模擬戦の果てに
世界が、ひっくり返った。
音も、光も、衝撃も。すべてが一度に押し寄せ、視界が真っ白に塗り潰される。時間の感覚が失われ、空間そのものが歪んだような錯覚に襲われる。
次の瞬間――凄まじい衝撃波が、グラウンドを叩いた。
空気が爆ぜ、地面が揺れる。砂と土が舞い上がり、観客席にまで衝撃が届く。魔法陣が描かれていた地面には、深い亀裂が走り、魔力の残滓が青白い光となって空気中を漂っていた。
「――っ!?」
恐怖に歪んだ声があちこちから上がった。
観客席の生徒たちは、咄嗟に身を伏せ、耳を塞ぐ。ベンチが軋み、柵がきしみ、視界は土煙に覆われた。誰もが息を呑み、何が起きたのか理解できずにいた。
まるで――戦場だった。
学園の模擬戦とは思えない。これは、命のやり取りをする戦場そのものだった。
数秒。いや、永遠のようにも感じられる沈黙。耳鳴りだけが、その静寂を満たしていた。
やがて、ゆっくりと土煙が晴れていく。風が吹き、視界が開けていく。
最初に見えたのは――立っている、一人の少女。
スカーレット・ローズウェル。
制服は焼け焦げ、あちこちが破れている。息は荒く、肩が激しく上下していた。膝は今にも崩れそうで、震えが止まらない。
だが、その前に――
教師が立っていた。
両手を前に突き出し、淡い青色の障壁を展開している。その障壁が、爆発の直撃から二人を守っていた。
「……やりすぎだ」
教師の声は、低く、重い。怒りを押し殺したような響きがあった。
「模擬戦の域を、完全に超えている。一歩間違えれば――」
その先を、彼は口にしなかった。
言わなくても、わかっていた。
少し離れた場所には、もう一人の少女。
エリアナ・フォンブルク。
膝をつき、地面に手をついている。制服は破れ、身体のあちこちに傷が見える。魔力の消耗が激しく、呼吸が荒い。
それでも、教師の防御魔法のおかげで、致命傷は免れていた。
「……っ」
エリアナは、何かを言おうとした。
だが、言葉が続かない。視界が揺れ、力が抜けていく。
そのまま、ゆっくりと横に倒れた。
「フォンブルク!」
教師が駆け寄る。
同時に、スカーレットは――ぼんやりと、その光景を見ていた。頭が働かない。現実感がない。
勝った。――はずだった。
けれど、胸の奥に湧き上がるのは達成感ではない。喜びでも、誇りでもない。
恐怖だった。
落ちこぼれだと思っていた相手に、自分の"努力"そのものを否定されるかもしれないと感じた瞬間。あの時、何かが壊れた。冷静さが、消えた。
そこから先の記憶が、ない。
怒り。焦り。自分を見失うほどの感情。制御できない何かが、自分の中から溢れ出した。
(……奥の手まで、使わされた)
その事実に、今さらながら戦慄する。
それを、自分は――
その時。
教師が、震える声で告げた。
「……勝者、スカーレット・ローズウェル」
だが――その声に、応える者はいなかった。
拍手も、歓声も、何もない。観客たちは立ち尽くし、何が起きたのか理解できず、言葉を失っていた。ただ、呆然とグラウンドを見つめている。
スカーレットは、思う。
(これで……私の努力は、間違っ――)
そこまでだった。
視界が暗転し、彼女の身体は、ゆっくりと前に傾く。杖が手から滑り落ち、乾いた音を立てて地面に転がった。
意識は、静かに途切れた。
爆発から、数秒遅れて聞こえた勝者コール。
――そんなもの、俺にはどうでもよかった。
俺の目に映っていたのはただ一つ。横に倒れ、動かないお嬢様の姿だけだった。
「……っ」
考えるより早く、体が動いた。
観客席を蹴り、階段を駆け下りる。足がもつれるのも構わず、グラウンドへ。
教師たちが叫んでいる。
「医務室へ運ぶ!」
「担架を――」
俺は、お嬢様のそばに膝をついた。
「……エリアナ」
呼びかけても、反応はない。だが、呼吸はある。傷も、教師の防御魔法のおかげで軽傷で済んでいるようだった。
「……よかった」
