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19/30

秘策

グラウンドに、二人の少女が姿を現した。


一人は、エリアナ・フォンブルク。

金色の髪を風になびかせ、白い制服に身を包んだ彼女は、緊張した面持ちで杖を握りしめている。


もう一人は、スカーレット・ローズウェル。

赤い髪を後ろで束ね、冷徹な表情を浮かべた彼女は、まるで獲物を見定める猛禽のような鋭い眼差しを向けていた。


観客席が、水を打ったように静まり返る。

学生たちの誰もが息を詰め、グラウンドに視線を注いでいた。この決闘が、単なる実技試験ではないことを、誰もが理解していた。


スカーレットが、射抜くような視線をエリアナに向ける。

その瞳には、明確な敵意と、そして絶対的な自信が宿っていた。


「……っ」


エリアナの体が、わずかに後ずさる。

白い手袋に包まれた手が、小刻みに震えているのが見えた。


(……頑張れ、お嬢様)


観客席から、俺は拳を強く握りしめた。

爪が掌に食い込むほどに。


エリアナが目を閉じ、深く息を吸い込む。

胸が大きく上下し、肩の力が少しずつ抜けていく。


そして――


(リリアと、あれだけ特訓した……)

(だから、大丈夫。私は、やれる)


エリアナが顔を上げる。

その碧眼には、もう怯えの色はなかった。代わりに、静かな決意の炎が灯っていた。


「あなたがいくら努力したところで」


スカーレットが、氷のように冷たい声で言い放つ。


「私には、勝てないわ。才能の差は、努力では埋められない」


「……」


エリアナが、杖を両手でしっかりと握りしめる。

木製の杖が、かすかな軋み音を立てた。


「私は、あなたに勝ちます」


エリアナが、はっきりとした声で宣言した。

その声には、迷いがなかった。


「そして、あの日――」


エリアナが、まっすぐにスカーレットを見据える。


「カイトを侮辱したこと、謝ってもらいます」


スカーレットの目が、一瞬大きく見開かれる。

予想外の言葉に、わずかに動揺したようだった。


そして――


「ふん」


鼻を鳴らし、嘲笑するような表情を浮かべる。


「やってみなさい。口だけなら、誰でも言える」


審判を務める教師が、二人の間に歩み出る。

厳格な表情で二人を見渡した。


「準備は良い?」


「はい」

「はい」


二人が同時に頷く。

そして、それぞれグラウンドの対角線上に位置する開始地点へと向かった。


観客席が、さらに静まり返る。

咳払いひとつ聞こえない。俺も固唾を飲んで、グラウンドを見守った。


教師が、ゆっくりと手を上げる。

全員の視線が、その手に集中した。


「――始め!」


手が振り下ろされた瞬間。


最初に動いたのは、エリアナだった。


「【風刃(ウィンド・カッター)】!」


杖を大きく振り抜く。

魔力が収束し、鋭い風の刃が形成される。それは空気を切り裂く音を立てて、スカーレットに向かって一直線に飛んでいく――


だが。


シュッ。


風の刃は、スカーレットの体の横を通り過ぎ、背後の防護壁に当たって霧散した。


「……当たらなければ、意味がないわ」


スカーレットが、冷ややかに言い放つ。

動じた様子は微塵もない。


そして――


「【火球(ファイア・ボール)】」


スカーレットが、軽く杖を一振りする。

それだけで、瞬時に赤く輝く火球が形成された。その詠唱の速さは、エリアナとは比較にならない。


火球は唸りを上げて、エリアナに向かって放たれた。


「――ッ!」


エリアナが、目を見開いて慌てて防御魔法を展開する。


「【防壁(バリア)】!」


透明な魔力の壁が、エリアナの前方に浮かび上がる。


ドガァンッ!


火球が防壁に激突し、激しい爆発音が響き渡る。

衝撃波が広がり、エリアナの体が後方に大きく押し流される。足が地面を滑り、なんとか踏みとどまる。


「くっ……」


エリアナが、歯を食いしばる。

額に汗が滲んでいた。


だが、スカーレットの攻撃は止まらない。


「【火球(ファイア・ボール)】」


次々と火球が形成される。

一つ、二つ、三つ――まるで曲芸のように、スカーレットの周囲に火球が浮かび上がる。


そして、一斉にエリアナに向かって発射された。


「――ッ!」


エリアナが、必死に防壁を維持する。

杖を握る手に、さらに力が込められる。


ドガァンッ!

ドガァンッ!

ドガァンッ!


連続して火球が防壁に激突する。

透明な壁に、蜘蛛の巣のようなヒビが入り始める。


「はあ……はあ……」


エリアナが、荒い息を吐く。

額からは汗が流れ落ち、顔色が青ざめていく。


魔力の消耗が激しいのだろう。


明らかに、スカーレットの方が優勢だった。

魔法の速度、威力、精度――全てにおいて、スカーレットが圧倒的に上回っている。


(……まずい。このままでは)


俺は、焦りを感じた。

拳をさらに強く握りしめる。


スカーレットが、さらに大きく魔力を込める。

杖の先端が赤く輝き、これまでとは比較にならない大きさの火球が形成されていく。


直径が一メートルはあろうかという、巨大な炎の塊だ。


「これで、終わりよ」


スカーレットが、冷たく言い放ち、火球を放つ。


ゴオオオッ!


