変化する日常
模擬戦から数日が経った。
学院の廊下を歩いていると、エリアナとスカーレットの周りに人だかりができているのが見えた。
エリアナの方は、完全に困惑している様子だった。
「あの、本当に……その、ありがとうございます……」
学院初日のような好奇の目ではない。魔法が使えない落ちこぼれを見る目でもない。
模擬戦でスカーレットと激しい戦いを繰り広げたことで、尊敬と興味の入り混じった視線が彼女に注がれていた。
「すごかったよ、あの接近戦!」
「魔法が使えないのに、あそこまでやるなんて……!」
「どうやって鍛えたんですか?」
次々と質問が飛んでくる。
エリアナは戸惑いながらも、その表情にはどこか嬉しそうな色が浮かんでいた。
初めて、自分の努力が認められている。そんな実感があるのだろう。
以前のように、哀れみや軽蔑の目ではなく、純粋な称賛の視線を向けられていることが、彼女にとってどれほど大きな意味を持つことか。
一方、スカーレットの周りにも人だかりができていた。
「一年生で中級魔法なんて……!」
「さすがローズウェル家の令嬢!」
「教えてください、どうすれば中級魔法を使えるように……!」
スカーレットは、相変わらず不機嫌そうな顔をしている。
「私の前を塞ぐな」
ぶっきらぼうに言い放つが、その表情には微かな変化があった。
自分の努力が認められていることに、表面上は嫌そうにしているが……内心はどうなのだろうか。
少しだけ、満足げな雰囲気も感じられる。
姉のヴィクトリアではなく、自分自身の実力で評価されているという事実が、彼女の心に小さな変化をもたらしているのかもしれない。
俺とリリアは、そんな二人を遠目から見ていた。
「……人が……多い」
リリアが、困ったように呟く。
「エリアナと……話せない」
「まあ、仕方ないだろう。模擬戦の影響は大きかったからな」
そう言いながらも、俺も少し複雑な気持ちだった。
エリアナが認められているのは嬉しいが、こうして人だかりに囲まれているのを見ると、何とも言えない気分になる。
彼女が自分の力で勝ち取った評価だからこそ、素直に喜べる部分もあるのだが。
「……行ってくる」
リリアが、決意したように言う。
「え、本気か?」
「うん……救出する」
そう言うと、リリアは人だかりに向かって突撃した。
「あ、アルテミス様!?」
「リリア様まで……!」
「きゃっ、押さないで!」
人だかりが、さらに騒がしくなった。
「……助けて……エリアナ」
リリアの声が、人混みの中から聞こえてくる。
完全に人波に巻き込まれている様子だ。
(……何やってるんだ)
俺は、思わず呆れた表情になった。
救出に行ったはずが、むしろ自分も助けが必要な状態になっている。
リリアらしいと言えばらしいが。
そうしていると、人だかりの向こうから、スカーレットが現れた。
なんとか人だかりを抜け出してきたようだ。髪が少し乱れ、息も荒い。
スカーレットは、俺の顔を見るなり、何も言わずにまた去ろうとする。
だが――
「……フォンブルクのこと、無能なんて言って……ごめんね」
ぼそっと、微かに聞こえた。
え?
今、何て……?
振り返ったときには、スカーレットの姿はもう廊下の角に消えていた。
(……聞こえたような、気がした)
根は悪い子ではないんだよな、と俺は思った。
あの帰り道、ヴィクトリアに何か言われたのかもしれない。
姉に諭されて、少しずつ考えが変わってきているのかもしれない。
エリアナとの戦いを通じて、彼女なりに何かを感じ取ったのだろう。
考え込んでいると、前から誰かが走ってきた。
ドンッ!
「痛っ!」
俺は、その人物とぶつかった。
「すいません! 大丈夫ですか!?」
慌てて、相手に声をかける。
ぶつかった相手は、女性だった。
青い髪をした、制服を少し着崩したような恰好の女性。どちらかというとギャルタイプだ。
「いったたたた……大丈夫! こちらこそごめんね」
女性が、明るい声で言いながら立ち上がる。
「やばっ、呼ばれてたんだ!」
そう言うと、女性は謝る間もなく、またどこかに走り去ってしまった。
「……忙しそうな人だったな」
俺は、去っていく女性の背中を見ながら呟いた。
一体、何に追われているんだろうか。
まあ、学院には色々な事情を抱えた生徒がいるものだ。
さて、俺もリリアのように、お嬢様を救出しに行かないとな。
「すみません、ちょっと通してください……」
俺は、人だかりに向かって歩き出した。
「わぁっ、すみません……!」
「カイトさんまで……!?」
完全に、人波に巻き込まれた。
「お嬢様! リリアー!」
俺の声が、人混みの中に消えていく。
なんとか、三人で人だかりから脱出したのは、それから十分後のことだった。
◇◇◇
「……疲れました」
エリアナが、ぐったりとした様子で言う。
「エリアナ……大変だった」
リリアが、髪を整えながら心配そうに言う。
「ああ、でも……」
エリアナが、少し照れくさそうに笑う。
「ちょっと、嬉しかったかな」
「そう……エリアナの実力……認められた」
リリアが、微笑む。
俺も、エリアナの成長を嬉しく思った。
魔法が使えないという弱点を抱えながらも、彼女は自分なりの戦い方を見つけ、それを証明してみせた。
その努力が、ようやく周囲に認められ始めている。
こうして、学院での日常は少しずつ変化していく。
◇◇◇
なんとか本日の授業を終え、ホームルームを残すだけとなった。
教室に現れたのは、一年A組の担任、ロバート先生だ。
相変わらず、気だるそうな表情をしている。
いつも通り、やる気のなさそうな雰囲気を漂わせていた。
「ちょっといいか」
ロバート先生が、教室の生徒たちに声をかける。
「エリアナ・フォンブルク、リリア・アルテミス、スカーレット・ローズウェル」
三人の名前が呼ばれる。
教室が、ざわめいた。
「放課後、職員室に来い」
ロバート先生が、そう告げる。
「何だろう……?」
「三人とも、模擬戦で活躍してた人たちだ」
生徒たちが、ひそひそと話し合っている。
何の用だろうか?
不安と期待が入り混じった表情で、
エリアナとリリアは顔を見合わせて頷く。
スカーレットは、腕を組んだまま短く息を吐いた。
俺は、その様子を見ながら思った。
(俺の経験上……たぶんだが)
(きっと、ろくなことではない)
そんな気がしていた。
予感は、大抵当たるものだ。
特に、こういう呼び出しというのは、何か面倒なことに巻き込まれる前触れであることが多い。




