第5話 初陣、惨敗
土曜の朝。
冬の名残を引きずる冷たい風が、会社裏のグラウンドを吹き抜けていた。
「今日、練習試合だぞー!」
製造部の中山が声を張るが、どこか空元気だった。
営業の田淵は目の下にクマを作り、経理の村井は書類の束を抱えたまま来ている。
みのりが心配そうに晴斗を見る。
「……みんな、疲れてるね」
「疲れてるのはいい。
問題は、“疲れたまま戦う覚悟”があるかどうかだ」
晴斗は淡々と言った。
その声に、みのりは小さく息を呑んだ。
***
相手は、地元の強豪・東都メタルズ。
社会人野球では中堅だが、黄昏インダストリーズとは比べ物にならない。
ウォーミングアップの段階で、差は歴然だった。
相手は動きが滑らかで、声に無駄がない。
こちらは、声だけ大きくて動きがバラバラ。
田淵が呟く。
「……これ、勝てる気しねぇな」
晴斗は聞こえていたが、何も言わなかった。
ただ、静かにスコアブックを閉じた。
「今日は、“負け方”を見に来た」
その言葉に、部員たちは顔を見合わせた。
「勝つ準備なんて、まだできてない。
だから今日は、負け方を変える。
それが最初の勝利だ」
みのりが、晴斗の横顔を見つめた。
その目は、どこか遠くを見ていた。
***
試合開始。
初回。
東都メタルズの1番打者が、初球を軽々とセンター前に運んだ。
「すみません!」
中山が慌ててボールを返す。
歩数合わせの練習をしていたはずなのに、足がもつれた。
続く2番打者は、送りバント。
完璧に決まる。
村井が悔しそうに叫ぶ。
「くそ……あれが“本物のバント”かよ……」
晴斗は静かに言った。
「気にするな。
あれは“練習時間があるチーム”の技術だ。
俺たちは別の道を行く」
だが、3番にタイムリーを打たれ、あっさり2点先制される。
ベンチの空気が重く沈む。
***
攻撃。
田淵が初球を打ち上げ、内野フライ。
中山は見逃し三振。
村井は力なくセカンドゴロ。
三者凡退。
みのりが、胸を押さえるように呟く。
「……苦しいね」
晴斗は腕を組んだまま、動かない。
「苦しいのはいい。
問題は、“苦しさの中で何を見つけるか”だ」
***
中盤。
点差は広がる一方だった。
5回終了時点で、0対7。
部員たちの顔からは、完全に光が消えていた。
「……もう無理だろ……」
「奇策って言っても、何もできてねぇし……」
「やっぱり、俺たちじゃ……」
その時、晴斗がベンチ前に立った。
「全員、聞け」
声は大きくない。
だが、グラウンドの空気が一瞬で変わった。
「今日の目的は“勝つこと”じゃない。
“負け方を変えること”だ」
部員たちは顔を上げた。
晴斗は続ける。
「今までのお前たちは、負ける時、
“何もできずに負けていた”。
でも今日は違う。
外野は落下点に入ろうとしている。
捕手はワンバウンドを止めている。
初球を見極めようとしている。
全部、昨日までにはなかった動きだ」
みのりが息を呑む。
「……晴斗くん……」
「負けてるんじゃない。
“変わり始めている”んだ」
その言葉が、部員たちの胸に火を灯した。
***
最終回。
0対10。
コールド寸前。
だが、ここで奇跡が起きた。
中山が、落下点の歩数合わせで完璧にフライを捕った。
村井が、ワンバウンドを止めた。
田淵が、初球を見極めて四球を取った。
ベンチがざわつく。
「……できてる……!」
「昨日の練習が……!」
「奇策が……!」
みのりの目に涙が浮かんだ。
「晴斗くん……みんな……変わってるよ……!」
晴斗は、静かに頷いた。
「負け方が変わった。
それが……今日の勝利だ」
試合は0対10で終わった。
惨敗だった。
だが、部員たちの顔には、昨日までになかった光が宿っていた。
みのりが晴斗に近づく。
「……ありがとう。
今日、みんな……救われたよ」
晴斗は、少しだけ笑った。
「まだ始まったばかりだ。
ここから、“勝つための奇策”を作る」
夕陽が沈む。
グラウンドに長い影が伸びる。
その影の中で、
黄昏インダストリーズ野球部は、確かに前へ進み始めていた。




