第22話 去りゆく背中、残される想い
火曜の夕方。
冬の風がグラウンドを横切り、ネットを揺らしていた。
予選まで、あとわずか。
だが、その空気はどこか落ち着かず、ざわついていた。
みのりは、集まってくる部員たちの表情を見て胸がざわついた。
——何か、違う。
中山の姿が見えない。
いつも一番に来て、黙々と準備を始める男が、今日はどこにもいなかった。
***
練習開始の時間になっても、中山は現れなかった。
村井が不安そうに言う。
「中山さん、今日は遅れてるんですかね……」
田淵は、落ち着かない様子でグローブを握りしめた。
「昨日、ラインのトラブルで徹夜したって言ってたけど……」
みのりは、胸の奥がざわついたまま、スマホを取り出した。
——中山さん、今日来られますか?
送信して数分後。
スマホが震えた。
中山からの返信は、短かった。
「すみません。
今日、行けません。
あとで話があります。」
みのりは、息を呑んだ。
——“話があります”。
——嫌な予感しかしない。
***
練習が始まったが、誰も集中できていなかった。
外野の歩数合わせはぎこちなく、
配球読みも雑になり、
打撃練習の声も小さい。
晴斗は、静かに全員を見渡した。
「……今日は、無理にやらなくていい。
軽く動くだけにしよう」
部員たちは、どこかホッとしたように頷いた。
だが、その空気は重かった。
みのりは、晴斗の横に立った。
「……晴斗くん。
中山さん、あとで話があるって」
晴斗は、わずかに目を伏せた。
「……そうか」
その声は、覚悟しているようで、どこか怯えているようでもあった。
***
練習後。
グラウンドの照明が落ち、薄暗い空気が広がる。
その中に、中山が現れた。
作業服のまま。
疲れ切った顔。
だが、その目は決意を宿していた。
「……三浦さん、桐谷さん。
ちょっと、いいですか」
晴斗とみのりは、静かに頷いた。
中山は、深く息を吸った。
「……俺、野球部を辞めます」
その言葉は、風よりも冷たく、重く響いた。
みのりは息を呑んだ。
晴斗は、拳を握りしめた。
「……理由を聞いてもいいか」
中山は、ゆっくりと答えた。
「親父が……倒れました。
介護が必要で……
俺が家のことをやらないといけないんです」
みのりの胸が締めつけられた。
「そんな……」
中山は、苦笑した。
「野球、続けたいですよ。
奇策も、もっと上手くなりたかった。
でも……家族を優先しないといけない。
社会人だから……仕方ないんです」
晴斗は、ゆっくりと目を閉じた。
「……止めないよ」
中山は驚いたように顔を上げた。
「え……?」
「お前が決めたことだ。
家族を守るためなら……
それが一番正しい」
中山の目が揺れた。
「……すみません。
奇策の要なのに……
俺が抜けたら、チームに迷惑が……」
晴斗は首を振った。
「迷惑じゃない。
お前がいたから、ここまで来られた。
それだけで十分だ」
みのりは、涙をこらえながら言った。
「中山さん……
あなたの歩数合わせ、
みんなの憧れだったよ。
誰も真似できなかった」
中山は、少しだけ笑った。
「……ありがとうございます」
風が吹き、ネットが揺れる。
その音が、別れの合図のように聞こえた。
中山は、深く頭を下げた。
「本当に……ありがとうございました」
そして、ゆっくりと歩き出した。
その背中は、
“敗北”ではなく、
“選択した大人の背中”だった。
みのりは、涙をこらえきれなかった。
「……晴斗くん」
晴斗は、静かに言った。
「奇策は……形を変える。
中山がいなくても、続けられる形に」
その声は、悲しみを抱えながらも、
確かな強さを宿していた。
奇策は揺らいでいる。
チームも揺らいでいる。
そして今、
“仲間の離脱”という現実が突きつけられた。
だが——
揺らぎの中でしか見えないものがある。
それは、
**続けるために“形を変える”という覚悟**だった。




