誰かのために
ダンジョンを出る頃には、日が傾き始めていた。
夕日が、石畳の道を赤く染めている。
俺たちは、無言で歩いていた。
魔石は手に入った。学費も払える。
本来なら、喜ぶべき場面だ。
だが――
「はあ……」
お嬢様が、小さく溜息をつく。
その表情には、喜びと同時に――どこか深い影があった。
「お嬢様?」
俺が声をかける。
「あ、いえ……何でもありません」
お嬢様は、慌てて笑顔を作る。
だが、その笑顔はどこか無理をしているように見えた。
口元は笑っているのに、目が笑っていない。
クラリスも、それに気づいたようだ。
彼女は、お嬢様の隣に並んで歩く。
「エリアナ様」
「はい……?」
「何か、気になることがおありですの?」
クラリスの声は、優しい。
お嬢様は、しばらく黙っていた。
そして――
「……いえ、その……」
お嬢様は、俯く。
「私……結局、何もできませんでした」
その声は、小さく震えていた。
「エリアナ様……」
「魔法も当たらなくて、魔力もすぐ切れて……最後はカイトに全部任せて……」
お嬢様の拳が、ぎゅっと握りしめられる。
「私、何のために……ダンジョンに来たんでしょう……」
その言葉には、深い自己否定が込められていた。
俺は、何も言えなかった。
確かに、お嬢様は戦闘ではほとんど役に立てなかった。
魔法は外れ、魔力はすぐに尽き、最後は俺が全てを片付けた。
だが、それは――
お嬢様のせいじゃない。
俺が、全部隠してきたせいだ。
(……ごめん、お嬢様)
俺が口を開きかけた、その時。
「エリアナ様」
クラリスが、お嬢様の肩に手を置いた。
「一つ、お聞きしたいのですが」
「はい……?」
お嬢様が、顔を上げる。
その目は、少し赤くなっていた。
「今回のゴーレム討伐、誰が倒したと思いますの?」
「それは……」
お嬢様が、俺を見る。
「カイトが……」
そして、申し訳なさそうに俯く。
「カイトが、一人で……」
「ふふ」
クラリスが、小さく笑う。
「それは半分正解で、半分不正解ですわ」
「え……?」
お嬢様が、困惑した顔でクラリスを見る。
クラリスは、穏やかに微笑んでいた。
「確かに、カイトさんが最後の一撃を放ちましたわ」
クラリスが、お嬢様の目を見る。
「でも、その前に――あなたの魔法が魔石にヒビを入れていなければ、カイトさんの一撃も通らなかったでしょう」
「……で、でも」
お嬢様が、首を横に振る。
「あれは私の魔法じゃなくて、クラリスさんが軌道を修正してくれたから……」
「魔力は、あなたのものですわ」
クラリスが、きっぱりと言う。
その声には、力があった。
「私はただ、軌道を修正しただけ。魔法の威力そのものは、あなたの魔力によるものですのよ」
「……」
お嬢様が、目を見開く。
「私が修正できたのは、あなたの魔力が十分に強かったから」
クラリスが、続ける。
「もし、あなたの魔力が弱ければ、修正しても威力が足りなかった。でも、あなたの魔力は十分に強かった」
「私の……魔力が……?」
「ええ」
クラリスが、頷く。
「制御は未熟でも、魔力そのものは決して弱くありませんわ」
お嬢様が、自分の手を見る。
その目には、少しだけ――希望の光が宿っていた。
「それに――」
クラリスが、優しく微笑む。
「あなたは、最後まで諦めませんでしたわね」
「え……?」
「魔力が尽きかけても、恐怖で震えていても、それでも魔法を撃とうとした」
クラリスが、お嬢様の目をまっすぐに見る。
「あの状況で、逃げ出さなかったあなたは、本当に強いと思いますわ」
「私が……強い……?」
お嬢様が、信じられないという顔をする。
「ええ」
クラリスが、力強く頷く。
「誰かのために頑張る姿は、とても素敵でしたわ」
お嬢様の目に、涙が浮かぶ。
「……私、何も……」
「確かに」
クラリスが、言葉を続ける。
「あなたの魔法は、まだまだ未熟ですわ」
お嬢様が、びくりと肩を震わせる。
「制御も甘い。詠唱も遅い。魔力の扱いも、まだまだ改善の余地がありますわね」
クラリスは、はっきりと言う。
お世辞ではなく、事実を。
お嬢様が、肩を落とす。
だが――
「でも――」
クラリスが、お嬢様の両手を取った。
「あなたはきっと、強くなれますわ」
「……え?」
お嬢様が、顔を上げる。
クラリスは、真剣な目でお嬢様を見ていた。
「その真っ直ぐな気持ちと、諦めない心があれば」
クラリスが、にっこりと笑う。
「あなたは、必ず立派な魔法使いになれますわ」
「……本当に、ですか?」
お嬢様が、震える声で聞く。
「ええ。私が保証しますわ」
クラリスが、自信を持って言う。
「私、魔法学院で三年間、たくさんの生徒を見てきましたの」
彼女は、お嬢様の手を握る。
「その中で、あなたのように誰かのために必死になれる人は、決して多くありませんわ」
「クラリスさん……」
「技術は、練習すれば必ず上達しますわ。でも、その心は――」
クラリスが、お嬢様の胸に手を置く。
「誰にでも持てるものではありませんわ」
お嬢様の目から、涙がこぼれる。
「ですから、魔法学院に入学したら、一緒に頑張りましょう」
クラリスが、微笑む。
「私が、できる限りサポートしますわ」
「……はい」
お嬢様が、涙を拭う。
「魔法学院……」
そして、顔を上げる。
その目には、もう迷いはなかった。
「はい! 頑張ります!」
お嬢様が、力強く言う。
その笑顔は、さっきとは全く違う――
心からの、本物の笑顔だった。
「私、絶対に立派な魔法使いになります!」
「ええ、その意気ですわ」
クラリスが、拍手をする。
お嬢様は、何度も頷いた。
その姿は、もう先ほどの落ち込んだ様子ではない。
前を向いて、希望に満ちている。
俺は、その光景を少し離れたところから見ていた。
(……クラリスさん、ありがとうございます)
お嬢様を励ましてくれて。
そして――
(……気づいてるんだな)
クラリスは、お嬢様の本当の実力を理解している。
魔法がほとんど使えないことも。
制御が未熟なことも。
それでも、彼女はお嬢様を否定しなかった。
事実をはっきりと伝えながらも、希望を与えてくれた。
「誰かのために頑張る姿は素敵」
その言葉は、お嬢様の心を救った。
(……この人は、信用できる)
俺は、そう確信した。
クラリスは、お嬢様の味方だ。
そして――
俺の秘密を守ってくれる、数少ない理解者でもある。
「カイト!」
お嬢様が、俺を振り返る。
その顔は、涙の跡が残っているのに、明るく輝いていた。
「私、頑張ります! 魔法学院で、ちゃんと勉強します!」
「はい、お嬢様」
俺は、微笑む。
「応援しています」
「ありがとうございます!」
お嬢様が、満面の笑みを浮かべる。
夕日が、三人を照らす。
長い影が、石畳に伸びる。
これから、新しい道が始まる。
魔法学院という、新しい場所で。
お嬢様の、新しい挑戦が。
(……俺も、もっと頑張らないとな)
お嬢様の夢を叶えるために。
影で支え続けるために。
俺は、心の中で誓った。