思わず、そう呟いていた。
俺は彼女を抱き上げ、医務室へと走った。
医務室のベッドに、お嬢様を寝かせる。
医務室の先生が、すぐに治癒魔法をかけてくれた。淡い緑色の光が、彼女の身体を包んでいく。
「大したことはありません。魔力の消耗と、軽い打撲程度です」
先生は、穏やかな口調で告げた。
「よく頑張りましたね。あの状況で、あそこまで戦い抜いたのは見事です」
「……ありがとうございます」
俺は、ベッドの横に座り、お嬢様の顔を見つめた。
穏やかな寝息。苦しそうな様子はない。
本当に――よかった。
しばらくして、もう一つのベッドにスカーレットも運ばれてきた。
彼女もまた、治癒魔法を受けている。
それから、どれくらい経っただろう。
「……ん」
スカーレットが、小さく呻いた。
ゆっくりと目を開け、辺りを見回す。
「……ここは」
「医務室です。無理をしないでください」
先生が、優しく声をかけた。
スカーレットは、ゆっくりと身体を起こす。まだ少し、顔色が悪い。
その時。
「スカーレット!」
扉が勢いよく開き、赤髪の女性が駆け込んできた。
ヴィクトリア・ローズウェル。
焦った表情で、妹のもとへ駆け寄る。
「大丈夫なの!? 模擬戦で倒れたと聞いて――」
「……お姉様」
スカーレットは、少し驚いた様子で姉を見上げた。
「どうして……」
「どうしてって、あなた! 心配に決まっているでしょう」
ヴィクトリアは、妹の手を取り、強く握りしめる。
「無茶をして……本当に心配したのよ」
「……ごめんなさい」
スカーレットは、小さく謝罪した。
それから、視線を巡らせる。
隣のベッドで、眠るエリアナの姿が目に入った。
「……」
彼女は、ゆっくりとベッドから降りる。
まだ足元がおぼつかないが、構わずエリアナのもとへと歩いた。
ベッドの横に立ち、眠る少女を見下ろす。
穏やかな寝顔。
先ほどまで、命を懸けて戦っていたとは思えないほど、静かな表情。
スカーレットの目が、俺に向けられる。
何か言いたげな表情。口が、わずかに開きかける。
だが――
「……」
何も言わない。
プライドが、邪魔をしているのかもしれない。
謝罪なのか、感謝なのか、それとも別の何かなのか。
俺は、彼女を見返した。
スカーレットは、一瞬だけ躊躇したように見えた。
しかし、すぐに視線を逸らし――
「……何でもないわ」
そう言って、踵を返した。
「スカーレット?」
ヴィクトリアが、不思議そうに妹を見る。
「今日は帰ります。もう大丈夫です」
「でも――」
「大丈夫です、心配なさらなくても」
スカーレットは、姉の言葉を遮るように、そう告げた。
そして、医務室を出て行く。
背中は、どこか寂しげに見えた。
扉が閉まり、再び静寂が戻る。
ヴィクトリアは、困ったように苦笑した。
「……すみません。妹が、その、失礼なことを」
「いえ……」
俺は、首を横に振った。
「それにお嬢様も、よく頑張られたと思います」
「そう……ですね」
ヴィクトリアは、エリアナを見て、優しく微笑んだ。
「本当に、二人とも頑張りましたね」
それから、彼女もまた、医務室を後にした。
俺は、再びお嬢様の横に座る。
まだ、彼女は眠っている。
窓の外では、夕日が沈みかけていた。
長い一日が、ようやく終わろうとしている。
だが――この戦いが残したものは、まだ誰にもわからない。
スカーレットの背中。
あの言葉にならなかった何か。
それが、次に繋がるのか。
それとも――
「……まあ、いいか」
俺は、小さく呟いた。
今は、ただ。
お嬢様が無事だったこと。
それだけで、十分だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます
模擬戦が終わり、後少しエピローグはありますが次の章を書きます。
今回の章では主人公はずっと裏方をやっていたので、次は活躍するところも書きたいと思っていますのでよろしくお願いします




