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17/30

姉と妹

模擬戦の前日。


ローズウェル家の屋敷。王都でも有数の名門貴族の邸宅は、夜になっても豪華なシャンデリアの光で満たされている。


広大な食堂。長いテーブルが、まるで二人の距離を象徴するかのように、部屋の中央に置かれていた。


その両端に、二人の少女が座っている。


一人は、赤髪を高く結い上げた、凛とした雰囲気の少女。ヴィクトリア・ローズウェル。王立魔法学院の生徒会長にして、次期当主候補。


そして、もう一人は――その妹、スカーレット・ローズウェル。


姉と同じ赤い髪を持つが、その表情には姉のような自信はない。


夕食の時間。本来なら、家族が集まり、和やかな会話が交わされる時間のはずだった。


だが、二人の間には、長いテーブルの距離がある。物理的にも、心理的にも。


カチャ、カチャ。


食器の音だけが、静かに響く。


「……」


スカーレットは、黙々と食事を続ける。フォークを口に運び、噛み、飲み込む。その動作は機械的で、まるで味を感じていないかのようだった。


向かいの姉は、優雅にナイフとフォークを動かしている。一つ一つの動作が洗練されていて、まるで絵画のようだ。


静寂。


ただ、食器の音だけが響く。時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。


スカーレットは、時折姉の方をチラリと見る。だが、すぐに視線を逸らす。


何か話したい。でも、何を話せばいいのか分からない。


そんな葛藤が、彼女の表情に浮かんでいた。


「スカーレット」


ヴィクトリアが、静寂を破って口を開く。


「……はい、お姉様」


スカーレットが、ビクリと体を震わせて顔を上げる。その目には、わずかな緊張が浮かんでいる。


「明日、模擬戦があるのでしたわね」


「はい」


スカーレットが、短く答える。


ヴィクトリアは、妹の表情を見る。緊張、不安、そして――期待。様々な感情が、妹の目に混じっていた。


「お姉様は……」


スカーレットが、言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「……見に、来られますか?」


その声には、わずかな期待が込められていた。まるで、子供が親に褒めてもらいたくて、何かを見せようとするような。そんな純粋な期待。


ヴィクトリアは、少し考えるそぶりを見せる。フォークを置き、ナプキンで口元を拭う。その一連の動作が、妙に長く感じられた。


「……生徒会の仕事が忙しくて」


ヴィクトリアが、申し訳なさそうに言う。


「見に行けないかもしれませんわ」


「……そうですか」


スカーレットが、俯く。その表情には、明確な失望の色が浮かんでいた。握っていたフォークが、わずかに震える。


ヴィクトリアは、妹の様子を見て、心配になる。


(……やはり、無理をしているわね)


