壊れた歯車
「日野」と友人に声をかけられ、俺は顔を上げ「なに?」と返事した。
「牧田がどうして雨の日来ないのか知ってる?」
「知らない」
「えー? 仲良いのに知らないんだ?」
仲が良いと思われてるのは個人的には嬉しいが、正確には大学では仲が良いが正しい。
俺が牧田由紀と知り合ったのは同じ講義を受けている時に、たまたま知り合っただけという平凡過ぎる出会いだった。
いや、学生の出会いなんて皆そうだ。
それ以外で出会う相手の方が稀なわけで、出会いにロマンを求めるほど俺は恋愛を美化していない。
それに学生のうちは学業を学ぶべきだと、ちょっと古風な考えがあるせいか、気が付かぬうちに抱いた恋心も燃え上がることなく燻っている。
ずんと軽く落ち込みながら、出会いから今までを振り返ってみたが、俺が牧田に関して知っている事といえば、先程の友人が言ってた『雨の日』は来ないということだけで、他の友人達と大差なかった。
「今日は雨が降るから、きっと来ないな」
そう言いながら、俺は窓の外を見た。
最初こそ気が付かなかったが、彼女は試験があっても、約束があっても、とにかく雨の日は絶対に外には出て来ない。
俺も不思議に思ったので本人に聞いたが『雨が嫌い』としか言わなかった。きっぱり『嫌い』と言われてしまうと、それ以上は聞けず、そうなんだと納得した。
人は誰だって苦手なものはあるし、それに恐怖症という病気であれば、あまり面白がって聞くのも良くないと思った。
近頃は様々な種類の恐怖症があると聞く。だから俺が勝手に想像して導き出した答えは、牧田は『雨恐怖症』という病気なのでは? ということだった――――。
数日後、牧田が学校に顔を出した。
連日続いた雨のせいで、久々に彼女の顔を見る。
いつもと変わらない明るめの髪は、肩の辺りで綺麗に切り揃えられていて、小さく色白の顔が俺を捉えると、ニカっと横いっぱいに口を広げた。
牧田が学校に来たということは、今日は間違いなく晴れの日なので、気分よく過ごせそうだと、校内の外へ視線を向ける。
本当に天気がいいなと、天気の良さにつられて、思い付いたことを相手の都合も考えず口走った。
「近くに洒落たカフェが出来たらしいから、たまには大学以外の空気でも吸わない?」
「え……」
あー、下心が、うっかり出てしまったと、咄嗟に彼女から顔を背けた。
一年以上も牧田と交流があり、友人という地位もあるのに、それ以上を求めれば罰が下るぞ、と心の中で自分に叱咤を飛ばした。
何も言わない彼女と、自分の失言で居た堪れない空気が出来上がる。仕方なく、「牧田が気乗りしないならいいよ」と先程の言葉に逃げ道を作った。
「ううん、いいよ行こう? けど、私、あまり外のこと知らないから、大丈夫かな……」
「そうなんだ?」
「うん、寄り道はしたことがない。教えられてないから」
教えられてない? 変なことを言う彼女だったが、嫌がっているわけではなさそうなので、俺はほっとした。
「よし、じゃあ、行こう」と立ち上がり、初のデートらしい行動に移る。もちろん、デートだと思っているのは俺だけで、彼女はいつも通り屈託のない笑みを浮かべていた。
カフェまでの道のり、本当は気が乗らないのか、牧田の表情が固いのが気になった。
「何か心配事?」
「ううん、普段とは違う道だから新鮮?」
「ふーん」
普段、学校と家の往復しかしたことがないと言う彼女の話を聞いて、相当な箱入り娘だと感じたし、そんな彼女を連れまわすのは責任重大だと感じる。
しばらく歩いているとポツっと頬に冷たいものが当たり、俺は上へと顔を上げた。どうみても天気は良いし、何より牧田が学校に来ている時点で〝雨〟が降るはずがなかった。けれど、徐々にポツポツと冷たい雫が頬にあたり始める。
「通り雨だ。たぶん、すぐ止むと思うけど……」
少しくらいなら大丈夫か? と彼女を見れば目に見えて分かるほど怯えていた。
唇も上手く合わさることが出来ないようで、俺はシャツを脱ぐと牧田の頭に被せ、急いで雨を避けられる場所まで走った。
――本当に『雨恐怖症』だったのか……。
雨に怯えている牧田の肩を抱き、視界に入った建物へと連れ込んだ。
「ここは……?」
「雑居ビル……、いや、商業ビルかな」
そう……、と牧田は視線を彷徨わせ、不安な表情をしている。
俺が誘わなければ、こんなことにならずに家に無事辿り着いていたかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
