第7話 奇策がハマる日
月曜の夕方。
会社裏のグラウンドには、週の始まりとは思えないほどの熱気が漂っていた。
昨日までの疲労は残っている。
だが、部員たちの表情には、確かな“変化”があった。
「今日こそ、形にするぞ」
「昨日の試合で掴んだ感覚、忘れんなよ」
そんな声が自然と漏れている。
みのりは、その光景を見て胸が熱くなった。
だが、その横で白石ひよりがノートを抱えて跳ねるように動いている。
「三浦さん!
今日の練習メニュー、私なりにまとめてみました!」
晴斗は受け取らず、軽く手を振った。
「ありがとう。でも、今日は俺が決める」
ひよりは少しだけ肩を落とした。
その様子を、みのりは複雑な表情で見つめていた。
***
練習開始。
晴斗は、部員たちを集めると、一本のバットを地面に置いた。
「今日やるのは、“奇策の実戦化”だ」
部員たちがざわつく。
「奇策って……昨日のアレか?」
「歩数合わせとか、初球見極めとか……?」
晴斗は頷いた。
「そうだ。
だが、今日は“相手がいる前提”で動く。
つまり……“奇策の裏の裏”をやる」
田淵が眉をひそめる。
「裏の裏……?」
晴斗は、外野の中山を指差した。
「中山。
お前は落下点に入る歩数を極めてきた。
だが、相手がそれを読んで“フェイク”を打ってきたらどうする?」
中山は言葉に詰まる。
晴斗は続けた。
「だから今日は、
“落下点に入るフリをして、逆方向に動く”練習をする」
部員たちが息を呑む。
「……そんなの、できるのか?」
「いや、でも……やってみたい……」
晴斗は、村井にも指示を出す。
「村井。
お前はワンバウンド捕球を極めてきた。
だが、相手がそれを見て“ワンバウンドを投げない”攻めをしてきたら?」
村井は苦笑いした。
「……そりゃ、何もできないっすね」
「だから今日は、
“ワンバウンドを止めるフリをして、ストレートを完璧に捕る”練習をする」
みのりが小さく呟く。
「……奇策の裏の裏……」
晴斗は、全員を見渡した。
「奇策は読まれる。
だから、読まれる前提で動く。
それが……弱者が強者を倒す唯一の道だ」
その言葉に、部員たちの目が変わった。
***
練習が始まる。
中山は、落下点に入るフリをして、逆方向へ走る。
最初は転びそうになりながらも、徐々に“フェイクの動き”が形になっていく。
村井は、ワンバウンドを止める構えから、ストレートを完璧に捕る。
その動きは、昨日よりも明らかに洗練されていた。
田淵は、初球を見極めるフリをして、初球を強振する。
打球は鋭く、外野の頭を越えた。
「……すげぇ……!」
「昨日までとは別人みたいだ……!」
みのりは、胸が震えるのを感じた。
「晴斗くん……みんな、本当に変わってる……」
ひよりも目を輝かせていた。
「三浦さんの奇策……すごい……!」
だが、その声には、どこか“憧れ”以上のものが混ざっていた。
***
練習後。
夕陽が沈み、グラウンドが薄暗くなる。
部員たちは疲れ切っていたが、誰も不満を言わなかった。
むしろ、誇らしげだった。
「今日、なんか……勝てる気がしたよな」
「うん……初めてだよ、こんな感覚」
みのりは、晴斗の隣に立った。
「……ありがとう。
今日の練習、すごかったよ」
晴斗は、少しだけ笑った。
「まだまだだ。
奇策は、ここからが本番だ」
その時、ひよりが駆け寄ってきた。
「三浦さん!
今日の練習、まとめておきました!
明日も手伝わせてください!」
みのりの表情がわずかに揺れる。
晴斗は、ひよりのノートを受け取った。
「……ありがとう。助かる」
ひよりの顔がぱっと明るくなる。
みのりは、その光景を見つめながら、
胸の奥に小さな痛みを感じていた。
晴斗は気づかない。
だが、みのりの心は確かに揺れ始めていた。
奇策がハマり始めた日。
同時に、
恋のバランスが静かに崩れ始めた日でもあった。