最近の妹は、明らかに訓練のしすぎだ。朝、まだ日が昇る前から訓練場に向かう妹の姿を、何度も見た。


睡眠時間も削って、ひたすら魔法の練習。


「スカーレット」


「……はい」


スカーレットが、顔を上げる。その目は、どこか虚ろだった。


「あなた、最近少し無理をしていないかしら」


ヴィクトリアが、心配そうに言う。


「無理なんて、していません」


スカーレットが、きっぱりと否定する。その声は、強く、しかし――どこか無理をしているようにも聞こえた。


「ただ、魔法の訓練をしているだけです」


「それは分かっていますけれど」


ヴィクトリアが、優しく言う。その目には、妹を心配する色が浮かんでいる。


「あなたには、魔法以外にももっと大切なことがあるのではなくて?」


「……大切なこと?」


スカーレットが、顔を上げる。その目には、困惑の色。


魔法以外に、大切なこと?それが、何なのか分からない。


「ええ。例えば――」


ヴィクトリアが、言葉を選ぶ。


「友人と過ごす時間とか、趣味を楽しむ時間とか……」


ヴィクトリアは、妹に普通の女の子として生きてほしかった。名門ローズウェル家の重圧に押しつぶされず、ただ、自分らしく生きてほしい。


「……」


スカーレットが、黙り込む。その表情が、みるみる曇っていく。


ヴィクトリアは、続ける。


「魔法の訓練も大事ですけれど、あなたにはもっと――」


「お姉様」


スカーレットが、姉の言葉を遮る。その声は、震えていた。


ヴィクトリアが、驚いて妹を見る。スカーレットの目には、悲しみが浮かんでいた。


「私が……」


スカーレットの声が、小さくなる。


「期待されていない、ということですか?」


「え?」


ヴィクトリアが、驚いた顔をする。


期待していない?そんなこと、一言も言っていないのに。


「お姉様に比べたら、私なんて才能なんかない」


スカーレットの声が、震える。その目には、涙が浮かんでいた。


「魔法の制御も下手で、威力も弱くて……それは、私が一番よく知っています」


スカーレットが、拳を握る。その手が、小刻みに震えている。


「スカーレット、そんなことは――」


「だから、お姉様は私に魔導士なんて諦めてほしいんですよね」


スカーレットが、姉を見る。その目には、深い悲しみと――諦めの色があった。


「……え?」


ヴィクトリアが、困惑する。


違う。そんなことは、言っていない。言いたかったのは、そんなことじゃない。


「でも!」


スカーレットが、声を上げる。その声は、広い食堂に響き渡った。


「それでも、私は今まで努力してきました!」


スカーレットの目から、涙がこぼれそうになる。だが、彼女は必死に堪えていた。


「毎日、毎日、魔法の訓練をして――」


彼女の声が、途切れる。


「お姉様に、少しでも近づけるように――」


スカーレットが、俯く。


「……頑張ってきたんです」


静寂が、広間を包む。


ヴィクトリアは、何も言えなかった。妹の目に浮かぶ涙を見て、胸が締め付けられる。


(……違う)


そんなことを言いたかったわけじゃない。妹の努力を否定したかったわけじゃない。


「……スカーレット」


ヴィクトリアが、必死に言葉を選ぶ。


「私は、あなたに魔法を諦めてほしいわけでは――」


「分かっています」


スカーレットが、立ち上がる。椅子が、床を擦る音が響く。


「お姉様は優しいから、そんな風に言ってくださるんですよね」


「……」


ヴィクトリアが、言葉を失う。


違う。違うのに。どうして、伝わらないのか。


「でも、本当は思っているんでしょう?」


スカーレットが、姉を見る。その目には、深い悲しみが浮かんでいた。


「才能のない妹が、必死に頑張っている姿を見るのは――」


彼女の声が、震える。


「……痛々しい、って」


「そんなこと、思っていないわ!」


ヴィクトリアが、立ち上がって否定する。思っていない。そんなこと、一度も思ったことはない。


だが、妹は聞いていない。


スカーレットは、深々と頭を下げた。


「ごちそうさまでした」


その声は、冷たく、そして――どこか遠かった。


スカーレットが、部屋を出ていこうとする。


「スカーレット! 待って!」


ヴィクトリアが、声をかける。だが、妹は振り返らなかった。


ドアが開く音。そして、閉まる音。


ヴィクトリアは、ただ黙って見送るしかなかった。


長いテーブルに、一人残される。妹が座っていた椅子が、空いている。その空虚さが、やけに大きく感じられた。


「……私は、何を言っているんだ」


ヴィクトリアが、小さく呟く。


伝えたかったのは、そんなことじゃない。


妹は、妹のままでいいのに。それが――どうして、こんなにすれ違ってしまうのか。


「……」


ヴィクトリアは、椅子に座り込んだ。そして、頭を抱える。


シャンデリアの光が、冷たく輝いている。温かいはずの食堂が、今はひどく寒く感じられた。


スカーレットは、自室のベッドに座り込んでいた。部屋の明かりは消してあり、月明かりだけが窓から差し込んでいる。


「……やっぱり」


彼女が、小さく呟く。


「お姉様は、私に期待していない」


その声は、虚ろだった。


才能がない。努力しても、姉には届かない。どれだけ頑張っても、姉の背中は遠い。


「……」


スカーレットの目に、涙が浮かぶ。でも、すぐに拭う。


「泣いてる場合じゃない」


彼女は、自分を奮い立たせる。拳を握り、深呼吸をする。


明日、模擬戦。エリアナ・フォンブルク。あの少女を倒す。


魔法が下手で、制御もできないくせに。中級ダンジョンを討伐したと言われている。


信じられない。きっと、何か裏がある。ずるをしているに違いない。


「……絶対に勝つ」


スカーレットは、拳を握る。


そして――お姉様に、証明する。


自分にも、力があることを。才能がなくても、強くなれることを。


「……」


窓の外を見る。月が、冷たく輝いている。その光が、彼女の赤い髪を照らしていた。


明日、戦いの日が来る――。


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