牧田は鞄から携帯を取り出し、「ちょっと家の人に連絡する……」と言う。もしかしたら、俺は彼女の家の人に叱られたりするのだろうか? と謝罪の言葉を頭に思い浮かべながら空を見上げた。
さっきまでの明るい空は消え、どんよりと分厚い雲に太陽が隠れた。その瞬間、パラパラと降っていただけの雨が、バシャバシャと大きな雨音に変わり、辺りの雑音は雨音に溶けた。
――牧田大丈夫だろうか……。
本当は聞くつもりなんか無かったのに、「お前って雨恐怖症なのか」と気が付けば言葉にしていた。
俯いていた彼女は、パッと弾けるように顔を上げ、歪な笑みを浮かべて、「なにそれ?」と言う。
一瞬、しまったと思った。
これは悟られたくなかったことなのかも知れないと思う。恐怖症を患っている患者の大半は、恐怖症を克服できないことに悩み、それを打ち明けることが出来ないことが多い。
「あー、悪い、変なこと言った。忘れて」
「うん……」
彼女から表情がなくなっていく、無感情とはこういう表情なのかと奇妙な感覚に囚われていると、カチ、カチ、と時計の針のような音がどこからか聞こえてくる。
「あのさ、日野は、一番古い機械って何か知ってる?」
唐突に牧田は話し出した。
「えー、わかんないな……」
「えーとーね」
普段の牧田とは違い、少しぼんやりしていて、熱でもあるんじゃないかと心配になる。こちらの心配をよそに、彼女は一番古い機械の話をし始めた。
紀元前三世紀頃に作られた歯車式機械が一番古い物だと教えてくれるが、一体、どうしてそんな話をし出したのか? と不思議に思っていると、牧田の所属しているサークルが考古学だということを思い出す。
話を合わせるように「紀元前三世紀……か……凄いな」と返事をすれば、「でしょ」と彼女は笑みを浮かべ話を続ける。
「それから、わたしは……、ずっと色んな物の機械だった」
「……え?」
急におかしなことを言われて、口の隙間から自分でも変だと感じる声が出た。先ほど牧田が口にした言葉を詳しく聞きたかったが、彼女は話を止めなかった。
「ある日は、人を殺すための機械に組み込まれて沢山の人を殺した。わたしの意思じゃなかった、わたしを使う奴が……殺したんだ」
一体、何の話をし始めたのか、訳が分からないけど、何故か牧田の話を止めることが出来なかった。
彼女はうつらうつらと頭を動かし、人を幸せにするための機械になった時のことを話し出した。
「あの時は幸せだった、わたしを見上げて幸せな顔をした子は、『ママ』って呼んだ。次は何だったっけ……? ああ、そうそう……、男が言ったんだ娘になれって……」
話が急に途切れ、疲れたのか牧田が俺の肩にズっと寄りかかってくる。
変な話ばかりだったが、きっと今まで見た夢を語っているのだろう、と聞き流した。俺の肩に頭をコテンと乗せる牧田のことが気になり、額に手をあてると、信じられないほど熱かった。
「熱ッ、お前、風邪引いて――……」
ピッピッピ……、と牧田から機械音が鳴り、驚いた俺は額から手を引っ込めた。
「カウントダウン……カイシ……シマス……3……2――」
「え、誰の声……?」
「……バイバイ……」
力が抜けて崩れ落ちるように牧田は前へと倒れた。
俺は慌てて彼女の元へ駆け寄り、少し躊躇いながら胸に耳をあてる。カチ、カチっと何かが数回鳴った後、彼女はバラバラと崩れた。
腕だった物、足だった物、それらは全て表現し難いガラクタのような物へと形を変えた。
さっきまで、ここに居たはずの牧田が消えたことに思考回路が止まり、正常な判断が出来なくなった。
何をどう受け止めて良いのか分からず、じっとガラクタを見つめていると、次第に熱いものが込み上げてきて、目頭がズキンと痛くなる。その場にペタンと座り込み、ぼやける視界でガラクタを寄せ集めた。
――な、んだよ、これ……。
どうしてこんなことになったのか俺には分からない。けれど、ガラクタをここに残して帰れなかった。
懸命にガラクタをかき集めると牧田が着ていた服に集めたガラクタを……、いや、牧田だった物を包んだ。
カツン。
小さな落下音が鼓膜の奥へと滑り込むように届く、小指の先ほどの大きさの歯車がコロコロと転がり、俺の足元で止まった。
――歯車……?
それを拾い上げポケットに入れると、俺はガラクタを抱きしめ、「もう雨は止んだから帰ろう……」と彼女だった物と一緒に歩き出した――――。




