第15話 仕事の波、野球の波
月曜の昼下がり。
オフィスの空気は、週明け特有のざらついた緊張を帯びていた。
電話が鳴り、キーボードが叩かれ、誰かのため息が遠くで落ちる。
黄昏インダストリーズは、今まさに繁忙期の真ん中にいた。
みのりは総務部のデスクで書類を整理しながら、
部員たちの顔を思い浮かべていた。
——今日、みんな来られるかな。
昨日の勝利は確かに大きかった。
だが、社会人の現実は勝利の余韻を待ってはくれない。
***
夕方。
グラウンドに集まったのは、いつもの半分ほどだった。
中山が息を切らしながら駆け込んでくる。
「すみません……ライン止まってて……」
村井は書類の束を抱えたまま。
「今日、決算の締めで……30分だけなら……」
田淵はネクタイを緩めながら言った。
「客先から直帰です。
でも……来たかったんで」
みのりは胸が痛んだ。
——勝った翌日なのに、こんなに疲れてる。
晴斗は、静かに全員を見渡した。
「……無理して来なくていいんだぞ」
その言葉に、誰も返事をしなかった。
返事をすれば、どこかで“負け”を認めるような気がしたからだ。
中山が、ぽつりと言った。
「来たいんですよ。
勝ったからこそ……続けたいんです」
村井も続く。
「奇策2.0、昨日やっと形になったんで……
今日やらないと、忘れそうで」
田淵は苦笑しながら言った。
「仕事はキツいですけど……
野球は、やめたくないんですよ」
晴斗は、ゆっくりと息を吸った。
「……わかった。
じゃあ、今日は“短く、濃く”やる」
みのりは、その言葉に胸が温かくなった。
***
練習が始まる。
昨日の試合で得た感覚を、
短時間で再現するためのメニュー。
・外野の歩数合わせ(5分)
・配球の数字読み(5分)
・観察力バッティング(5分)
・軽いノック(10分)
奇策2.0の“核”だけを抽出した、
社会人のための練習だった。
中山は、昨日よりも歩数が安定していた。
村井は、数字で配球を読む精度が上がっていた。
田淵は、投手の癖を読むスピードが速くなっていた。
みのりは、その光景を見て胸が震えた。
「……すごい。
昨日の勝利が、ちゃんと力になってる」
晴斗は、静かに頷いた。
「勝つと……人は変わる。
でも、勝ったあとに“続けられるか”が一番難しい」
みのりは、晴斗の横顔を見つめた。
「晴斗くんは……続けられる?」
晴斗は、少しだけ笑った。
「続けるよ。
俺だけじゃなく、みんなで」
その言葉は、以前の晴斗なら絶対に言えなかった言葉だった。
***
練習後。
部員たちは疲れ切っていたが、
その表情には確かな充実感があった。
「短かったけど……濃かったな」
「これなら続けられるかも」
「仕事あっても、やれるんだな」
みのりは、晴斗の隣に立った。
「……今日の練習、すごく良かったよ」
晴斗は、少しだけ空を見上げた。
「奇策は……仕事と両立できなきゃ意味がない。
社会人野球は、時間との戦いだ」
みのりは頷いた。
「うん。
でも……今日のやり方なら、きっと続けられるよ」
晴斗は、静かに言った。
「続けるために……
“勝つための奇策”じゃなくて、
“続けるための奇策”に変えていく」
みのりは、その言葉に胸が熱くなった。
「晴斗くん……
あなた、本当に変わったね」
晴斗は照れくさそうに笑った。
「変わったんじゃない。
みんなに変えられたんだ」
夕陽が沈み、グラウンドに長い影が伸びる。
奇策は進化し続けている。
チームも進化し続けている。
そして晴斗自身も、静かに前へ進んでいた。
だが、この先には——
“勝利よりも厳しい現実”が待っている。
それでも、今日の練習は確かに未来へ繋がっていた。




