表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野球ってさ…  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/8

第2話 野球を捨てた男

朝の光が差し込むオフィス。

昨日と同じはずなのに、晴斗にはどこか違って見えた。

みのりと交わした“条件付きの約束”が、胸の奥で重く沈んでいる。


パソコンの画面に映るメールの文字が、妙に遠い。

集中できない。

心が、どこか別の場所に置き去りになっているようだった。


「三浦くん、大丈夫?」


隣の席の先輩が声をかける。

晴斗は慌てて姿勢を正した。


「はい、大丈夫です」


大丈夫じゃない。

だが、言えるはずがなかった。


***


昼休み。

社員食堂のざわめきの中で、晴斗は一人、窓際の席に座っていた。


トレーの上の冷めた味噌汁。

箸を持つ手が止まる。


——本当に、やるのか。

——また、あの場所に戻るのか。


胸の奥で、過去の影が揺れる。


その時、向かいの席にトン、とトレーが置かれた。


「ここ、いい?」


みのりだった。

笑顔は作っているが、目の奥は真剣だった。


「昨日の話だけど……本当に、やってくれるの?」


晴斗は答えられなかった。

みのりは静かに続ける。


「あなたが怖がってるの、わかるよ。

 でもね……怖がってるってことは、まだ終わってないってこと」


晴斗は箸を置いた。

みのりの言葉は、逃げ場を塞ぐように胸に刺さる。


「俺は……」


言いかけて、言葉が喉で止まった。


みのりは、少しだけ微笑んだ。


「今日、練習あるから。

 来てくれたら嬉しい。

 来なくても……私は待ってる」


そう言って席を立った。

背中は小さく見えたが、決意だけは揺れていなかった。


***


夕方。

仕事を終えた社員たちが帰路につく中、晴斗は会社裏のグラウンドの前で立ち止まった。


フェンス越しに見える部員たち。

声だけは大きい。

内容は空っぽ。

昨日と同じ光景。


だが、昨日とは違うものが一つあった。


みのりが、フェンスの向こうでこちらを見ていた。

気づいていたのか、ただの偶然かはわからない。

だが、その視線はまっすぐだった。


晴斗は、深く息を吸った。


——戻るのか。

——また、あの場所に。


足が、一歩だけ前に出た。


その瞬間、部員の一人がバットを叩きつけた。


「クソッ! なんで当たんねぇんだよ!」


金属音が夕暮れに響く。

道具が転がり、土埃が舞う。


晴斗の足が止まった。


みのりが慌てて駆け寄る。


「ちょっと! 道具を粗末にしないで!」


だが、部員は苛立ちを隠さない。


「うるせぇよ! どうせ廃部なんだろ!

 こんな練習して何になるんだよ!」


その言葉が、晴斗の胸に刺さった。

まるで、過去の自分が叫んでいるようだった。


みのりは必死に言い返す。


「廃部になるかどうかは、まだ——」


「どうせ無理だよ!

 勝てねぇし、時間もねぇし、仕事もあるし!」


部員の叫びは、現実そのものだった。


晴斗は、フェンスに手をかけた。

指先が震えている。


——これが現実だ。

——これが、俺が戻ろうとしている場所だ。


みのりがこちらを振り返った。

その目は、助けを求めていた。


晴斗は、ゆっくりとフェンスの扉を開けた。


金属の軋む音が、グラウンドに響く。


部員たちが振り向く。

みのりの目が大きく開く。


晴斗は、静かに言った。


「道具を叩くな」


その声は、怒鳴り声ではなかった。

だが、誰よりも強かった。


部員たちが息を呑む。


晴斗は、バットを叩きつけた部員の前に歩み寄った。


「礼をするなら、道具を叩くな。

 感謝するなら、怒鳴るな。

 礼儀は“形”じゃなくて“態度”だ」


夕陽が、晴斗の横顔を照らす。


部員は言葉を失い、バットを拾い上げた。


みのりが、そっと晴斗の隣に立つ。


「……来てくれたんだね」


晴斗は答えなかった。

ただ、グラウンドを見つめていた。


「今日からだ」


その一言で、空気が変わった。


「今日から、全部変える。

 スポ根も、根性論も、無意味な練習も。

 勝てない理由を全部捨てる。

 勝つために必要なのは……頭だ」


部員たちが息を呑む。


みのりは、静かに微笑んだ。


夕陽が沈む。

夜が来る。

だが、グラウンドには新しい光が灯り始めていた。


壊すための野球が、確かに動き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