に手を当て、鼻高々に語った。俺はちょっと意地悪がしたくなり、反撃に出る。
「でも、先輩だって、初めて会ったのにスンゴイ馴れ馴れしかったですよ。初対面の俺に、ペチャクチャ話しかけてきましたし」
「……そうだったかな?」
「はい。そうでしたよ。俺的に、得体の知れない人との遭遇でしたもん」
「それは……ごめんなさい」
「ふむ! 許してあげましょう!」
少しの時間を置いて、俺たちはプッと吹き出し、互いに笑いあった。とても幸せだった。星空の下、二人の笑い声だけが響き渡っていた。
ふと、先輩は笑顔を保ったまま、さっきまで口調とは違う、何か優しい口調に変わった。
「……でも、あの日のことは本当によく覚えてるんだ。私さ、あの時けっこう大きなミスしたよね?
あの時私は、どうすればいいかわからなくなってたんだ。そんな私に後輩くんは言ったんだよ。
“そんな悲しそうな顔をしないでください。ミスはみんなで挽回すればいい。挽回したら笑いましょう。失敗したらもっと笑いましょう。祭りは準備が一番楽しいんですよ。だから、バカみたいに楽しくやりましょう”
――私、すごくうれしかったんだ。でも、同時にすごく悔しかった。後輩に何励まされているんだろうって、自分がすごく情けなくなった。でも君は、笑顔で準備をしていた。私の心にあった、後輩くんへの黒い感情みたいなものを全く気にかけないように、ずっと笑顔で私を見てた。
……私は、それに救われたのかもしれないね」
(……俺って、そんな恥ずかしいこと言ったか?)
俺は恥ずかしくなって黙り込んでしまった。先輩も俯いたまま歩いていた。
しばらく沈黙が続いた。でも重い空気ではなかった。むしろどこか暖かい空気だった。それこそ、今すぐ先輩を抱きしめても絵になるかのような、そんな優しく暖かな空気が俺たちを包んでいるように感じた。
(――今しかない!)
俺は、そう思った。俺は全身の勇気を心に込め、口をゆっくり開いた。
「………あの、松下先輩」
「陽子、でいいよ」
「………へ?」
勇気を振り絞った俺だったが、先輩の突拍子もない言葉に不意を突かれ、なんとも情けない声を出してしまった。俺には、先輩の言葉が意味することを理解できるほどの余裕はなかった。そんな俺を察したのか、先輩は俺にすかさずフォローを入れてきた。
「……呼び方。今更なんだけど、名前で呼んでほしいな」
先輩は少し照れながら、上目づかいで俺を覗き込んだ。
(か、可愛い………)
「じゃ、じゃあ……陽子……先輩?」
「うんうん! 何かな後輩くん?」
俺はたまらなかった。当時の俺はピュアであった。名前で呼び合う仲……即ちそれは恋人だと、勝手な妄想を繰り広げていた。そんな痛い考えを保有したまま、俺は改めて勇気を出した。
「あの……その………」
……我ながら情けなかったと思う。今しかないと思いながら、全身の勇気を集めながら、俺は再び言い出せなくなっていた。そんな俺を、陽子先輩は、いつもの笑顔で見続けていた。いつもの太陽のような笑顔だった。
そう、太陽のような存在。確実に目の前にありながら、触れることが出来なかった存在。何度その太陽に触れようとしただろうか。その度に、どうせ俺なんかじゃ……とか自分を言い訳に逃げ続けていた。俺はそんな笑顔を失うのが怖かったんだと思う。その笑顔は、俺に光を与えると同時に、影も落としていた。
でも、この時は、この時ばかりは、そんな笑顔が足踏みする俺の背中を押してくれたような気がした。俺は先輩の笑顔を見て、自然と言葉を紡いでいた。
「先輩……す……好きです!」
俺の、精一杯の告白だった。先輩は驚いた顔をし、目を点にしたまま俺に確認をしてきた。
「……ええと、冗談……じゃないよね……」
「はい……」
「………」
先輩は俯き、黙り込んでしまった。先輩の顔は、さっきまでの笑顔とは正反対に、とても辛そうな顔をしていた。凛々しかった眉は下がり、キラキラしていた瞳は俺には分からない何かを秘めたまま虚空を見つめていた。
俺は先輩の言葉を待った。心臓がバクバク言ってる。顔が熱い。手が震える。何とも情けない姿だったと思う。
しばらくして、先輩はゆっくり顔を上げた。
「……私の後輩にね、小さい頃からずっと仲良しな子がいるんだ」
(……何の話?)
「その子ね、ちょっと自分の気持ちを出すのが苦手な子でね。なんていうかな、見ていてほっとけないんだよね」
俺の中にあった淡い期待は、少しずつ音を立て始めた。俺は何となく、先輩の答えが見え始めていた。
……だから、その先は、聞きたくなかった。
「後輩くんの気持ちは嬉しいよ。だけど、私はその子を裏切れない。私は、その子も大好きなんだ。
――だから、後輩くんの気持ちには答えられない。ごめんね………」
そう言い残し、先輩は走って帰って行った。その姿は、まるで俺を振り切るかのようだった。
(……ええと、フラれた……のか?)
