お嬢様、ボロが出始める
中級ダンジョンの内部は、入口とはまるで別世界だった。
ひんやりとした空気。呼吸をするたび、濃密な魔力が肺にまとわりつく。
「う……」
お嬢様が小さく呻く。顔色が悪い。額にうっすらと汗を浮かべている。
無理もない。この魔力の圧だけで、一般人なら立っているのも辛いはずだ。
「……さすが中級ダンジョンですわね」
一方、クラリスは平然としている。魔法学院の生徒。実戦経験も豊富なのだろう。
壁一面には、古い魔法陣が刻まれている。
ところどころ欠け、歪み、何のために描かれたのか分からない。
(魔力濃度、高すぎる……ここは本来、初心者が足を踏み入れる場所じゃない)
俺は内心で舌打ちする。お嬢様をこんなところに連れてくるべきじゃなかった。
「魔力の流れが不安定ですわ。足元、気をつけてくださいませ」
「は、はい……」
お嬢様の返事は、少し震えていた。
通路を進むにつれ、足音がやけに大きく反響する。
距離感が狂う。音だけでは、敵がどこにいるのか分からない。
(嫌なダンジョンだな……)
しばらく進んだところで、前方に気配を感じた。
「……止まってください」
俺が小声で言う。
次の瞬間。
カチャ、カチャ――。
暗闇の奥から、白い骨の魔獣が姿を現した。
「スケルトン……三体ですわね」
クラリスが冷静に分析する。
中級ダンジョンでは雑魚扱いだが、油断すれば普通に死ねる相手だ。
剣を持ち、魔法もある程度無効化する。
「エリアナ様」
クラリスが、お嬢様を見る。
「ここは、あなたの番ですわ」
「……は、はい」
お嬢様が、杖を構える。
だが、詠唱を始めても、魔力がうまく集まらない。
(……やっぱり)
この魔力濃度の中では、お嬢様の力では制御しきれない。
根本的な才能の差は、どうしようもない。
「【ウィンド……カッター……】」
詠唱が途切れ途切れになる。
「……?」
クラリスが、わずかに眉をひそめた。
「……詠唱、少し遅いですわね」
(まずい)
スケルトンが動き出す。
錆びた剣を振り上げ、こちらに迫る。
俺は即座に、補助魔法を発動した。
(角度、風圧、干渉率……全部計算する)
表向きは補助。
実際は、俺が軌道を完全に制御する。
お嬢様の魔力を借りて、俺が魔法を完成させる。
「お嬢様、今です!」
「は、はい!【風刃】!」
お嬢様が杖を振る。
次の瞬間、鋭い風の刃が放たれ、スケルトンを真っ二つに切り裂いた。
残り二体も、反射した風刃で粉々に砕け散る。
骨が床に転がる音だけが、虚しく響いた。
「……お見事ですわ」
クラリスが拍手をする。
だが、その目は笑っていない。
「ですが……」
彼女は、床に散らばった骨を見つめる。
「今の風の軌道、少し不自然でしたわね」
来た。
お嬢様の肩が、ぴくりと震える。
「学院式の詠唱ですと、あの角度は出ませんわ。それに、風の反射制御……あれは高度な技術ですのよ?」
クラリスの視線が、お嬢様から俺へと移る。
(……気づかれたか)
「……地方の家系では、独自の魔法理論が残っている場合もございます」
俺が、自然に口を挟む。
「フォンブルク家も、そういった系統かと」
クラリスは、俺をじっと見る。
数秒の沈黙。
「……なるほど」
そう言いながらも、納得していないのは明らかだった。
彼女の目には、明確な疑念が浮かんでいる。
だが、それ以上は追及せず、彼女は歩き出す。
「先へ進みましょう。時間をかけすぎるのも危険ですわ」
(……完全に疑われてるな)
この先は、誤魔化しが効かなくなる。
通路の奥へ進むにつれ、魔力の歪みが強くなっていく。
空気が、重い。地面が、微かに振動している。
「……この先」
クラリスが立ち止まる。
「深部への扉がありますわ」
巨大な石扉。
歪んだ魔法陣が、禍々しく光っている。
「この先にいるのは……」
「アイアンゴーレム、ですわね」
クラリスが、静かに言った。
お嬢様が、言葉を失う。
アイアンゴーレム。
中級ダンジョンの中ボス的存在。
全身が鉄の塊で、並の魔法では傷一つつかない。
学費一ヶ月分どころか、二ヶ月分は稼げる高額モンスターだ。
だが、それ以上に危険な存在でもある。
「……エリアナ様」
クラリスが、まっすぐにお嬢様を見る。
「この先、本当にあなた一人で大丈夫ですの?」
お嬢様は、答えられなかった。
その表情には、恐怖と、そして――諦めが浮かんでいる。
(……ここまでか)
もう誤魔化しは限界だ。
クラリスは完全に気づいている。
お嬢様が魔法をまともに使えないことを。
だが、ここで引き返すわけにはいかない。
学費の納入期限は、もうすぐだ。
俺は、一歩前に出る。
「お嬢様」
「カイト……?」
「俺が、囮になります」
「え……?」
「ゴーレムの注意を引きつけますので、その隙にお嬢様が魔法を」
「む、無理ですよぉ! そんなの危険すぎます!」
「大丈夫です。俺は執事ですから」
俺は笑って見せる。
クラリスが、興味深そうに俺を見ている。
「……執事が、囮ですか」
「はい。お嬢様をお守りするのが、俺の役目ですから」
「ふふ……面白い執事さんですわね」
クラリスが、くすりと笑う。
「では、私も協力しますわ。三人で挑めば、勝算はありますもの」
(……助かる)
本当は、俺一人でも倒せる。
だが、それをやったら完全にバレる。
クラリスの協力があれば、自然な形で勝てる。
「では、行きましょう」
俺が石扉に手をかける。
重い音を立てて、扉がゆっくりと開く。
その奥には――
ドシン……ドシン……。
巨大な鉄の魔獣が、こちらを見下ろしていた。
アイアンゴーレム。
全高三メートル。両腕には巨大な鉄球。
その赤い目が、俺たちを捉える。
「……来ますわよ」
クラリスが杖を構える。
お嬢様も、震えながら杖を握りしめる。
俺は剣を抜く。
(ここからが、本番だ)
ゴーレムが、咆哮を上げた。
戦いの時が、始まる――。




