第4話 仕事と野球の両立地獄
朝の通勤電車。
吊り広告が揺れ、車内アナウンスが単調に流れる。
晴斗は窓に映る自分の顔をぼんやりと見つめていた。
昨日、奇策の第一歩を踏み出した。
だが、胸の奥には重い予感があった。
——社会人野球は、理屈だけじゃ動かない。
電車が揺れ、晴斗は目を閉じた。
***
昼休み。
総務部のフロアに、怒号が響いた。
「なんで今日に限ってトラブルが重なるんだよ!」
営業部の外野手・田淵が電話を切り、机に突っ伏した。
周囲の社員がちらりと視線を向ける。
「田淵さん、午後のクレーム対応、私も同行します」
みのりが駆け寄る。
田淵は疲れ切った顔で言った。
「今日、練習行けねぇかも……」
晴斗は少し離れた席から、その会話を聞いていた。
胸がざわつく。
——これが現実だ。
***
夕方。
グラウンドに集まったのは、いつもの半分の人数だった。
製造部の若手・中山が息を切らしながら駆け込んでくる。
「すみません! ライン止まってて……!」
経理部の捕手・村井は、書類の束を抱えたまま立っていた。
「今日、決算の締めで……30分だけなら……」
営業の田淵は来ていない。
晴斗は、静かに全員を見渡した。
「……仕事はどうだった?」
誰も答えない。
答えられない。
みのりが、申し訳なさそうに言う。
「みんな、頑張ってるんだけど……どうしても……」
晴斗は首を振った。
「責めてない。
ただ、これが“現実”だって確認しただけだ」
部員たちの表情に、安堵と不安が入り混じる。
晴斗は、ゆっくりと歩きながら言った。
「社会人野球は、練習時間がない。
疲れてる。
仕事でメンタルも削られる。
だからこそ、奇策が必要なんだ」
村井が弱々しく手を挙げた。
「でも……奇策って、本当に勝てるんですか?」
晴斗は、村井の目をまっすぐ見た。
「勝てる。
ただし、“やり切れれば”の話だ」
その言葉に、グラウンドの空気が少しだけ引き締まる。
***
練習が始まった。
だが、昨日とは違う。
疲労で足が動かない者。
仕事の電話が鳴り、途中で抜ける者。
集中力が続かず、ミスを連発する者。
奇策の“効率化”が、逆に“余裕のなさ”を露呈させていた。
中山が落下点の歩数合わせをしている最中、ふらついて転んだ。
「大丈夫か!」
みのりが駆け寄る。
中山は苦笑いを浮かべた。
「すみません……昼休みも仕事で……」
晴斗は、拳を握った。
——これじゃ、奇策どころじゃない。
部員たちの疲労は、技術以前の問題だった。
***
練習後。
照明が消え、暗闇がグラウンドを包む。
みのりが晴斗に近づいた。
「……大丈夫?」
晴斗は、しばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「大丈夫じゃない。
このままじゃ、奇策は成立しない」
みのりは息を呑んだ。
「でも……どうすれば……?」
晴斗は、夜空を見上げた。
星は見えない。
街の光にかき消されている。
「仕事と野球の両立なんて、綺麗事だ。
でも……それでも勝ちたいなら、
“仕事を味方につける”しかない」
みのりは目を見開いた。
「仕事を……味方に?」
晴斗は頷いた。
「明日から、練習メニューを変える。
“仕事のスキル”を野球に転用する。
営業は観察力。
経理は数字。
製造は精度。
ITは分析。
全部、野球に使う」
みのりの表情が、ゆっくりと変わっていく。
「……それなら……みんな、できるかもしれない」
晴斗は、初めて少しだけ笑った。
「奇策は、弱者のための武器だ。
でも……弱者が弱者のままじゃ、奇策は成立しない。
“社会人だからこそできる野球”を作る」
みのりは、晴斗の横顔を見つめた。
その目は、昨日よりも強く、深く、熱かった。
「……晴斗くん。
本当に、全部変えちゃうんだね」
晴斗は、静かに言った。
「変える。
勝つために。
守るために」
夜風が吹き、グラウンドの土がわずかに舞った。
その風の中で、
“奇策野球”は次の段階へ進もうとしていた。




