表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロの令嬢と終焉の魔王 〜百年の輪廻を越えて、再び溺愛される〜  作者: 綾瀬蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/9

第5話「王都を震撼させる夜」

黒い城に、鐘の音は届かない。


けれどその日、城の空気は「音のない鐘」に揺れた。

遠くで世界の秩序が軋み、誰かが祈りの名を借りて刃を研いでいる――そんな気配が、皮膚の内側にまとわりつく。


ユリアは胸元を押さえた。そこに、あの夜点った小さな光がまだ残っている。弱いのに、消えない。消えないから、余計に怖い。


「……来る」


アシュタルトが静かに言った。


窓の外、終焉の森の入口付近に、整然とした列が現れていた。白銀の甲冑。白い外套。紋章は王国ではなく、十字の意匠――教会直属の聖騎士団。


その先頭には、杖を持った男がいる。聖職者の衣を纏い、顔には薄い笑み。

ユリアは、その笑みを知っている気がした。人を救う顔をしながら、人を裁く目だ。


「……魔女狩り」


呟くと、アシュタルトの金の瞳が冷たく細くなる。


「貴様の“光”を嗅いだのだろうな」


扉が叩かれた。重い音。礼儀を装った暴力。


アシュタルトが指をひとつ動かすと、城を包む結界が一瞬だけ薄くなり、外の声が通った。


「終焉の森に巣食う邪悪よ! 聖告により命ずる!」


男の声はよく通る。祈りの響きで人の心を縛る声。


「魔力なき娘ユリア・ヴァン・クロムウェルは、禁忌の魔と交わり、王国と神に背いた! よって彼女を“魔女”と認定し、王都にて裁きを執行する!」


魔女。

その言葉だけで、ユリアの胃がひっくり返る。身体が、幼い頃の恐怖を勝手に思い出す。

一度貼られた烙印は、真実より強い。


「主」


アシュタルトがユリアの前に立った。背で外界を遮るように。

けれどユリアは震えながら首を振った。


「……だめ。行ったら、殺される」


「殺させぬ」


即答だった。


「でも……あなたが、みんなを……」


ユリアが言い終える前に、アシュタルトの指がユリアの頬に触れた。熱い。逃げ道を塞がれるように、安心が押し付けられる。


「主が望まぬなら、命は奪わぬ」


その言葉に、胸の奥が僅かに緩む。

しかし次の言葉が、空気を切り裂いた。


「だが、跪かせる。主に刃を向けた罪は、恐怖で償わせる」


結界の向こうで、聖職者がさらに声を張り上げた。


「抵抗するなら、討伐する! 神の名において――」


その瞬間、世界が暗転した。


結界が「壁」ではなく「王座」になったように、城から闇が滲み出し、森の空気を支配する。雨雲が裂け、光が吸い込まれていく。

聖騎士たちがざわめき、槍が揺れた。


「……黙れ」


アシュタルトの声は小さい。

けれどそれは命令ではなく、法だった。


聖騎士団の列が、いっせいに膝を折った。

甲冑が地面に当たる鈍い音が連鎖する。剣も槍も落ち、泥に埋もれる。祈りの言葉が喉で詰まり、呻きだけが漏れた。


先頭の聖職者だけが、歯を食いしばって立っていた。

彼は震えながら杖を握り、声を絞り出す。


「魔王……!」


その言葉で、ユリアの背筋が凍る。

教会はもう知っている。アシュタルトが「滅亡したはず」の存在ではないことを。


「主を魔女と呼んだ口で、私の名を呼ぶな」


アシュタルトは一歩、結界の外へ出た。

闇が彼に従い、足元の草が枯れては芽吹く。


「……アシュタルト」


ユリアは思わず名を呼んだ。止めたい。怖い。

それなのに、彼の背中から目が離せない。自分のために世界と対峙する背中を、初めて見たから。


アシュタルトは振り返らないまま言った。


「主。王都へ行く」


「……え?」


聖職者が勝ち誇ったように口元を歪める。


「連行に従う気になったか。さすがは――」


言い終える前に、闇の刃が足元を掠め、杖が真っ二つに折れた。

聖職者は悲鳴も出せず、尻餅をつく。


「連行ではない」


アシュタルトが淡々と言った。


「主を裁く場所など、この世界に存在しないと教えに行くだけだ」


ユリアの呼吸が乱れる。王都。

あの場所には、王の城があり、教会があり、処刑台がある。

そこへ行けば、戻れないかもしれない。


それでも――ユリアは一歩踏み出した。


「私も行く」


自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。

アシュタルトが初めて振り返り、金の瞳がユリアを射抜く。


