第13話 社会人だからこそできる野球
月曜の夕方。
週明けのオフィスは、どこかざわついていた。
週末の疲れを引きずりながらも、仕事は容赦なく積み上がる。
そんな中、部員たちはそれぞれの部署からグラウンドへ向かっていた。
足取りは重い。
だが、先週とは違う“覚悟”があった。
みのりは、集まってくる部員たちを見て微笑んだ。
「……来てくれたんだね」
中山が苦笑しながら言う。
「来ないわけないですよ。
奇策はキツいけど……やっぱ、野球やりたいんで」
村井も頷く。
「基本練習の日、なんかホッとしたんですよ。
ああ、まだ続けられるなって」
田淵は肩を回しながら言った。
「奇策も基本も、どっちも必要なんだなって思いましたよ」
みのりは胸が温かくなった。
晴斗は、少し離れた場所でスコアブックを閉じた。
「……じゃあ、始めるか」
その声は、先週よりも柔らかかった。
***
練習前。
晴斗は部員たちを集めた。
「今日は……奇策を“作り直す”。
奇策は、弱者が強者に勝つための武器だ。
でも……奇策だけじゃ勝てない」
部員たちは静かに聞いていた。
晴斗は続ける。
「奇策は、“社会人だからこそできる野球”にしなきゃいけない。
仕事のスキルを、野球に転用する。
それが……奇策2.0だ」
部員たちの表情が変わった。
みのりは、晴斗の横顔を見つめた。
その目には、迷いではなく“確信”が宿っていた。
***
晴斗は、まず営業部の田淵を呼んだ。
「田淵。
お前の強みは“観察力”だ。
営業は相手の表情、声、癖を読む。
それを……打席で使え」
田淵は驚いた。
「打席で……観察力?」
「そうだ。
投手の癖、キャッチャーの構え、守備位置……
全部“情報”だ。
営業の目で見れば、相手の意図が読める」
田淵はゆっくりと頷いた。
「……やってみます」
***
次に、経理部の村井。
「村井。
お前の強みは“数字の精度”だ。
だから……配球を数字で読む」
村井は目を丸くした。
「配球を……数字で?」
「投手の癖、カウント、打者の傾向……
全部“確率”で動いてる。
経理の頭なら、読み切れる」
村井は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……そんな発想、なかったです」
***
製造部の中山には、こう言った。
「中山。
お前の強みは“反復と品質”だ。
だから……落下点の歩数を“製造ライン”みたいに安定させろ」
中山は笑った。
「製造ライン……野球で使うとは思わなかったっす」
「社会人だからこそできる野球だ」
中山は、力強く頷いた。
***
みのりは、その光景を見て胸が震えた。
晴斗は、奇策を押しつけているのではない。
奇策を“みんなのもの”に変えようとしている。
それは、先週までの晴斗にはなかった姿だった。
***
練習が始まる。
田淵は投手の癖を読み、初球を見送る。
村井は配球を数字で読み、ワンバウンドを止める構えを変える。
中山は歩数を安定させ、フェイクの動きも滑らかになっていく。
奇策が、奇策ではなく“戦術”になり始めていた。
みのりは、胸が熱くなった。
「……すごい。
みんな、本当に変わってる」
晴斗は、静かに頷いた。
「奇策は……俺のものじゃない。
みんなの仕事と経験があって、初めて成立する」
みのりは、晴斗の横顔を見つめた。
「晴斗くん……
あなた、やっと“チームの監督”になったね」
晴斗は照れくさそうに笑った。
「……そうかもしれない」
***
練習後。
部員たちは疲れながらも、どこか誇らしげだった。
「今日、なんか手応えあったよな」
「奇策っていうより……俺たちの野球って感じ」
「来週、試合したいな」
みのりは、晴斗の隣に立った。
「……晴斗くん。
今日の練習、すごく良かったよ」
晴斗は、少しだけ空を見上げた。
「奇策は……まだ未完成だ。
でも……これなら、続けられる」
みのりは微笑んだ。
「うん。
これなら、みんなで戦えるよ」
夕陽が沈み、グラウンドに長い影が伸びる。
奇策は進化した。
チームも進化した。
晴斗も進化した。
“社会人だからこそできる野球”が、
ようやく形になり始めていた。




