第6話 恋の予兆
日曜の午後。
会社裏のグラウンドには、いつもより柔らかい光が差し込んでいた。
昨日の練習試合の惨敗を引きずりながらも、部員たちはどこか前向きな顔をしている。
「昨日のアレ、俺でもできたよな」
「うん……なんか、ちょっとだけ自信ついた」
そんな声が、グラウンドの端々から聞こえてくる。
みのりは、少し離れた場所でその様子を見つめていた。
昨日の涙の跡はもうない。
代わりに、晴斗を見る目には、静かな熱が宿っていた。
***
練習開始前。
晴斗は、スコアブックを片手に黙々とメモを書いていた。
「三浦さん!」
明るい声が響いた。
振り返ると、白石ひよりが駆け寄ってきた。
総務部の後輩で、入社2年目。
小柄で、いつも元気で、そして——野球オタク。
「昨日の試合、見てました!
あの落下点の歩数合わせ、めっちゃ良かったです!
あと、村井さんのワンバウンド捕球も……!」
息を切らしながら、目を輝かせている。
晴斗は少し戸惑いながらも、頷いた。
「……そうか。ありがとう」
「はい!
あの……私、野球部の手伝い、したいんです!」
みのりが、少し離れた場所でその会話を聞いていた。
表情は変わらない。
だが、胸の奥がざわついた。
ひよりは続ける。
「三浦さんの野球、もっと見たいんです!
あ、違う……その……三浦さんの“考え方”が……!」
言いながら顔が真っ赤になる。
晴斗は困ったように笑った。
「気持ちは嬉しいけど……仕事は大丈夫なのか?」
「大丈夫です!
私、効率化が得意なんで!
仕事も野球も、両方やります!」
その言葉に、みのりの眉がわずかに動いた。
***
練習が始まる。
ひよりは、みのりの横でメモを取りながら動き回っていた。
「みのりさん、あの外野の動き、昨日より良くなってます!」
「村井さん、キャッチングの角度が安定してきてます!」
「田淵さん、初球の見極めが……!」
みのりは、ひよりの熱量に圧倒されながらも、笑顔を作った。
「白石さん、すごいね。
そんなに野球、好きなんだ?」
「はい!
でも……最近は、もっと好きになりました」
ひよりは、晴斗の方をちらりと見る。
みのりの胸が、きゅっと締めつけられた。
***
練習後。
夕陽が沈み、グラウンドに長い影が伸びる。
ひよりが晴斗に駆け寄る。
「今日の練習、すごく良かったです!
あの……また明日も手伝っていいですか?」
晴斗は少し考え、頷いた。
「助かるよ。
ただ、無理はするな」
「はいっ!」
ひよりは嬉しそうに走り去った。
その背中を見つめるみのりの表情は、複雑だった。
晴斗が気づく。
「……どうした?」
みのりは、少しだけ笑った。
「白石さん、すごいね。
あんなに一生懸命で……」
「そうだな。
野球が好きなんだろう」
みのりは、晴斗の横顔を見つめた。
「……晴斗くんは?
野球、好き?」
晴斗は答えなかった。
沈黙が、夕闇の中でゆっくりと広がる。
みのりは、視線を落とした。
「……ごめん。変なこと聞いたね」
晴斗は、少しだけ首を振った。
「いや……」
その先の言葉は、喉で止まった。
みのりは、静かに微笑んだ。
「明日も、頑張ろうね。
みんな、あなたを信じてるから」
そう言って歩き出す。
その背中は、ひよりの背中とは違う“重さ”を抱えていた。
晴斗は、その二つの背中を見つめながら、
胸の奥に小さな波紋が広がるのを感じていた。
恋の予兆は、
静かに、しかし確実に、物語の中に芽を出し始めていた。