火球が、轟音を立ててエリアナに向かって迫る。

防壁に激突し、巨大な爆発が起こる。


炎と土埃が舞い上がり、グラウンドを覆い尽くす。


視界が、真っ白になる。


「……!」


土煙の向こうに、エリアナの姿が見えない。


「エリアナ……!」


隣でリリアが、思わず立ち上がる。

普段は冷静な彼女の声に、初めて焦りの色が滲んでいた。


俺も、思わず身を乗り出す。


(……お嬢様!)


スカーレットが、土埃の向こうを見つめる。

そして、勝負がついたと判断したのか、教師の方を向いた。


「勝負はついたわ」


スカーレットが、淡々とした口調で言う。


「勝利宣言を、お願いします」


だが――


教師は、何も言わない。

じっと、土埃の向こうを見つめたまま、動かない。


「……?」


スカーレットが、怪訝そうな表情を浮かべる。


その時。


「まだ――」


土埃の中から、か細い声が聞こえた。


「まだ、勝負はついていません!」


風が吹き、土埃が少しずつ晴れていく。


そこには――


エリアナが、立っていた。


制服は破れ、あちこちに焼け焦げた跡がある。

右腕からは赤い血が流れ、足元はふらついている。


だが、その碧眼は――まだ、諦めていなかった。

まっすぐに前を見据え、杖を握りしめていた。


「……!」


スカーレットが、明らかに驚いた表情で目を見開く。


エリアナが、走り出す。


魔法ではない。

詠唱もしない。


ただ、足で――

必死に地面を蹴って、スカーレットに向かって一直線に駆けていく。


「――ッ!」


スカーレットが、慌てて防御魔法を展開する。


「【防壁(バリア)】!」


透明な壁が、スカーレットの正面に浮かび上がる。


だが――


エリアナは、魔法を唱えていない。

ただ、走っている。


スカーレットに向かって――いや、違う。


エリアナの軌道が、わずかにずれる。


そして――


スカーレットの横を、駆け抜けた。


「え……?」


スカーレットが、困惑の声を上げる。

何が起きたのか、一瞬理解できない様子だった。


エリアナが、スカーレットの背後に回り込む。


そして――

大きな木製の杖を、思いっきり振りかぶった。


まるで野球のバットを振るように。


「――ッ!」


スカーレットが、気配に気づいて振り返る。

一瞬、二人の視線が交わった。


スカーレットの目に、初めて恐怖の色が浮かぶ。


だが、遅い。


エリアナが、全力で杖を振り下ろす。


ドガッ!


鈍い音が、グラウンドに響き渡る。

杖が、スカーレットの横腹に直撃した。


「ぐっ――!」


スカーレットが、苦悶の声を上げる。


防御魔法は、正面にしか展開していなかった。

背後は、完全に無防備だった。


スカーレットの体が、横に大きく吹き飛ばされる。

地面を二回、三回と転がり――なんとか手をついて、立ち上がる。


「はあ……はあ……」


スカーレットが、横腹を押さえながら荒い息を吐く。

その顔には、驚愕と――そして、明らかな痛みの色が浮かんでいた。


観客席が、一斉にどよめく。


「今の……!」

「杖で……殴った……?」

「魔法じゃなくて……物理攻撃……?」

「魔導士の決闘で、そんなこと……」


俺も、呆気に取られていた。

まさか、そんな方法で攻撃するとは。


(……今の、攻撃……)


その時、隣でリリアが小さく呟いた。


「……魔法が苦手なエリアナのための……秘策」


「……え?」


俺が、リリアを見る。


リリアが、小さく微笑む。

どこか誇らしげな表情だった。


「……魔法が下手なら……近づいて……殴ればいい」


(……秘策って、これか!)


俺は、思わず納得してしまった。


確かに、エリアナは魔法が苦手だ。

遠距離戦では、スカーレットに勝ち目はない。


だが――


接近戦なら、話は別だ。


魔法で距離を取られれば不利だが――

近づいてしまえば、物理的な攻撃が可能になる。


魔導士は、近接戦闘の訓練をあまり受けていない。

そこが盲点だ。


(……リリア、よく考えたな)


俺は、感心する。


そして――


(……お嬢様、よく決断した)


魔導士同士の戦いで、接近戦を挑むのは――

相当な勇気が必要だ。


魔法の弾幕をかいくぐり、相手に近づかなければならない。

一歩間違えれば、致命傷を負う。


リスクを承知で、スカーレットに肉薄し、一撃を入れた。


グラウンドで、二人が再び対峙する。


エリアナは、杖を構えている。

傷だらけで、呼吸も荒いが、その目はまだ輝いている。


スカーレットは、横腹を押さえながら、杖を握りしめている。

その表情には、もう余裕はなかった。


戦いは、まだ終わっていない――。

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