プロローグ
僕はランディ・ぺクセル。
ファルティアの宝玉って言えば、君は分かるだろうか。
そう、ご存じない。
これだから、無学な奴はしょうがないんだ。
まあいいや。僕も退屈してるところだ。
少しつきあってやろう。
僕の主は、名前を聞けばたいていみんな分かる。
いいよ。知らないんだろう。
カイン・クレスバール。本当はこの後やたらめったら長いんだけど、名前なんてのは記号さ。
ここでは必要ない。
年は19。大人の男だ。柔らかい金茶の髪。翡翠の瞳。すっきりと長い手足。
こちらは、ファルティアの至宝だそうだよ。
どうして世間はたとえ名が好きなんだろうね。全く。
この男は頭もいいし、剣をとっても弓を引いても一流だし、頭も悪くなけりゃ性格もなかなかいいと思っている。
だけど、天の神様が2物は与えても完ぺきな人間を与えてくださらないのは慣例通りで、こいつは稀代の女ったらし。
何度、この僕も寝室で見てはならないものを見てしまったことか。
あー、ぶるぶるぶる。
悠然とした足音が聞こえてくる。
それにくっついてがみがみとお小言を言っている声がするだろう。
あれは、カインの幼馴染でリナルド。
貴族だかなんだか知らないが、カインと正反対のとてもお堅い男だ。
もう寝室の前だっていうのに、ほら、まだやってる。
ご婦人とお戯れにするのも金輪際にしてくださいとかなんとか言っているのだ。
いくら言ってもカインには効かないって。
ああ、やんなっちゃう。
扉が開いて、カインが入ってくる。
少し着崩した襟元が気だるげそう。
ふわりといい匂いがした。作られたその花の香りは移り香というものらしい。
翡翠の瞳がこちらを向いた。
「待ってくれてたのか?ランディ」
いい子だ。優しい声でカインが言った。
カインは僕を優しく連れ出し、豪華な寝台の上であおむけになった。組んだ足が優美な形だ。
長い指が僕の頭を優しくなでた。
僕は見上げて、その長いまつげに小さな水滴が溜まっているのに気がついた。
どうしたのだろう。
この人が泣くなんて、母親を亡くして依頼じゃないか。
「心配してくれるのかい」
黙しているとは僕を胸の上に乗せられた。温かくて思わず目を閉じる。
「むかし、むかし。あるところに一人の王子がいました。王子の父は隣国の王と従兄同士でした。その国にはお姫様がいました」
知っている。僕もその人のことを見たこともあるし、その優しい腕に抱かれたこともある。
黒い髪に白い肌。琥珀の瞳。気高く、賢い少女。
「美しい姫に、王子は恋をしました。けれど、王子はそれを隠さねばなりませんでいた。姫は大国の王のもとに嫁ぐことが決まっていました。王子は姫の気を引こうといろいろいたずらをしました。けれど、王女は顔色一つ変えず王子の相手をしてくれました。何も告げることなく時が過ぎ、姫も王子も大人になりました。姫の婚礼の日、王子は国境の軍役につくことを選びました。出立の日に、姫が便りをくれましたが、王子は受け取りませんでした。軍役は終わり、故郷に戻った王子は姫が行方知れずとなったことを知りました。姫の行列は嫁する国につく途中で国籍不明の兵に襲われ壊滅。その後、隣国も大国に滅ぼされていました。何より王子をおどろかせたのは、この凶事に王子の義母がかかわっていたことでした。」
僕は黙って、カインの腕に頭を寄せた。
「今夜、義母上付きだった女官のところに忍んで行って分かったんだ。恐ろしい義母上だよ。僕が心を寄せるものをすべて奪っていく」
僕は小首を傾げた。そんなこととっくに分かっているはずだろう。
長い指が僕の顎を持ち上げた。目をしばたたかせていると、柔らかい唇が頭に落ちてくる。
「ランディ。お前はずっとそばにいてくれるだろう。」
カインが他のヤツにこんな口調をしたところを僕は知らない。
あのリナルドにさえも。
そう思うと、僕の心臓はきゅっとなる。
神様はこいつに大事なものを与え忘れたんだ。
美しい器、地位や権力でないもの。
何を?って聞かれると難しい。
そうだな。僕が神様ならたぶんカインにあげると思う。
還るべき優しい緑の木陰を。
僕はもどかしくそう思う。
だって、僕にはそれをあげられない。
寄り添うしかできない。
だって、僕は神でもなければ人でもない。
僕はランディ・ぺクセル。ファルティアの宝鳥。