第20話 “価値”を示すということ
土曜の朝。
冬の光が差し込むオフィスは、いつもより静かだった。
昨日のトラブル対応で、晴斗はほとんど眠れていない。
それでも、出社してすぐに資料を開いた。
——野球部の活動費削減。
——廃部の可能性。
——会社に“価値”を示さなければいけない。
奇策よりも難しい戦いが、目の前にあった。
***
昼前。
総務部の会議室に、みのりが呼ばれた。
「桐谷さん、これ……経営陣からの追加資料依頼」
部長が渡してきたのは、
「野球部の社内貢献度に関する報告書」
というタイトルの紙だった。
みのりは目を見開いた。
「……社内貢献度?」
部長は頷いた。
「“勝てるかどうか”じゃなくて、
“会社にとってどんな価値があるか”を示せ、ということだ」
みのりは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
——勝利じゃない。
——奇策でもない。
——“価値”なんだ。
「……わかりました。まとめます」
部長は少しだけ微笑んだ。
「桐谷さんならできるよ」
***
夕方。
グラウンドには、昨日よりも多くの部員が集まっていた。
中山が言う。
「三浦さん、今日は来られるんですかね」
村井は、少し不安そうに。
「昨日のトラブル……まだ片付いてないかも」
田淵は、バットを肩に担ぎながら言った。
「でも……来てほしいっすね」
みのりは、深く息を吸った。
「……来るよ。
晴斗くんは、来る」
その言葉を裏付けるように、
グラウンドの入口から足音が聞こえた。
晴斗だった。
疲れ切った顔。
眠れていない目。
それでも、まっすぐ前を見て歩いてくる。
部員たちが一斉に振り向いた。
「三浦さん!」
「来た……!」
「大丈夫なんですか?」
晴斗は、少しだけ笑った。
「大丈夫じゃないけど……来た」
その言葉に、みのりは胸が震えた。
***
練習前。
晴斗は、部員たちを集めた。
「……会社が、野球部の活動費削減を検討している。
廃部の意見も出ている」
部員たちの表情が固まった。
「……マジかよ」
「そんな……」
「まだ何も始まってないのに……」
晴斗は続けた。
「でも……“勝てるかどうか”じゃない。
会社が求めているのは、
“野球部が会社にとってどんな価値を持つか”だ」
中山が言う。
「価値……?」
「そうだ。
俺たちが野球をやることで、
会社にどんなメリットがあるのか。
それを示さなきゃいけない」
村井が、少し考え込む。
「……健康維持とか……?」
田淵が言う。
「部署間の交流とか……?」
晴斗は頷いた。
「そういうことだ。
勝利じゃなくて、
“会社にとっての意味”を示す」
みのりは、晴斗の横顔を見つめた。
——昨日までの晴斗くんとは違う。
——奇策だけじゃなく、会社全体を見ている。
晴斗は、静かに続けた。
「だから……
今日の練習は、“価値”を作る練習にする」
部員たちは顔を見合わせた。
「価値……?」
「どういうことだ……?」
晴斗は、ゆっくりと説明した。
「部署を超えたコミュニケーション。
仕事のスキルを共有する時間。
新人や異動者が馴染む場所。
健康維持。
メンタルケア。
会社の“顔”としての役割。
——野球部は、勝つためだけにあるんじゃない」
みのりは、胸が熱くなった。
「晴斗くん……
それ、すごく大事だよ」
晴斗は、少しだけ笑った。
「奇策より難しいけどな」
***
練習が始まる。
今日は、いつもの奇策練習ではない。
・部署ごとのペア練習
・仕事の悩みを共有する時間
・新人のフォロー
・軽い運動での健康維持
・コミュニケーションゲーム
野球の練習というより、
“会社の縮図”のような時間だった。
だが——
その空気は、これまでで一番温かかった。
中山が笑う。
「こういうの……悪くないっすね」
村井も頷く。
「仕事の話、こんなにできると思わなかった」
田淵は、少し照れながら言った。
「野球部って……
野球だけじゃないんだな」
みのりは、胸が震えた。
——これが“価値”なんだ。
***
練習後。
晴斗は、みのりの方を向いた。
「……明日、会社に提出する資料。
手伝ってくれないか」
みのりは、迷わず頷いた。
「もちろん。
一緒に作ろう。
“野球部の価値”を」
晴斗は、少しだけ笑った。
「ありがとう」
夕陽が沈み、グラウンドに長い影が伸びる。
奇策は揺らいでいる。
会社も揺らいでいる。
晴斗自身も揺らいでいる。
だが——
揺らぎの中でしか見えないものがある。
それは、
“野球部が会社に存在する意味”だった。




