ローズウェルの姉妹
ローズウェル家の邸宅。
雷属性を得意とする家系――その象徴のように、壁には雷を模した装飾がいくつも施されている。
天井近くには、稲妻の形をした紋章。
廊下の両脇には、青白い光を放つ魔石が埋め込まれた燭台。
それらは、ローズウェル家の長い歴史と誇りを物語っていた。
廊下には、白い花瓶が等間隔に置かれている。
中には、青い花が生けられていた。
雷属性の魔力を持つ者が好むと言われる、稀少な花だ。
ヴィクトリアは、静かに廊下を歩き、自室の扉を開けた。
部屋の中には、いくつものトロフィーが並んでいる。
学院の成績優秀賞、魔法大会の優勝杯、貴族社交界での表彰状。
どれも、ヴィクトリアの実力を証明するものだった。
家の期待に応え続けてきた証でもある。
だが、彼女の視線は、机の上に飾られた一枚の写真に向けられていた。
幼少期の二人が、笑顔で並んでいる。
ヴィクトリアと、スカーレット。
あの頃は、まだ笑っていた。
二人とも、無邪気に。
姉妹として、仲良く。
「……」
ヴィクトリアは、その写真をしばらく見つめた。
いつから、こんなに遠くなってしまったのだろう。
いつから、あの笑顔は消えてしまったのだろう。
そして――
決心を固めたように、食堂へ向かった。
◇◇◇
長い食卓の端に、スカーレットは一人で座っていた。
向かい側には、ヴィクトリア。
二人の間には、何メートルもの距離があった。
物理的な距離だけではない。
心の距離も、同じくらい遠かった。
この広い食堂が、二人の関係を象徴しているようだった。
「……学院の方で、話は聞いたわ」
先に口を開いたのは、ヴィクトリアだった。
「休日、皆で出かけるそうね」
スカーレットは、顔を上げない。
食事に手をつけるでもなく、ただじっと俯いている。
その表情は、固く閉ざされていた。
「行かないです」
即答だった。
「理由を聞いても?」
ヴィクトリアが、静かに尋ねる。
「必要がないからです」
それ以上でも、それ以下でもない声。
感情の欠片も感じられない。
まるで、機械的な応答のようだった。
「相手を知ることも、必要ないことですか?」
ヴィクトリアの問いに、スカーレットの体がぴくりと震えた。
「……余計なことを」
スカーレットの声が、わずかに険しくなる。
「でも、それはあの子が話そうとしないから」
ヴィクトリアが、静かに言う。
「話したくないことだったのかもしれません。
誰にだって、そういうものはきっとあります」
スカーレットが、ゆっくりと顔を上げる。
「なら、私が悪いって言いたいんですか?」
その目には、明らかな怒りが浮かんでいた。
傷つけられたような、そんな色も混じっている。
「ローズウェル家の者なら、それぐらい理解しろと言いたいのですか?」
「いえ、違うわ」
ヴィクトリアが、ゆっくりと首を振る。
「相手のことを知る努力をしなさいと言っているの」
「……」
スカーレットが、唇を噛む。
沈黙が、食堂に流れる。
やがて――
「お姉様だって……
私のこと、知ろうとしなかったくせに」
その声は、震えていた。
長い間、抑え込んでいた感情が、溢れ出しそうになっている。
「そのとおりね」
ヴィクトリアが、静かに認める。
その言葉に、スカーレットは驚いたように目を見開いた。
「だから私は、後悔しているわ」
「……え?」
スカーレットの声が、わずかに揺れる。
「姉として、あなたを知れなかったことを後悔している」
ヴィクトリアの声に、わずかな感情が滲む。
「あなたが苦しんでいた時、私は何もできなかった」
「けれど、今更だけど……あなたを知りたいと思っているわ」
「……そんなの、遅いですよ」
スカーレットが、席を立つ。
その動きは、逃げるようだった。
またその場から立ち去ろうとする。
「模擬戦の帰り道、
エリアナ様のこと、楽しそうに話してくれたわね」
ヴィクトリアの言葉に、スカーレットの足が止まる。
「楽しそう?この私が?」
スカーレットが、振り返る。
その表情には、明らかな動揺があった。
自分が楽しそうにしていたなど、
思いもしなかったのだろう。
「やっぱり、気づいていなかったのね」
ヴィクトリアが、優しく微笑む。
「友達は良いものよ。そして、誰かを知ることも、知ってもらうことも」
「……」
スカーレットは、何も言えなかった。
ただ、扉に手をかける。
その時――
メイドの一人が、スカーレットに向かってくる。
そして、一枚の紙切れを恭しく差し出した。
スカーレットは、それを受け取る。
「……日時と場所よ。私が用意させたの」
ヴィクトリアが、静かに言う。
「私は、待ってるわ」
「……」
スカーレットは、何も答えなかった。
紙切れを握りしめたまま、
自室に戻っていく。
その背中は、小さく見えた。
◇◇◇
一人残されたヴィクトリアは、深くため息をこぼした。
妹の前だと、いや家の中だと、
なぜこんなにも話ができないのか。
言いたいことは、たくさんあった。
謝りたいことも、伝えたいことも。
だが、言葉にすると、どうしても硬くなってしまう。
素直に、感情を伝えられない。
ローズウェルという家紋。
それは、誇りであると同時に、呪いでもあった。
縛られているのは、スカーレットだけではないのかもしれない。
ヴィクトリア自身も、この家の名に縛られていた。
姉として、ローズウェル家の長女として、
完璧でなければならない。
弱さを見せてはいけない。
「……私も、逃げていたのね」
小さく呟いて、ヴィクトリアは食堂を後にした。
静かな廊下に、
彼女の足音だけが響いていく。
◇◇◇
自室に戻ったスカーレットは、
ベッドのわきに置かれたランプで光を灯した。
机の上に、先ほどメイドから受け取った紙切れを置く。
休日の日付と、集合場所。
スカーレットは、それを手に取り、
しばらく見つめたまま動かなかった。
行くべきなのか。
行かないべきなのか。
答えは、出ない。
やがて、紙を引き出しにしまう。
捨てることは、できなかった。
何かが、それを止めていた。
「……」
スカーレットは、窓の外を見る。
夜空には、星が輝いていた。
静かで、美しい夜だ。
模擬戦の帰り道、
お姉様と話したこと。
エリアナのことを、話した時。
あれは、楽しかったのだろうか。
自分でも、よく分からない。
感情が、分からなくなっている。
ただ――
拒絶されるのが、怖かった。
近づいて、また離れていく――
その繰り返しが、何よりも。
だから、最初から距離を取る。
それが、楽だった。
それが、安全だった。
「……」
スカーレットは、引き出しをもう一度開ける。
紙切れを、取り出す。
そして、また見つめる。
どうすればいいのか、分からない。
答えは、まだ出ない。
休日は――
思っていたよりも、早くやって来る。
その日まで、あと少し。
スカーレットは、紙切れを握りしめたまま、
ベッドに横になった。
天蓋の向こうに、
ぼんやりと天井が見える。
目を閉じても、眠れそうにない。
そんな夜だった。




