表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野球ってさ…  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

第1話 廃部通達

朝のオフィス。

蛍光灯の白い光が、まだ眠気の残る社員たちの顔を均一に照らしている。

コピー機のローラー音だけが、静かなフロアに規則的に響いていた。


その静けさの中で、ひそひそ声だけが浮いていた。


「野球部、終わりだってよ」

「まあ、あれじゃな……」


三浦晴斗は、聞こえないふりをしてパソコンを立ち上げた。

画面の光が瞳に映る。

その奥に、一瞬だけ“痛み”が走った。

すぐに消える。

消した。


***


午前十時。

総務部長に呼ばれ、会議室へ向かう。


ドアを開けた瞬間、空気が変わった。

冷たい。

数字の匂いがする。


経営企画部の男が、資料をめくる音だけが響く。


「野球部は、今期をもって廃部とする方向です」


淡々とした声。

まるで“不要な備品の処分”を告げるような口調だった。


桐谷みのりが、静かに息を吸う。

その肩の震えを、晴斗は横目で捉えた。


「せめて……都市対抗予選までは」


「無理です」


みのりの言葉を切り捨てるように、男は言った。


「勝てない部に予算を割く理由はありません。

 社員の不満も出ています。

 存在意義が薄いんですよ」


存在意義。

その言葉が、晴斗の胸に刺さった。


会議室の空気は、誰の感情も許さないまま終わった。


***


廊下に出た瞬間、みのりが晴斗の腕を掴んだ。

その手は、震えていた。


「三浦くん……お願いがあるの」


人のいない角へ連れていかれる。

みのりは深く頭を下げた。


「野球部のコーチをやってほしい」


晴斗の呼吸が止まった。


「……無理です。俺はもう——」


「知ってる」


みのりは顔を上げた。

目は涙ではなく、覚悟で濡れていた。


「あなたが野球を捨てた理由も。

 あの日、何があったのかも」


晴斗の喉が、音にならない息を漏らした。


みのりは一歩近づく。


「でもね……あなた、本当に捨てた人の目じゃなかった。

 さっきの会議で、野球部の話が出た時の顔……

 あれは、まだ野球を見てる人の顔だった」


晴斗は視線を逸らした。

逃げるように。


「やめてください」


「やめない。

 あなたが苦しんでるの、ずっと見てきたから」


その声は、優しさではなく“覚悟”だった。


晴斗は何も言えなかった。


***


夕方。

気づけば、会社裏のグラウンドに立っていた。


照明は半分しか点かず、影が長く伸びている。

土は固く、ネットは破れ、風が吹くたびに金属音が鳴った。


そこに、仕事帰りの部員たちがいた。


声だけは大きい。

内容は空っぽ。

走り込みは惰性。

バント練習は失敗ばかり。

怒鳴る先輩の声は、疲労でかすれている。


スポ根の残骸だけが、そこに転がっていた。


晴斗は呟いた。


「……これじゃ勝てるわけがない」


その背後から、静かな声がした。


「でも、勝ちたいんです」


振り返ると、みのりがいた。

夕陽が彼女の横顔を照らし、影が長く伸びている。


「勝てないって言われても、廃部って決まっても……

 それでも、みんな……野球が好きなんです」


晴斗は黙っていた。

みのりは続ける。


「あなたが来てくれたら、変わる。

 変えられる。

 私はそう信じてる」


その声は、揺れていなかった。


***


「……無理です」


晴斗は、夕陽を見たまま言った。


「俺はもう野球をやらない。

 あの時、全部終わったんです」


みのりは一歩近づく。


「終わってない。

 あなたが終わらせただけ。

 でも……私は、あなたが戻ってくるのをずっと待ってた」


その言葉は、夕陽よりも熱かった。


晴斗は背を向けた。


「すみません。期待に応えられません」


みのりの声が、背中に刺さる。


「三浦くん。

 あなたが逃げても、野球はあなたを許さないよ」


晴斗は立ち止まりかけた。

だが、そのまま歩き去った。


***


夜。

部屋の天井を見つめる。

静寂の中で、過去の映像だけが鮮明に蘇る。


——あのエラー。

——あの怪我。

——あの言葉。

——あの涙。


「……もう、関わりたくないんだよ」


だが、みのりの声が消えない。


“本当に捨てた人は、そんな顔しないよ”


胸の奥で、何かが微かに揺れた。


***


翌朝。

出社した晴斗は、総務部の前で立ち止まった。


みのりが、今日も同じ場所で待っていた。

まるで、彼が来ることを知っていたかのように。


「おはよう、三浦くん」


晴斗は深く息を吸った。

そして、静かに言った。


「……一つだけ条件があります」


みのりの瞳が揺れる。


「俺のやり方に、口を出さないこと。

 スポ根も、根性論も、形だけの礼儀も、全部捨ててもらう。

 野球の常識を全部壊す。

 それでもついてくるなら、やる」


みのりは、迷わず頷いた。


「あなたが壊すなら、私が守る。

 その両方が必要なんだと思う。

 あなたのやり方で勝とう」


晴斗は初めて、みのりの目を正面から見た。


「じゃあ……今日から始めましょう。

 廃部寸前の野球部を、勝てるチームに」


朝の光が、まだ眠るグラウンドを照らしていた。

その光の中で、

壊すための野球が静かに動き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