「主。怖いだろう」


「怖い」


即答した。怖い。心臓が潰れそうだ。

それでも、唇を噛み、続ける。


「でも、私だけ隠れてたら……また、奪われる」


自分の中で点った小さな光が、かすかに熱を持つ。

アシュタルトの目が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「……よい」


彼はユリアを抱き上げた。落とさない腕。逃がさない腕。

そして闇が道を作った。


森が割れ、空間が折り畳まれる。

瞬きひとつ分の間に、景色が変わった。


◇◇◇


王都は、夜だった。


まだ日が落ちる時間ではないはずなのに、空は重い鉛色に染まり、雲が低く垂れ込めている。

中央広場には人だかり。松明。十字の旗。高く組まれた処刑台。縄と杭。


「……間に合った」


ユリアの喉が鳴る。

処刑台の前に立つのは、聖職者たち。そして聖騎士団。

その後方に、見覚えのある紋章旗があった。


ヴァン・クロムウェル公爵家。


父がいる。姉がいる。母がいる。

彼らは「正義」の側に立った顔で、ユリアを見上げた。


父が叫ぶ。


「ユリア! そこで何をしている! 戻れ! お前は魔女だ!」


姉が笑う。


「やっぱり生きてたのね。よかったじゃない? 今度こそ、ちゃんと燃やしてもらえるわ」


ユリアの身体が震えた。

昔なら、その言葉で折れていた。

でも、今は――背中に熱がある。アシュタルトの気配が、世界より近い。


アシュタルトが処刑台の前へ進み出る。

群衆が悲鳴を上げ、逃げ惑う。聖騎士団が槍を構える。祈りの声が飛び交う。


「邪悪を討て! 神の名において――!」


その瞬間。


松明が、すべて消えた。


火が消えたのではない。

“夜”が上書きしたのだ。


空が裂け、黒い闇が落ちてくる。

王都の上空が、巨大な影の天蓋で覆われた。星も月も見えない。息を吸えば、暗さが肺に入るような濃密さ。


誰かが祈りの言葉を続けようとして、声にならない。

膝が折れる。剣が落ちる。人々が地面に額を擦りつける。


王都全体が、ひとつの命令で跪いた。


アシュタルトの声が、闇の中で響く。


「裁き?」


嘲りではない。事実確認のような冷たさ。


「貴様らが、誰を裁く」


彼は処刑台を見上げ、次に群衆を見渡し、最後に父たちへ視線を落とした。


「主は、貴様らの玩具ではない。貴様らの神の飾りでもない」


ユリアの胸の奥で、小さな光が脈打つ。

闇に沈まない。むしろ、闇の中で輪郭を得るように輝いた。


アシュタルトがユリアをそっと地面に下ろし、隣に立たせた。

そして、王都に宣告する。


「今宵から、この世界の“夜”は私のものだ」


闇がうねり、雲がさらに低くなる。鐘楼の鐘が鳴ろうとして、音が潰れた。

都市の灯りはすべて消え、呼吸と鼓動だけが耳につく。


ユリアは震える手を胸に当てた。

怖い。怖いのに、逃げなかった。


アシュタルトが、ユリアの肩に手を置く。


「主。望め」


その一言に、王都が息を止める。

群衆も、聖職者も、父も姉も――皆がユリアを見た。


望めば、世界が変わる。

望めば、誰かが壊れる。


ユリアは唇を震わせ、ゆっくりと口を開いた。


「……燃やさないで」


声は小さい。けれど、闇の王都に落ちたその言葉は、祈りより重かった。


「……誰も、殺さないで。私は……ただ、もう二度と、奪われたくない」


アシュタルトの金の瞳が、ほんの僅かに細まる。


「承知した、主」


彼は一歩前へ出て、闇を静かに収束させた。

だが消しはしない。天蓋は残る。逃げ場のない恐怖だけを、王都に刻み込むように。


「聞け」


声が落ちる。


「主に刃を向けた者は、今夜の闇を忘れるな。次は命ではなく、魂から光を奪う」


聖職者たちの顔が青ざめる。

父は言葉を失い、姉は膝をついたまま唇を噛み、母は震えて扇を落とした。


ユリアはそれを見て、胸が痛んだ。

それでも、目を逸らさなかった。


ここで逸らしたら、また自分を捨てることになる。


アシュタルトは、ユリアにだけ聞こえる声で言った。


「主。これで、貴様を“魔女”と呼ぶ口は減る」


ユリアはかすかに頷いた。

王都の夜は深い。深すぎて、誰も光を探せない。


けれどユリアの胸の奥の小さな光だけは、闇に沈まなかった。

その光が、次に呼び寄せるものを――ユリアはまだ知らない。


神の側から来る「本物の裁き」が、すでに空の向こうで形を成し始めていることを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