俺は寒空の中、茫然と立ち尽くした。風はものすごく冷たかった。さっきまで星が輝いていた空は、夜の深さをマジマジト見せつけていた。俺は、フラフラとした足取りで、なんとか帰宅した。
次の日から、先輩は俺に話しかけなくなった。それどころか、顔すら合わせなくなった。俺はたまらなく辛かった。泣きそうだった。フラれても、せめてまた話をしたかった。その眩しい笑顔の欠片だけでも、もう一度見せてほしかった。
でも、そんな俺の希望とは裏腹に、俺と先輩はそのままの関係が続き、先輩は卒業式が終わった後、俺に何も告げることなく町を去って行った。卒業式の日にはもう一度話が出来るかもしれないという淡い期待は、再び音を立て崩れ落ちてしまった。
俺は、ひたすらに家で泣いた。恥ずかしいくらい泣いた。それほどまでに俺の心はズタズタになっていた。何も考えられなくなっていた。
そして、ひとしきり泣いた後、俺の中には黒い塊みたいなものができていた。
(先輩はなぜあんなにも俺と親しく接していたのだろう。好きだからじゃなかったのか? ――いや、そんなことはわかっている。きっと、先輩にとって俺は、“ただのお友達”でしかなかったのだろう)
そう考えると、無性にムカムカしてきた。なぜ好意がないのに、まるで好意があるかのような接し方をしたのだろうか。それは、俺にとってあまりに残酷なことではないだろうか。男は元来、単純な生き物である。声をかけられただけでドキッとし、触れられただけで恋に落ちることもある。そんな悲しくも純粋な男心を弄んだのか。
俺は行き場のない怒りや悲しみを、恋愛というジャンルそのものにぶつけていた。
そして、俺は決めた。
もう恋愛なんてまっぴらだ。俺は恋愛を捨てる。
俺はもう、恋愛なんてしない!!
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「なにぼーっとしてるんだあ?」
則之の情けない声で、回想モードに入っていた俺の頭は、現在に引き戻された。現実に戻った俺は、特に理由もなく周囲を見渡してみた。当然、変わったことなどなく、いつもの騒がしい教室だった。
「……別に、なんでもねえよ」
俺は誤魔化すように、則之から顔を背けた。そんな俺を見て、則之が何かを悟ったような顔をした。
「……はは~ん、そういうことか……」
(……どうでもいいが、その顔は気持ち悪いぞ、則之)
「さてはお前! 外でイチャつく奴らを見てたな!?」
(外れだ則之。でも、〇はやれないが、△ならつけてやろう)
「お? よくわかったな。いやな、あいつら見てたら思ったんだよ。こんな暑い日によく外なんかに………」
「そうだよなあ! 羨ましいよなあ! 俺も彼女欲しいなああ!!」
則之は俺の考えとは違うベクトルを走っていた。むしろ暴走していた。
「……いや、そうじゃなくて……」
「いやいやいいのだよ晴司くん! みなまで言うな! それでこそ男子だ!」
(……いや聞けよ。聞かないのか? 聞くつもりがないのか? だったら俺はお前の話を聞こう。そして流そう)
「晴司よ……。俺は常々思うんだが、彼女というステータスは必要だと思うんだ。高校生活も彼女というステータスさえあればバラ色になるし、逆になければ暗黒時代でしかないんだ。
――そう、彼女というステータスは、高校生活の醍醐味のおよそ八割を占めていると思うんだよ。それがないなんて、まさに悲劇としか言いようがない!!」
(……どうてもいいが、恥ずかしいからそろそろヤメレ。いやマジで。頼むから。百円やるから)
「そう思うなら、お前も彼女作ればいいだろ?」
「バカ者おおおお!! そんなになあ! あっさり彼女が出来れば、苦労はしねえんだよおおお!!」
則之の魂の叫びが教室に響き渡る。……則之の言葉に、深く頷く男子たちがいた。
(お前らは変な宗教でもしてるのか?)
「則之たち、うるさいよ。見てるこっちが恥ずかしい……」
一人の女子が、騒ぐ則之と冷静(なつもり)な俺に話しかけてきた。
「……空音、頼むから俺と則之をひとくくりにしないでくれ」
「楠原くん。それならもう手遅れだよ………」
「そうか……残念だ……」
久木空音が、これまたいつものように席に来た。空音とは1年から同じクラスになっている。則之とは幼馴染らしく、もともと俺や則之と同じ地区に住んではいるが、中学は私立に行っていたので、俺は高校の時に初めて会った。
もっとも、空音は俺のことを則之に聞いてたみたいで、俺を知っている感じだったが。
空音は話しやすく、とっつきやすい。性格は温厚で優しい。クラスのお母さん的な立場だな。トレードマークはポニーテール。お気に入りのようで、以前何気なく褒めたら、すごく喜んでいた。
それから、俺たちはいつも通りくだらない世間話をしながら、昼飯を食べた。
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俺の日常はこうして過ぎていった。
先輩が引っ越した当初、俺はしばらく先輩のことが忘れられず、悶々とした生活を送っていた。だが、時の流れとは偉大なもので、だんだんあの日のことを思い出に変えていくことができて、今では俺の黒歴史として心の奥底にしまい込むまでに至った。
しかし、弊害もあった。俺はあれから恋愛というものに興味を抱かなくなっていた。
女心は複雑怪奇なものである。男の俺に理解しろというのは到底不可能なことであり、未知の世界である。そんなもんを必死こいて追い求めることに嫌気がさしたのだと思う。どんなに必死になっても、結局は最後に訳の分からん理由で断わられる、というのが俺の人生論となっていた。
そんなことを考えながら、俺は黒板に書かれた文字をノートに必死に写していた。




